パーシバル・ローウェル。20世紀初め、「火星に宇宙人がいる」と信じ学界で主張し続けたアメリカ人。その発端は、19世紀末にイタリアのジョバンニ・スキャバレリが望遠鏡で火星を見ながら作った火星のスケッチだった。そこには細長い筋が描かれていた。筋はイタリア語で「カナリ」。ところがこれが英語の「キャナル」=運河に訳されてしまった。火星には運河がある。なぜ? 誰が作ったの? 疑問は世界に広がった。
その話を聞いた富豪の遊び人ローウェルは自分の目で運河を見たいと、1894年、アリゾナ州北部フラッグスタッフに自費でローウェル天文台を作り、辺りの丘を「マーズ・ヒル」と名づけた。口径61センチの屈折望遠鏡で火星の観測に没頭。表面の模様をスケッチし続けた結果、ローウェルは運河が極冠から赤道近くまで伸びており、知的生命が極地方の水を乾燥した赤道地帯に導くための「灌漑用の運河」だと主張した。
彼の主張は多くの天文学者の反対にあい、その後の望遠鏡や探査機の観測で、ローウェルの主張が間違っていることは明らかになったけれど、SF小説や映画が生まれるきっかけにもなった。その後、ローウェルは海王星の外側に惑星Xの存在を予言。彼が生きている間には発見できなかったが、弟子のトンボーがローウェル天文台で1930年に冥王星を発見! そんなわけで冥王星の名前「PLUTO」の最初のPLはパーシバル・ローウェルの頭文字が使われている。
天文学の世界で名が知られるローウェル。実はその前に日本にのめりこんでいた時期があったことはあまり知られていない。1889年5月、34歳のローウェルは能登半島の穴水町を訪れ、帰国後「NOTO」を執筆。日本でも「NOTO-能登・人に知られぬ日本の辺境」として出版された。明治中期、ローウェルは4度日本を訪れ、「NOTO」を含む4冊をNYで出版している。穴水町にはローウェルの碑が建てられ、毎年5月に「ローエル祭り」が行われているんだって。どんなお祭りなんだろう?
日本研究から一転して惑星研究に向かったローウェル。未知なるものへの好奇心が人一倍強かっただけでなく、即行動して世の中にアピールしていくパワーに脱帽。この夏、火星を望遠鏡でのぞきながら、まずはローウェルのように想像力をふくらませてみよう。
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