BCPをより着実なものにするには
安全学の見地でリスクを正しく評価し
組織全体に安全文化を定着させること
2024年6月 | EXPERT INTERVIEW
BCPを策定するうえで、企業の安全をおびやかすリスク要因を正しく理解しておく必要があります。リスクを低減し、事業を継続していくために、経営者や従業員は何を意識し、どういった行動をとらなければならないか。それを考えるヒントは、安全を理念的、技術的、人間的、組織的な側面から総合的に捉える「安全学」の中にあります。そこで、安全学の第一人者である明治大学 顧問 名誉教授である向殿政男氏に安全学の見地から企業の災害対策、リスク管理、安全への取り組みについて伺いました。
明治大学 顧問 名誉教授向殿 政男 氏
明治大学 顧問 名誉教授、校友会名誉会長、公益財団法人 鉄道総合技術研究所 会長、一般社団法人 セーフティグローバル推進機構 会長。明治大学大学院工学研究科電気工学専攻博士課程修了。明治大学工学部教授、同理工学部教授、情報科学センター所長、理工学部長を経て、2013年から名誉教授。2009年から明治大学校友会会長。経済産業省製品安全部会長、国土交通省昇降機等事故調査部会長、消費者庁参与などを歴任。主な著書に『安全四学 ―安全・安心・ウェルビーイングな社会の実現に向けて―』(共著、日本規格協会)、『安全学入門』(共著、研成社)、『Safety2.0とは何か? 隔離の安全から協調安全へ』(中災防)など。
明治大学
安全に関する様々な側面を分野横断的に統合した「安全学」
新型コロナウイルス感染症や能登半島地震について、向殿氏は安全学の見地から次のように評価しています。
「コロナ対策で政府は未知のウイルスに対する方針を定め、専門家のアドバイスを受けながらしっかりとした対応をしたと思います。能登半島地震については未然防止が大切であり、BCP策定の重要性が改めて浮き彫りになったといえるでしょう」
安全学とは、安全に関する「技術的側面」「人間的側面」「組織的側面」の3つを、安全哲学などの理念的側面のもと、合法的、合理的、人の納得理解で統合・統一した学問のことです。向殿氏は「Safenology(セーフノロジー)」という用語を作り、世界に発信しています。安全学に取り組んだきっかけについて、向殿氏は次のように語ります。
「私はものづくりの現場で鉄道安全、機械安全、製品安全などの分野を中心に活動してきました。各分野において安全に関して素晴らしい考え方があるものの、その中に閉じていることを残念に思っていました。そこで、各分野の共通部分を体系化することで、多くの分野で役に立つと考えました」
向殿氏は安全学の構造を安全曼荼羅(安全マップ)と名付け、三層構造で説明しています(図2参照)。第一層の理念的側面と、特定分野で考えられた安全技術のエッセンスを抽象化した第二層の考え方を理解することで、第三層の個別分野に新しい安全技術を取り込むことができるようになります。
図2:安全曼荼羅(安全マップ)
資料提供:向殿 政男 氏
“想定外”は必ず起こるその事態に備え、体制を整えておく
安全学は基礎安全学と社会安全学、経営安全学、構築安全学に分類されます。その中の経営安全学では、経営者や企業のトップクラスが知っておくべきことをまとめたもので、BCPは経営安全学の一部と見なされます。
「企業が実現すべき安全は、顧客の安全、従業員の安全、企業体の安全の3つで、BCPは企業体の安全に含まれます。これまでの企業安全はネガティブな領域を減らす方向で考えていましたが、私は安全、健康、ウェルビーイングを一緒に考えたポジティブな面を重要視しています」
経営のトップは事前のリスクを前もって予測し、リスクが発生したときに備え予め体制を整えておくことが重要と向殿氏は指摘します。
「“想定外”は必ず起こると想定しておくことが大切で、BCPにおいては守るべきものが人なのか、材料なのか、取引先なのかを定義し、それをどう維持するのかを準備しておくことです。事前にリスクを予測し、その大きさを評価して許容範囲を定めるのがリスクアセスメントです。そのリスクに対して、退避するのか、軽減するのか、保険をかけて転嫁するのかなど、手段を講じるのがリスクマネジメントであり、その最終決断は経営トップがしなければなりません」
企業の中に「安全文化」を構築しトップから現場までが同じ考えで定着させる
経営安全学における重要な目標は、企業の中に「安全文化」を構築し、定着させ、トップから現場までが同じ考えで安全を大切にすることにあります。組織の安全文化はトップがコミットを持ちつつ、ボトムアップ型で進めることが重要です。向殿氏はトップダウン型の手法を「ビジョン・ゼロ」として活動を推進していますが、「安全文化は従業員が自分の問題として捉え、自ら動いた時にできあがるものです。このボトムアップ型が定着することで、トップが交代しても安全を大切にする文化は必ず維持されます」と語ります。
また、向殿氏は「安全はコストでなく投資である」とし、BCP策定のような非常事態への備えは企業に対してポジティブな効果をもたらすと強調します。
「経営者は、従業員が失敗しなければ事故は起こらないと考えがちですが、事故は必ず起こるものと想定して、起きた時はどうするか、起きないようにするにはどうするかを考えて手を打つことでしか安全は手に入りません。その結果として事故は減り、企業が成長して収益が拡大すると考えて欲しいと思います。社員のモチベーションと比例して安全度も高まり、企業価値も高まっていきます」
ICT時代の「協調安全」を「Safety2.0」で実現する
IoT、AI、ビッグデータといったICT技術が発展する中、向殿氏は「協調安全」「Safety2.0」を提唱しています。協調安全とは機械と人間・組織・環境が互いにデジタルデータを共有し、協調して安全を実現しようとするもので、協調安全の概念を実現する技術を「Safety2.0」と呼んでいます。
「例えば、従業員の経験、資格、バイタルデータなどを集めてAIで分析すると、作業中の機械が「経験が浅い人がいるからゆっくり動こう」「ぶつかりそうだから止まってあげよう」と判断するようになります。また、人間に対して事故が起こりそうなタイミングを知らせたり、スキルを判断して警告を発したりすることもできます。このように、機械と人間・環境がデジタル情報を共有して協調する時代を迎えており、その最たるものが自動車の自動運転です」
最後にBCPに取り組む経営者や担当者に対して、向殿氏は次のようなメッセージを送ってくれました。
「安全は放っておくと劣化し、対応を怠るようになっていきます。リスクというのはいつ起こるか分からないものです。痛い目にあわないように、事前に何を守るべきかを考え、見直しながら常に改善して欲しいと思います」