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2009年 9月分 vol.2
「厳しさを乗り越えた」タフな男、若田飛行士帰国
ライター 林 公代 Kimiyo Hayashi


記者会見でビデオを見せながら解説。歌舞伎の市川団十郎さんの扇子を手に。  日本人で初めての宇宙長期滞在を終えた若田光一宇宙飛行士が、日本に帰ってきた。2008年9月にお会いしてから約1年ぶりの「生(ナマ)若田」さんは、一段と精悍な研ぎ澄まされた表情をしていた。印象的なのは「目」だ。通算802日間の宇宙滞在世界記録を持つロシアのセルゲイ・クリカレフ飛行士に会ったときにも感じたが、「宇宙を見た」人の極めた目、とでもいおうか。瞳の奥に深遠なる宇宙が宿っている。

 実は8月半ばにもテレビ会議を通じて、ヒューストンの若田さんに取材したのだが、そのときはまだ、帰還直後の安堵の余韻が大きかったように思う。一方、今回の会見で印象的だったのは「宇宙は強烈な体験」そして、「今までにない、厳しい仕事だった」という言葉だ。

 何が強烈だったのか。宇宙に飛び立つ前、若田さんは「約17年の宇宙飛行士の全経験を注ぎたい」と語っていた。ロボットアーム操作はもちろん、コミュニケーションや状況判断能力の高さなど世界の飛行士でもトップクラス。コマンダーにという声も高い若田さんにしても、国際宇宙ステーション(ISS)到着直後の2ヶ月は、予想以上の激務だったようだ。「3人であの大きいISSを運用していくのは大変です。スペースシャトルは最長2週間の飛行中でやるべく作業は身体にたたき込ませてから飛行するが、長期滞在ではそうはいかない。訓練していない作業が次から次に出てくる。毎日が新しい発見で、時間がすぎるのが早く一週間、一ヶ月があっという間だった」そう。

 若田飛行士は3月半ばにISSに到着後、アメリカ実験棟の太陽電池パネルを取り付けて展開するという大仕事を終えた。また尿を飲料水に処理する装置や運動器具の修理などスケジュール外の修理作業もあった。もちろん実験も目白押しだ。さらにトイレ掃除、ゴミ集め、貨物船で届いた荷物の配置など「ハウスキーピング」作業。そして1日2時間の運動。これらすべてを6人体制になる5月末までの2ヶ月半、3人でこなさなければならなかったのだ。

宇宙滞在4ヶ月半の間に、5つの異なるチームと過ごした。初の6人体制ではISS計画に参加するアメリカ、ロシア、ヨーロッパ、日本、カナダの宇宙飛行士が初めて勢揃いしたそう。(提供:NASA)  「どういう状況でもフレキシブルに対応しながら、色々な国の仲間と力を合わせて作業する。一番大切なのは『ユーモア』。そして、どんなに忙しくても食事の時間を共にしてコミュニケーションをとる。家族の団らんと同じですよ」(若田飛行士)

 大きなトラブルはなかったが、冷蔵庫の温度コントロールが誤作動して警報が出て夜中に作業したり、二酸化炭素濃度が高くなって対応したりとか、小さな不具合はいくつもあった。そんなときも操作を間違えると致命的な事態を招きかねないため、慎重に作業を行わないといけない。厳しい時期も仲間と力を合わせて乗り越えたことは「今後どんな仕事をするにも自分の糧になった」という若田飛行士は、宇宙を去るとき「1年ぐらいは宇宙に住める」と名残惜しかったという。

 驚くのは、超多忙だった初期の2ヶ月間も運動を続け、「地上に帰ってもすぐ歩ける」ことを早々と実感していたこと。実際、骨粗鬆症の治療薬の効果もあり、現在、骨量と筋肉の低下もほとんどないという。恐るべきタフガイ。ところで、ストレス解消のカラオケは?「きぼうの中で歌ったけど、一人では寂しかったそう」。日本のお仲間たちとエコーをきかせて存分に歌って下さいね。