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大気観測への第一歩。通年観測の扉を開く。

極地の厳しい気象状況に阻まれながらも、
第一歩を踏み出したPANSY計画。
その第二陣として、第53次南極地域観測隊に
参加した通信機製作所の伊藤礼氏は、
長年の憧憬の地・南極に降り立ち、
雪に埋もれたアンテナの復旧とシステムの再構築に尽力し、
通年の観測データ取得成功に貢献しました。
通年観測に至るまでの苦労や厳しい環境下における
技術的な挑戦について、
お話を聞きました。

夢の灯、ともる

Q. 学生時代から南極に憧れを持っていたそうですが、今回、 どういう経緯で参加することになったのでしょう?

南極に行ってみたいという憧れや夢は漠然とは持っていましたが、それほど強い思いというわけではなく、ほとんど忘れかけていたところに、会社の公募があって、心が動いたというのが正直なところです。
PANSYのプロジェクトが社内で立ち上がった時は、違う部署だったので傍観していました。公募の時も、最初は“誰かいないんだろうか”と他人事のように思っていたのですが、レーダーなら経験があるし、

学生の頃に大気レーダーの研究もやっていたので、これならと思い、応募しました。学生時代の研究室に、今回の第53次隊の隊長をされた極地研究所の山岸久雄教授がいらしたというご縁も大きかったと思います。そういう意味では、この歳になってようやく夢の灯がともったかなと思っています。

Q. 憧れの地・南極への第一歩、どんな感じでしたか?

この年齢になると、そう簡単に心動かされることはないのですが、まさかこれほど感激するとは思いませんでした。

本当に毎日が感動の連続。いきなり雪と氷の世界が目の前に広がり、それもやがて見慣れてくるんですが、それでも毎日、何かしら感動していました。

太陽の沈まない世界で

Q. 南極入りに際して印象的な出来事はありましたか?

2011年11月25日に成田を出発し、帰国したのが、2013年3月20日。オーストラリア経由で南極に入りましたが、往路が約3週間、復路では約5週間かかりました。ちなみに復路に時間がかかったのは、海洋観測のためにいろいろ立ち寄ったからです。昭和基地に到着したのは、12月24日。クリスマスイブでした。オーストラリアを出たのが11月30日なので、25日間くらいかかったわけです。この時、氷が厚かったため、南極観測船「しらせ」が昭和基地の近くまで接岸することができませんでした。氷は薄いところで3m、厚いところでは5〜6mになり、ヘリコプターで偵察し薄そうなところを探しながら進むのですが、世界最強の砕氷艦をもってしても割ることができず、結局、基地から20kmほど離れた場所に着きました。

物資は大型ヘリコプターによる空輸と氷上輸送で運びますが、基地までの距離があるため、運ぶものが限られます。特に氷上輸送の場合、数台のソリに載せた物資を雪上車で牽引するのですが、直線距離で進めるわけではなく、氷の状態を見ながら、危険なクラックなどを迂回するため、距離的には30kmくらいになります。雪上車のスピードは時速10km程度なので、単純計算でも3時間。しかも、昼間は氷が緩んで走りにくいため、運ぶのは気温が下がる夜。夜といっても白夜なので明るいのですが、時間的にすべての物資を運ぶことはできません。越冬に必要な食料と燃料を優先し、その他の観測機材や建設機材は、どれを運ぶか、みんなの意見を集約して隊長が決定します。結局、基地に運び込めた観測用の機材は予定の半分ほどだったため、作業も限定されることとなりました。

通年観測への道

Q. 到着後、どのような作業に取り組んだのですか?

到着したのは夏ですが、南極の夏は短く、1月20日くらいに白夜は終わります。2月から徐々に冷え込むため、屋外で作業ができるのは、12月の終わりから1月いっぱいまで。その短い夏を利用して、アンテナを建設し、レーダーとしてのシステムを作り上げなければなりません。池田さんたちの第52次隊はかなりの雪に見舞われたようで、我々が到着する直前にもブリザードが吹き荒れ、せっかく除雪したところが埋まってしまっていたのです。そのため、我々の最初の仕事は、その雪を取り除くことから始まりました。残念ながら、池田さんたちが苦労して設置したアンテナは半数以上が雪に埋もれてしまい、今後も使用が見込めない状況だったので、やむなく32群分を別の場所に移設することになりました。 「しらせ」の接岸が叶わず、物資が十分に届かなかったため、全55群のうち12群のシステムのケーブルを敷設、部分的にシステムを構築・調整し、観測にこぎつけました。

この12群は、第52次隊が建てた基礎を使用しています。 12群による本格観測を開始したのが2012年4月末で、今年5月までの約1年間、観測を継続し、南極での通年データの取得に成功しました。我々第53次隊が行った機器設置は約1/4で、次の第54次隊と合わせて約半分が完成することになります。レーダーですので、規模が大きくなるほど能力が上がり、遠くまで観測できるようになります。フルシステムでは高さ500kmまでの計測が可能になりますが、1/4の規模でも、ある程度の高さまでは観測することができます。現在は下部成層圏といわれる地上約14kmまでの領域の乱流散乱エコーと、中間圏といわれる50kmから90kmくらいの領域から受信されるPMSE (Polar Mesosphere Summer Echo) や、PMWE (Polar Mesosphere Winter Echo) という極域特有の散乱エコーの観測ができるようになっています。

初めての越冬体験

Q. 越冬生活は、どのようなものでしたか?

夏の期間だけ作業に従事する夏隊が2月中旬に帰国すると、そこからは越冬隊だけの生活になります。第53次隊は、隊長含めて31名が越冬しました。私はPANSY担当として、まずPANSYの試験調整や稼働に向けた屋内機器の調整を行い、稼働後は、観測が途絶えないように、基地の居住区域から観測機器が設置されている“PANSY小屋”までの10分程の道のりを、毎日、午前と午後の2回往復し、機器の稼働状況をチェックし、メンテナンスするのが日課となっていました。 越冬隊員は基地運営をする上で、さまざまな生活係を分担します。私はバー係で、基地内にあるバーのバーテンをやっていました(笑)。

アルバム係や漁協もやりました。漁協というのは、魚を釣ったり、釣り大会を開催したりする担当です。浅いところでは、ショウワギスというハゼみたいな魚が釣れますが、それを釣る釣り大会も企画しました。当然、獲物は食卓に上ります。

ライブで子供たちと交流〜南極教室

Q. 越冬中に、TV会議で子供たちとライブ中継をしたそうですね。

南極教室は、越冬隊が年間10数回、隊員ゆかりの小学校・中学校と昭和基地をTV会議でつなぎ、基地や南極の様子を子供たちに紹介するというライブ交流イベントです。出発前に募集があったので、母校である茨木市立中条小学校に持ちかけたところ、ぜひやってほしいということで実現しました。出発の時には子供たちから励ましの手紙もいただきました。

実施されたのは6月29日で、前半は、偶然近所に在住していた53次夏隊員の方にお願いし、子供たちに防寒服や南極の氷の実物を見せて盛り上げてもらいました。後半は私が担当した南極とのライブ中継で、基地や南極の自然を紹介し、南極クイズなども行いました。基地の外の様子をライブ画像で伝えたかったのですが、季節がちょうど一日中太陽の昇らない極夜の時だったので、真っ暗で何も見せられませんでした…。

Q. 南極の氷というのは、普通の氷と違いがあるのですか?

南極の氷で特徴的なのは、氷山の氷です。大陸の上に何年も降った雪が空気と一緒に固められて凍り、氷床となり、この氷床が流れ出たのが氷河です。氷河が海に落ち、浮いているのが氷山で、それが長い年月をかけて昭和基地の近くまでやって来て、それを氷として採っているわけです。

何万年も前の空気が一緒に固まっているので、溶ける時に空気の弾けるプチプチプチという音がする。それが特徴です。純水なので、ミネラルも何も含まれていないため、氷としては味がありませんが、長い年月をかけてできたものなので、歴史を飲んでいる感じがします。

三菱電機の挑戦

Q. 今回、三菱電機として技術的な新しい試みはあったのですか?

今回PANSYでは、基地の電力事情に対応するため、東大・極地研・京大の研究者グループからの情報により、送信アンプに電力効率の高い増幅器(E級アンプ)を開発、適用しました。越冬では燃料のほとんどを発電に使います。従来の送信アンプでPANSYがフルシステムで稼働すると、基地発電機の電力をすべて使ってしまうくらいの規模になります。いかに電力消費を減らすかが課題で、アンテナを大きくしてトータルの送信電力を下げ、さらにE級アンプを適用することで効率を上げ、電力消費を1/3にまで下げたわけです。もう一つの試みは、電力や信号を送るケーブルに、厳しい極地環境下でも、10年以上安定した性能が出せるような工夫を施した点です。耐久性も必要ですが、単に電気がつながればいいわけではなく、高周波信号の位相が安定した状態で供給されなければならないので、その性能確保という面で、内部充填材や外側の皮膜の部分などに工夫をしています。

極地という厳しい環境に、こうしたレーダーを構築し、しかも1年間稼働しているという実績が得られたことは、お客様である研究者の方々に対する信頼はもちろん、科学分野に対する貢献という意味でも、大きな成果が得られたと思います。これまで京大と共に信楽MUレーダーや赤道大気レーダーという大型大気レーダーの分野を牽引してきた実績があるからこそ実現できたわけで、それこそが三菱電機の技術力の高さだと思います。いきなり南極のような厳しい環境下でお客様のご要求に応えるレーダーをつくれといわれても、簡単にできるものではありません。E級アンプは新しい試みですが、今まで培った技術の集大成の上に、新しいチャレンジが加味されている。それは三菱電機だからこそ可能なのだと思います。いずれにしても、南極の地に、こうした大型レーダーを建設する上で、重要な役割を果たすことができたというのは、本当にすごいことだと思います。地球規模で大気の流れが観測できるようになれば、世界的にも歴史的にも大きな意義のあることですから、それに少しでも貢献できたことを誇りに思っています。

写真提供:©53次観測隊 伊藤礼

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