現代の経営学は、世界中の研究者によって経営のあらゆる側面に対する研究が行われ、日々新しい理論の発表やその検証が行われています。しかし、その多くは一般にはあまり知られていません。早稲田大学ビジネススクール教授の入山章栄氏は、著書「ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学」の中で、こうした最先端の経営学を一般のビジネスパーソンにも分かりやすく解説しています。今回は同書の内容をベースに、知られざる経営学の世界を紹介します。
知られざる最先端の経営学の研究成果を紹介
経営学の研究は、経営戦略や組織戦略、マーケティング、製品開発、財務、人事や労務管理、働く人の心理、さらには、あるべきリーダーシップ像など、企業や組織のあらゆる活動が対象になります。
多くのビジネスパーソンにとって、経営学はMBA取得のためにビジネススクールで学ぶものというイメージがあるかも知れません。『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』は、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄氏が、一般にはあまり知られていない最新の経営学の成果について解説した書籍です。
入山氏によれば、ビジネススクールで教える経営学の内容は、学術的な知見を実務の世界で使いやすいように、分析ツールの形に落とし込んだものに限られるといいます。元の学術論文は、そのまま実務に役立てるには専門的過ぎるためです。これが近年急速に進化している経営学の最先端の知見が、なかなかビジネスの現場に還元されていない原因となっています。しかし、最先端の知見にはビジネスにとって有用な研究成果が数多くあります。同書では、イノベーション、グローバル化、組織学習、ダイバーシティー、競争戦略、リーダーシップ、CSR、女性の企業参加、同族経営など、日本のビジネスパーソンにとっても興味深いテーマについて、最先端の経営学の知見が紹介されています。
イノベーション理論のスタンダード「両利きの経営」に関する知見
画期的な製品やビジネスモデルによって業界に不連続な変化を起こすイノベーションの創出は、経営学においても重要なテーマの1つで、多くの研究が行われています。
同書では、世界の経営学で最も研究されているイノベーション理論の基礎として、「両利きの経営(Ambidexterity)」という概念を挙げています。これは、左右両方の手が上手く使える人のように、「知の探索(Exploration)」と「知の深化(Exploitation)」という2つの活動をバランス良く進める経営を指します。イノベーションの源泉の1つは、既存の知と別の知の新しい組み合わせにあります。このためイノベーションを起こすためには、新しい知を取り入れる「知の探索」を続ける必要があります。一方で、新しい知から利益を生み出すためには、それを深化させる必要かあります。この2つの知のバランスをうまく取るのが両利きの経営です。しかし現実の企業活動は、どうしても短期的な利益が確実に見込める「知の深化」に偏りがちになる傾向にあります。長期にわたって探索と深化のバランスを維持するのは容易ではありません。
両利きの経営の有効性を、実際の企業のデータを使って検証した研究があります。例えば、世界のロボット企業124社の特許データから企業の「知の探索」と「知の深化」を計測した統計分析からは、「知の探索」と「知の深化」を同時に実現している企業ほどイノベーティブな製品を生み出しやすいという結果が報告されています。また、実際に両利きの経営を実現するための組織体制の構築や、両利きの経営者に必要なリーダーシップのあり方についての議論なども紹介されています。イノベーションという1つのテーマをとってみても、様々な角度から分析・検証が行われていることが分かります。
“チャラ男と根回しオヤジのコンビが最強”の意味するところ
本書のユニークな点として、一般のビジネスパーソンにとっても親しみやすい語り口で最先端の経営学を解説している点があります。
例えば、創造性とイノベーションに関して解説した章には「チャラ男と根回しオヤジこそが最強のコンビである」というユニークなタイトルが付けられています。
これは、イノベーションを実現するうえで必要な2種類の人脈を端的に表した言葉です。イノベーションに必要な「知の深化」においては、人と人とのネットワークが重要です。異なる分野の人と接することで、人は新しい知に触れる機会を増やすことができるからです。そして新しい知の組み合わせを生むには、弱いつながりを多く持つ方が効果的であることが経営学のコンセンサスとなっています。この弱いつながりを沢山持つ人物を入山氏は「チャラ男」と表現しています。
一方、チャラ男の弱いネットワークから生まれたアイデアを新規事業として実現するうえでは、様々な人の多大な協力が不可欠です。そのためには、社内に強い結びつきを持つ人の手助けが必要となります。この強い結びつきを持つ人を入山氏は「根回しオヤジ」と呼び、両者を合わせたコンビが、イノベーションを生むための最強のコンビだと解説しています。また、これらイノベーションに関する最新の知見をベースに、日本企業が過去に実現したイノベーションや、これからの日本企業のあり方についての提言も行っています。
ダイバーシティー経営の効果や同族企業の優位性も研究対象に
そのほか、本書には「ダイバーシティーには能力・経験などの”タスク型の人材多様性”と性別・国籍などの”デモグラフィー型の人材多様性”の2種類あり、その峻別が重要である」「ブレインストーミングでのアイデア出しは効率が悪いが、それ以外のメリットがある」「同族企業の業績は悪くない」など、興味深い研究成果が数多く紹介されています。
経営学は、ビジネスパーソンが普段からなんとなく感じている感覚や疑問、経験則に、理論的な背景を与えてくれる存在ともいえます。また、通常は主観的、定性的な評価で終わってしまうことが多い企業活動に関して、研究者がどのようなデータや分析手法を用いて客観的、定量的な評価を行おうとしているのかを知ることもマネジメントの参考になるでしょう。
経営学の成果は、実務において絶対的な正解となるわけではありません。また、実務で使いやすいようにツール化された理論以外は、必ずしも直接的にビジネスの現場で役に立つとは限りません。こうした点を理解していれば、最新の経営学の知見はビジネスパーソンに新たな視点や気づきを与えてくれるはずです。
- 本記事は、早稲田大学ビジネススクール教授の入山章栄氏への取材に基づいて構成しています。
経営学の知見と経営の現実・実務
出典:入山章栄
ビジネススクールで学ぶファイブフォース分析などの知見は、実務で使いやすいようにツール化されたもの。それ以外の知見は、専門家以外には分かりにくいなどの理由でなかなかビジネスの現場には届かない。
早稲田大学ビジネススクール(大学院経営管理研究科)
経営学博士 教授入山 章栄 氏
早稲田大学ビジネススクール教授
慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所で主に自動車メーカーや国内外政府機関へのコンサルティング業務に従事した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授。2013年から現職。Strategic Management Journal, Journal of International Business Studiesなど国際的な主要経営学術誌に論文を発表している。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』(英治出版)、『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』(日経BP社)がある。