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from南極SPの第3弾は、前2回のインタビューで
お話を伺った二人にご登場いただき、
未知の大陸・南極で暮らした1年におよぶ
越冬生活の実際や南極の魅力、
そしてPANSY計画におけるそれぞれの成果や
ご自身の仕事に対するお考えなど、
多彩なテーマについて語り合っていただきました。

南極の魅力

Q. 南極大陸は、多くの人にとって、未だ夢やロマンをかき立てられる未知の世界であり、容易に近づくことができない場所です。1年におよぶ越冬生活を経験されたお二人にとって、南極の魅力とは、何だと思われますか?

伊藤/ その厳しさ・美しさという意味でも、やはり自然でしょう。空気がきれいで、気温が低く、磁力線が集まる極という場所であるがゆえに、自然の多様な美しさと神秘的な現象に出会える、そこが魅力だと思います。光学現象として蜃気楼が見えたり、地球影という地球の影が見えたり。特に印象的なのは、青とピンクの空の色です。それと、太陽のありがたみは、極夜を経験すると、ひしひしと感じます。

池田/ 1ヵ月半程の間は、太陽が出ませんからね。地平線近くまで昇って来て、薄暮くらいの明るさにはなるので、24時間真っ暗というわけではありませんが、それも一瞬で暗くなります。あとは、オーロラ。でも、初めて見ると感動しますが、次第に慣れてきて、「ああ、また出ているね」となる。

伊藤/ 「今日のはしょぼい」「昨日よりはすごいぞ」とランキングが始まります(笑)。

星空に魅せられて

伊藤/ 星空は、ちょっと言い尽くせない美しさです。何もないところに金星だけがぽつんと見える景色も、日本で見るのとはまったく違う。

池田/ 星の数が、ちょっと尋常ではないですね。星って、こんなにあるのかと驚きます。

伊藤/ 天の川も、日本だと星が集まって見える程度。でも、南極では、雲みたいに見えて、それがすべて星。まさに星雲です。

池田/ 空全体に星がびっしりと敷き詰められている感じです。昔の人が星空を見上げながら神話を創造した、その気持ちがわかります。きっと、ああいう空を見ていたんでしょうね。我々は汚れた空の下で、いつの頃からか星の存在を忘れてしまった。普段、夜空を見上げることすら、しなくなりました。でも、星は昔も今も変わることなく輝き続けていたんだ、ということに、南極の空を見て気づかされました。

Q. 南極滞在中に、生きものとの出会いはありましたか?

池田/ 夏の時期はペンギン、アザラシがいます。その他にも、ユキドリやオオトウゾクカモメもよく見ます。

伊藤/ 生きものが見られるのも、3月くらいまで。ペンギンやアザラシは氷の裂け目から海に入って、魚などを餌にしています。冬になると、昭和基地の近海は全面凍って海に入れないので、餌の取れる北方へ移動します。

池田/ 冬は、昭和基地の周辺には人間しかいませんからね(笑)。

さまざまな自然現象との遭遇

Q. 印象的な自然現象には遭遇されましたか?

池田/ 蜃気楼は頻繁に見ました。

伊藤/ 気温がマイナス15〜20度くらいだと、氷山が二重に見えたり、空中に浮かんで見えたり、陸地が反転して見えたり、太陽がつぶれて出ていたり。

池田/ 最初はみんな、喜んで写真に撮っているんですが、そのうち誰も撮らなくなる(笑)。

伊藤/ 5月30日くらいから7月12日くらいまでが極夜ですが、その間は本来、太陽は出ないはずなのに、蜃気楼で太陽が顔を出すことがあります。その時は、太陽のありがたみをすごく感じる。みんな、作業の手を止めて「おひさま」を見ていましたね。

池田/ 久しぶりの太陽だと、初日の出みたいに、みんなで見ますね(笑)。

零下40度の世界

Q. 自然の厳しさを実感されたことはありますか。

伊藤/ PANSY小屋に詰めていた時に、天候が怪しくなってきたことがありました。気象担当の人に連絡したら、“そろそろ戻ったほうがいい”といわれたので、すぐに外へ出ましたが、そこで天候が急変してしまったのです。15m/s以上の風と雪が降り始め、基地までライフロープを辿って戻りましたが、あの時は、自然は侮れないなと感じました。

池田/ 伊藤さんたち53次隊では、「しらせ」が昭和基地に接岸できず、かなり長距離の氷上輸送をすることになりました。我々52次隊がその輸送を担当したのですが、雪上車で荷物を取りに行くのに片道3〜4時間くらいかかるんです。雪上車7〜8台で隊列を組んで進む途中、地吹雪が吹き始め、あっという間に前方の車が見えなくなるくらいになりました。回転灯やライトをつけていますが、猛烈な地吹雪でまったく見えない。無線で止まれ・進めの指示をしながら、少しずつ動こうとしましたが、どうにも危険なので基地に引き返すことにしたんです。ところが、戻ることもできない。その場で立ち往生し、地吹雪が弱まるのを待ちました。越冬後の夏季期間中でも、ホワイトアウトに近い状況になることもあり、改めて自然の中では気が抜けないと思いました。

食事で無性に食べたくなるもの

Q. 越冬生活で食べたくなったものはありますか?

伊藤/ 大阪人なので、しゃきしゃきキャベツのお好み焼きですね。6月頃にキャベツがなくなり、食べられなくなったので、帰国して伊丹空港に着いたその脚で食べに行きました。

池田/ 生卵もなくなりますから、卵かけご飯も食べたくなりますが、何より、ぴりっと辛い大根おろしですね。ざるそばに入れたりするのですが、すりおろしたものを冷凍したのはあっても、生の大根のおろしじゃないとぴりっとしない。薬味として新鮮な大根おろしがほしかったですね。

伊藤/ 生鮮品から徐々になくなるので、新鮮なもの、瑞々しいものがほしくなりますね。

プロジェクトにおける、それぞれの成果

Q. 今回のお二人それぞれのミッションにおける成果とは、何でしょうか?

池田/ 私の場合は、第一陣としてPANSYの礎を築くことができた点でしょう。2011年3月末までに初観測を行うというミッションもクリアできましたし、後々、引き継がれていくであろう、PANSYの礎を築くことができた。無事に第一歩を踏み出せたのは成果だと思いますし、私自身としても、プロジェクトに貢献できたことは嬉しかったですね。

伊藤/ 我々はその後を引き継ぐかたちで現地入りしましたが、残念ながら、池田さんたちの成果がほとんど雪に埋もれてしまった。我々は、そこからアンテナ移設とケーブル敷設をしました。池田さんたちが高台に設置した12群のアンテナを活かしてシステムを構築し、通年の観測データの取得に成功しました。最初に電波を出して、エコーが見えた時は嬉しかったですね。

池田/ 我々52次隊の努力も一部が受け継がれて、成果に貢献できたわけですね。ちょっとホッとしました(笑)。

大気観測にもたらされるメリット

Q. PANSYレーダーが稼働することで、大気観測において、どのようなメリットがもたらされるのですか?

伊藤/ 今まで知られていなかったデータが得られる点が大きいと思います。かつて誰も観測したことがない南極の大気の動きや、さらに上空500kmという高さにまで達することで、電離圏と呼ばれる領域のプラズマの振る舞いなどがわかるようになります。

池田/ そこに何があるのか、どうなっているのかわからないから、知りたい、観測するということですね。それが発見につながっていく。コロンブスはアメリカ大陸を発見するために航海に出たわけでなく、出たことで発見できた。今回のPANSY計画も同じだと思います。大気観測のデータはまだまだ少なく、わからないことも多い。とはいえ、1,045本のアンテナをすべて設置したからといって、すぐに大発見につながるわけではないかもしれません。長い間、継続して観測することで、大きな発見につながる、その第一歩を踏み出したわけです。

伊藤/ オゾンホールも、昭和基地で最初に発見されたものですが、ある日突然、わかったわけではなく、長い間のデータの蓄積があったからこそ、発見につながったわけです。継続して観測し、その蓄積したデータを見ることで、地球規模の大気循環のメカニズムが徐々にわかってくる。

池田/ 地球というこの星は、まだまだわからないことだらけですからね。でも今回のプロジェクトで、ついに三菱電機の技術が南極観測で大きな役割を担うことができたかと思うと、感慨深いものがあります。南極という自然環境で稼働するレーダーを研究者グループと共に南極観測事業のもとで構築し、多くの観測隊員と力を合わせて大量の機器を設置し、観測の成功に貢献した三菱電機を誇らしく思います。日本国内や赤道直下で培った技術も含め、ブリザードやマイナス30〜40度の環境下にも耐えうる観測システムをトータルでつくれるのは、三菱電機なればこそ。ケーブル、屋外分配装置、モジュール、屋内機器など、あれだけの規模のものをトータルで提供できるのは、三菱電機の技術力の賜物です。

Q. 三菱電機のレーダー技術は、次にどこをめざすのでしょうか?

伊藤/ これからはネットワーク化でしょう。中緯度(北緯35度)としては、信楽にMUレーダーがあり、赤道直下には赤道レーダー、南極にPANSYレーダーがある。その間隔をもう少し狭めるようなかたちでレーダーを増やし、北極にも設置することで、グローバル規模の大型レーダーネットワークをつくる。地球規模の大気の流れを同時に観測し、解明できるようになれば素晴らしいですね。

池田/ 昭和基地は南極大陸の端の東オングル島に位置しており、最低気温もマイナス40度くらいにしかなりません。でも、南極の中心部に行くと、さらに厳しい環境下で、気温もマイナス60〜70度の世界。今回、やっと南極の入り口に到達したというイメージです。今後は、気象的にさらに厳しい南極大陸内陸部を最終ゴールとしてめざす可能性もあるでしょう。その意味では、寒冷地観測における実績として、今回のプロジェクトは意義深いものだったと思います。

仕事の面白さ

Q. お二人は、仕事のどういうところに面白さややりがいを感じていますか?

伊藤/ 学生の頃からレーダー研究に携わってきて、入社後は防衛用のレーダーを手がけるなど、上流工程から関わり、お客さんのニーズを踏まえて、製品を企画し、システム設計するという立場で仕事を続けてきました。ものづくりに関わる以上、お客さんのためにつくったものが実際に製品化されて、使われ、評価が得られた時は嬉しいですね。仕事の面白さも、そこにあります。もともと大きいものをつくりたかったので、レーダーのような規模の大きいものを手がけているというのは、手応えを感じます。

池田/ 今までなかったものをつくる仕事なので、設計段階から、“ああしよう、こうしよう”と試行錯誤しながら、ゼロベースでものづくりをしているところにやりがいを感じています。また、三菱電機が手がける製品は、スケールが大きい。PANSYも日本だけではなくて、世界的に注目を集めているプロジェクトで、そこで得られるデータは人類の共有財産となりうるものです。そういうスケールの大きいプロジェクトに携われたというのは、やりがいにつながっています。

臨機応変に対応する力

Q. 最後に読者にメッセージをお願いします。

伊藤/ 南極に行きたかったといっても、ひたすらそれに向けて邁進したわけではありませんが、結果的に憧れの地に立つことができた。その意味では、夢を捨てずに一生懸命やっていれば、いつか報われるだろうと思います。越冬隊員に訊くと、何としても南極に来たかっという人が結構います。そのために、南極観測隊に関わりの深いメーカーに入社したという人もいて、南極というのは、それくらい人を引きつけてやまない魅力がある。そういう人たちが口を揃えていうのは、“努力すれば、何とかなる”。私も、これをメッセージにしたいと思います。

池田/ 視野を広げて、いろいろなことにチャレンジするのが大切だと思います。芯になるものは一つ必要ですが、そこから裾野を広げていく。周りに目を向けてみると、新しい芽があったり、自分がやってきたことが別の場面で活かせたりするので、いろいろ柔軟に経験したほうがいい。南極という場所でも、そういう柔軟性、臨機応変に対応できる能力が求められますから。

伊藤/ 確かに応用動作が求められますね。もちろん、応用を利かせるためには、基礎がしっかりしていないとできませんが。

池田/ 自然相手なので、決まったとおりには進まない。いろいろな知識やフットワークの軽さがないと、とても乗り越えられない場所だと思います。でもそれは、人生も同じかもしれませんね(笑)。

写真提供:©52次観測隊 池田満久、53次観測隊 伊藤礼

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