コラム
星空の散歩道 国立天文台 准教授 渡部潤一
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vol.45
伝統的七夕を楽しもう

 七夕というと7月7日と思っている人が多いようだが、本来の七夕は、現在は使われていない月に準拠した暦(太陰太陽暦などの、いわゆる旧暦)の行事だった。そのため、現在の暦では8月上旬から下旬の頃になる。

参考:いて座を中心にした天の川。撮影:津村光則  国立天文台では、この昔ながらの七夕を「伝統的七夕」と称して、広く報じている。もちろん、旧暦はすでに明治5年に廃止され、日本では公式の月に準拠した暦は存在しないが、(詳しくは述べないが)独自の計算によって、伝統的七夕を定義している。伝統的七夕の方が、七夕として楽しむには適切な理由がいくつかある。

 一つは天候である。新暦の7月7日だと、全国的に梅雨が明けておらず、天候が安定していないことが多い。そのため、織姫・彦星にあえる確率は、梅雨明け後になる伝統的七夕の方がずっと高い。もっとも、伝統的七夕は毎年、日付が変わって不便なために、いわゆる月遅れの行事として、8月7日に行う地域も多い。ちなみに、今年の伝統的七夕は8月26日になる。

 二つ目は、伝統的七夕は、なんとか夏休み期間に入ることが多いことだろう。都会を離れて、田舎で天の川を眺めながら、その両側に輝く、織り姫と彦星を楽しむには絶好の季節である。

 三つ目、これは本質的なことだが、旧暦つまり月に準拠した暦なので、七夕の日は新月から7日目になる。つまり月齢6の月が南西の夜空に輝いている。実は、これは私は非常に本質的に大事なことではないか、と思っている。その理由を、回りくどいようだが七夕伝説をたどりながら説明しよう。

 七夕の主役はいうまでもなく織姫星と彦星。西洋名では、こと座のベガとわし座のアルタイルだ。どちらも1等星で明るく、都会でも時間と方向さえ間違えなければ、割と簡単に見つけることができる。そして空の暗いところでは、二つの星を分かつように天の川が流れているのがわかるはずである。

 彦星は、またの名を牽牛(けんぎゅう)星という。その名の通り、天の川のほとりで、牛を飼いながら暮らしているまじめな青年であった。その働きぶりが「天帝」の目に留まり、自分の一人娘である織姫の婿にと、引き会わせてみた。天帝の思い通り、ふたりはたちまち恋に落ちた。ところが、その後がいけない。どちらも恋に溺れて仕事をしなくなってしまった。牽牛の飼っていた牛は死にかけ、織姫が生地を織ってつくっていた神々の服装は、次第にぼろぼろになっていった。怒った天帝は、ふたりを会うことができないよう、天の川の両岸に離ればなれにしてしまった。そのために織姫星は天の川の西岸に、彦星は東岸に輝いているわけだ。

 ところが織姫は別れた牽牛が忘れられず、泣いてばかりの毎日となった。かわいそうに思った天帝は、これから二人ともまじめに働くという条件で、年に一度、七夕の夜にだけ会うのを許した。その後、まじめになった二人のため、七夕の夜になると、どこからともなくかささぎが飛んできて天の川に橋を架けるようになった。これが1年に一度の逢瀬、七夕伝説の基本的なパターンである。

 ところで、発祥の地である中国では、通常は織姫星が天の川を西から東へわたり、彦星へ会いに行くとされている。ここがポイントである。

 なにしろ、七夕というのは言葉通り、旧暦の7月7日。南西の夜空には月齢6の、上弦よりもやや細身の月が天の川の西岸に輝いている。この月の形を素直に見ると舟の形に解釈できる。その舟が7日の夜には天の川の西岸にある。そして一晩か二晩かけて、東岸へと動いていくのである。まさに天の川の西岸に輝く織姫星をのせて、天の川を渡る舟そのものと解釈できる。七夕伝説のデートの夜が、旧暦7日に設定されたのは、本来は他の理由だったのかもしれないが、この月を舟に見立てたという理由もあったのではないだろうか。

 その真偽はともかく、天の川をはさんでの宇宙の遠距離恋愛はたいへんだなぁ、と同情する人が多いことだろう。確かに1年に一度という頻度は、人間の感覚にするとずいぶん待ち遠しい。しかし、星の年齢は人間に比べれば永遠に思えるくらい長い。彦星も織姫星も、天文学的にはやや若い青年期の星で、少なくともあと10億年以上は長生きすると考えられる。仮に10億年生きる星の年齢を、100歳まで生きる人間に置き換えてみれば、1年ごとに会うという頻度は、100歳まで生きる人間にとっては、なんと3秒に一度。実は、ほとんどいつも一緒にいるのと同じなのである。

 8月26日の伝統的七夕の夜には、船の形をした月を眺め、そして織姫と彦星に願いを託してみてほしい。