Vol.4
「はやぶさ2」と生命のレシピ
小惑星探査機「はやぶさ2」が帰還した。コロナ禍の日本にとって、久しぶりといってよい明るいニュースであろう。
「はやぶさ」初号機とは違い、「はやぶさ2」は地球大気に突入せず、サンプルの入ったカプセルだけを地球に届けた。探査機本体は、カプセルを切り離した後、地球をかすめるように通り過ぎ、別の小惑星を探査すべく新たな旅へと出かけて行った。
2020年12月6日、オーストラリアのウーメラ砂漠では、現地入りした回収班によって、大気圏で減速し、軟着陸した「はやぶさ2」のカプセルが無事回収された。ウーメラ砂漠に聞き覚えのある方もおられるかもしれない。10年前の2010年6月、「はやぶさ」初号機がサンプルを届けたのも、このウーメラ砂漠であった。
砂漠の早朝は美しい。僕も調査で毎年のようにゴビ砂漠に出かけているが、朝の冷え切った空気、果てしない地平線、雲切れ一つない薄明けの空に、紅茶で暖まった自分の白い息がとけるさまは何とも言えない。自分は生命だということを認識する瞬間だ。ウーメラ砂漠の回収班は、さらなる感動を味わったに違いない。空に光の尾を引く人工のカプセルは、画面を通じて見ても本当に美しい。
今回は、「はやぶさ2」が届けてくれたサンプルの話をしよう。これを執筆した日(2020年12月8日)に、カプセルは日本に到着したばかりである。カプセルにどんなものが入っているのか、その期待や夢を科学者たちに語ってもらおう。まだ中身を確認する前だからこそ、好きなことが想像できる。読み終えれば、なんだ、小惑星について何もわかってないじゃないか、と皆さんは思うかもしれない。そう、その通り。まだ何もわかっていないのである。
小惑星リュウグウには有機物がある?
「カプセルには真っ黒の粒子、例えるなら、粗びきしたての深煎りコーヒーのような粒子がきっとたくさんあるでしょう。その正体は有機物だと思っています。」
こう語るのは、JAXA宇宙科学研究所・教授の臼井寛裕さんだ。臼井さんの専門は太陽系物質科学、すなわち隕石などの地球外物質から、太陽系天体の成り立ちや進化を明らかにする学問である。臼井さんは、JAXAでキュレーションという帰還サンプルの管理と初期分析に携わっている。サンプル到着を最も心待ちにしている科学者の一人であろう。
「はやぶさ2」の訪れた小惑星リュウグウは、広義のC型小惑星に分類される。“C”とは炭素(carbon)の英語の頭文字Cに由来する。つまり“炭素質”ということである。身近な炭素質の物質とは、鉛筆の芯の黒鉛、ストーブで燃える石炭、あるいは僕らの体を作る有機物もこれに含まれる。C型小惑星は、火星と木星の軌道の間にある小惑星の巣—小惑星帯に無数に存在する。リュウグウは、その無数に存在するC型小惑星の一つにすぎない。
地球に落下し、僕らが手にできる隕石にも、同様に“炭素質”隕石というものがある。炭素質隕石は、宇宙に存在するC型小惑星の欠片が地上に落下したものであろうと推定されている。小惑星と隕石の違いとは何かと思われる方もいるだろう。簡単に言えば、宇宙に浮かんでいる間は小惑星と呼ばれるが、地球上に落下した瞬間に隕石と呼ばれる。何のことはない。人間の都合で、勝手に呼び名が変わっただけのことである。
黒いリュウグウの謎
では、なぜ「はやぶさ2」はわざわざC型小惑星に訪れてサンプルを採取する必要があったのか。すでに炭素質隕石がたくさん地球に落下しているなら、それを調べればよいのではないか。この疑問に、臼井さんはこう答える。
「地球上に落下した隕石からは、実は多くの物質が失われている可能性があります。落下時の加熱、さらには落下後の地球大気の酸化による変質です。特に、酸素と水分が厄介です。」
僕らの棲む地球の環境は、実は、有機物の保存にまったく適していない。大気中の酸素や水分は、有機物を簡単に酸化するのである。この変質は生命の材料になるようなアミノ酸や糖、塩基に対しても起きる。いや、むしろ生命の材料になるような物質に対しては、いっそう顕著に起きるといってよい。
レストランで飲みきれなかったワインを保存するとき、ボトルのなかを空気抜きできるワインストッパーが使われるのをご存知の方もいるだろう。空気中の酸素はワインに含まれる有機物をすぐさま酸化して、せっかくの風味や香りを失わせてしまう。ワインボトルの空気抜きは、これを防ぐために行われる。空気によりワインの風味が数日で失われるように、炭素質隕石からもある種の有機物が酸化されて失われてしまっている可能性は大いにある。“酸化したワイン”ともいえる炭素質隕石が、“新鮮な香り”を取り戻すことは不可能だ。
実際、C型小惑星リュウグウに「はやぶさ2」が近づいて観測した結果、興味深いことがわかった。それは、リュウグウはこれまで地上に落下した、どんな炭素質隕石より黒いということである。さらに、探査機「はやぶさ2」は弾丸を打ち込んで、リュウグウ内部の物質を掘り返した。するとどうであろう。内部からは、さらに黒い物質が出てきたのである。
なぜリュウグウは黒いのだろう。リュウグウが例外的に他より黒い小惑星だった可能性もある。しかし、科学者は別の可能性も考えている。
リュウグウの真黒い姿こそ、地球で酸化する前の新鮮な炭素質隕石、つまり真のC型小惑星の姿ではないかと。とすれば、リュウグウの粒子にはどんな有機物が含まれているのだろうか。
微惑星のブイヤベース
「約46億年前、リュウグウの母天体である微惑星が生まれました。その微惑星の内部では100万年くらいかけて、有機物がゆっくりと合成されていたでしょう。ちょうど圧力鍋でコトコトと煮込まれていたようなものです。」
こう語るのは名古屋大学・教授の渡邊誠一郎さんである。渡邊さんは、「はやぶさ2」探査に関わる科学者たちを統括し、NASAなど海外とも連携をすすめるプロジェクト・サイエンティストという役割を担っている。「はやぶさ2」の科学面でのリーダーである。その渡邊さんの専門は惑星形成理論。太陽系初期に、原始の惑星たちがどうできて来たのかをコンピュータ・シミュレーションなどで理論的に解き明かすことを得意とする。
渡邊さんによると、原始の太陽系には微惑星と呼ばれる100キロメートルほどの天体が無数に存在していたらしい。100キロメートルもある微惑星の内部では温度や圧力も上がる。微惑星に氷が含まれている場合、温度上昇で氷も融けて内部は温泉のような状態になるという。
原始の太陽から遠い位置では、微惑星には氷だけでなく、炭素や窒素の源となる二酸化炭素やアンモニアも含まれる。そして、微惑星内部の圧力鍋のなかでは、100万年という途方もない時間をかけて、水、炭素、窒素が煮込まれて有機物を作り出したと考えられている。
ただし、実際にどのような有機物ができるのか、その詳細はまだ誰も知らない。100万年も続いたと思われる化学反応を、実験室で完全に再現することは不可能だ。一方、地球に落下した炭素質隕石は、落下時の加熱や地上での酸化を被っている。微惑星の内部で煮込まれたブイヤベースのような有機物が、リュウグウには新鮮なまま残っているのではないかと、渡邊さんは考えている。
生命の選択性
果たして、リュウグウにはどんな有機物があるのだろうか。地上に落ちた炭素質隕石からは失われてしまった物質、特に生命の誕生につながる手掛かりが、リュウグウの真黒い粒子のなかにあるのだろうか。
地球上の生命は、数ある有機物のなかでも特定の化合物を選んで使っている。20種類のアミノ酸、5種類の塩基、例を挙げればきりがない。アミノ酸も塩基も、もっと多くの可能性があるにも関わらず、である。もし、リュウグウの有機物のなかに似たような有機物の選択が生じていればどうであろう。100万年にわたって煮込まれた結果、特定の化合物が選択的に生成し、微惑星のブイヤベースのなかに残っていたのだとしたら。
微惑星は、惑星を作った材料物質であると言われる。原始の地球にも、リュウグウのようなC型小惑星は数多く飛来してきた。C型小惑星に含まれる有機物が、地球生命の誕生にとって重要だったと考える科学者も少なくない。もしも、地球生命の有機物の選択性と、微惑星に含まれる有機物の選択性がピタリと符合したならば、地球生命の材料が何によってもたらされたのか、これ以上説得力のある証拠は他にないだろう。
最後に渡邊さんは次のように語ってくれた。
「原始の地球にもC型小惑星の飛来により、リュウグウと同じような有機物のブイヤベースが届けられたでしょう。小惑星の飛来は、地球に限ったことではありません。原始の金星や火星にも海があったかもしれない。木星の衛星エウロパにも、内部に液体の海が存在します。地球生命の材料がC型小惑星によって届けられたのなら、太陽系に広がるこれらの場にも、同じように材料が届けられていたはずです。」
ワインにブイヤベース、皆さんもそろそろお腹がすいてきたのではなかろうか。
今日はじっくりと煮込んだビーフシチューで、「はやぶさ2」の帰還をお祝いするとしよう。
<追記>
このコラムの最終チェックの日(12月14日)、タイミングよく「はやぶさ2」カプセルの中身の画像が公開された。中には、臼井さんの予想の通り、深煎りコーヒーのような真っ黒な粒子がたくさん入っていた。よかったですね、臼井さん。
地上分析チームは、これから正念場を迎える。
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三菱電機は「はやぶさ2」プロジェクトにおいて地上のアンテナ系を担当しています。