帰還後レポート
2014年6月6日
「和の心」で危機を乗り越えた-若田飛行士の188日間
日本人最長となる188日間の宇宙滞在を終えて、5月14日午前10時58分(日本時間)、若田飛行士はカザフスタン共和国の草原に着陸した。ソユーズ宇宙船から出てきた若田さんは血色もよく満面の笑顔で、呼びかけに手をあげて応じる。しかも着陸から約2時間後には、立って記者団の質問に答えている!これには驚いた。
古川飛行士に「帰還直後はまるで軟体動物。身体の重心がどこにあるかわからず、とても立っていられない」と聞いていたからだ。さすが、「The Man(スゴイ男)」とNASAから讃えられる男だ。実は 若田さんの宇宙滞在中には、宇宙でも地上でも危機的なできごとが次々と起こった。188日間を振り返ってみよう。
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- 着陸後、ソユーズ宇宙船から出た若田さんの第一声は「スパシーバ(ありがとう)」まずロシア人救助隊への感謝の気持ちを表す。そして元気な笑顔!(提供:JAXA/NASA/Bill Ingalls)
度重なる宇宙船の遅れ
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- ようやく打ち上げられ接近するドラゴン宇宙船を、ISSの窓から見つめる若田飛行士。
(提供:JAXA/NASA)
- ようやく打ち上げられ接近するドラゴン宇宙船を、ISSの窓から見つめる若田飛行士。
滞在中は各国の宇宙船が入れ替わり立ち代わりISSにドッキングした。だが予定された打ち上げやドッキングの延期が続き、リスケ(計画変更)や調整に追われた。アメリカの貨物船シグナスは12月打ち上げ予定が1月に。2月打ち上げ予定のドラゴン貨物船は3回もの延期で、ISSに到着したのは4月20日。また3月26日に打ち上げられた3人の宇宙飛行士は発射後6時間後に到着の予定が、二日遅れて到着した。
帰還後の5月28日に行われた記者会見で若田さんは、「安全にミッションを行うためには(遅れも)必要な措置。実験計画が遅れたり、食料を少し節約して食べないといけないこともあるが、フレキシブルに対応する。船長としては士気を維持できるように、しっかりコミュニケーションをとって結束を維持しました」と語る。
追い打ちをかける機器トラブル
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- モニターに囲まれながらロボットアームを操作し、指示を出す。すべて一人で行う達人。
(提供:JAXA/NASA)
- モニターに囲まれながらロボットアームを操作し、指示を出す。すべて一人で行う達人。
さらに事態を難しくしたのが機器のトラブル。3度の延期の後、ようやくドラゴンがISS到着しようという頃、直前に中継装置の故障が判明。機器交換のため船外活動を行う必要があった。「重要な仕事が急に発生した上に、ドラゴンの打ち上げがさらに遅れる場合も考えられたので代案も準備して地上側と調整を繰り返していた。この時が一番大変そうだった」と JAXA関係者は語る。
若田さんに「船長として一番大変だったことは何か」を聞いた時も、「機器故障などトラブルもあり、宇宙飛行士や地上の管制チームとコミュニケーションを維持するのに苦労した」と語っている。
ISS到着直後の12月にも大事な機器のトラブルがあった。冷却システム2系統の内1つが停止。実験にも影響が出て急遽、船外活動を行うことになった。「若田さんに船外活動のチャンス?!」と思ったものの、船外活動をする宇宙飛行士の足場となるロボットアームを、数十ミリ単位で動かす操作が必要であり、「アームの達人」若田さんがNASAから依頼を受けて実施。8つものモニター画面に囲まれ操作しつつ、飛行士達に細かく指示をだし、作業を引っ張った。操縦も指示も基本的に若田さん一人。的確な操作と指示で3回の船外活動の予定が2回で終了。世界の関係者が驚き、絶賛した。確かにこんなことができるのは若田さんだけだ。「宇宙飛行士の仕事で一番充実しているのはこういう時」と若田さん自身、大きな達成感があったようだ。
「新人を育てる」細やかなコミュニケーション
筑波の「きぼう」運用管制センターで若田飛行士の女房役としてサポートし続けた西川岳克フライトディレクターは、若田さんの凄さに「細やかな気配り」をあげる。「大事な操作をするときは地上の管制官に見えるように、ISSのカメラに写してくれる。作業後は電話を直接かけてくれて、作業のポイントをフィードバックしてくれる。チームには今、『きぼう』建設の頃を知らない若い管制官もいて育てようとしてくれたのです」
若田さんは必ず、就寝前にISSのすべてのモジュールを見回り点検して異常がないか確認していたという。若田さんが船長を務めている間には、火災などの緊急事態をつげるレッドランプが2回点灯したが、若田さんはいち早く駆け付けて機器の誤作動と確認。こうした事前の確認や、地上の管制官達との緊密なコミュニケーションがあったからこそ、たとえトラブルがあっても大事に至らず、安全にすごすことができたのだ。
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- きぼう運用管制チームには「世界でリーダーシップをとれる人がたくさんいる。人的な資質を高めることができた」(若田さん)。(写真は2013年3月。きぼう運用開始5周年セレモニー)(提供:JAXA)
宇宙実験・・小型衛星放出、たんぱく質成長実験。笙(しょう)の演奏。
「日本の強み」を活かす
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- 「きぼう」エアロック横で小型衛星放出の準備中。(提供:JAXA/NASA)
日本や世界各国の宇宙実験も多数行った。印象的だった実験を問われて、若田飛行士があげたのは小型衛星の放出だ。合計37個の日本やアメリカの民間企業の衛星を放出。「エアロック、ロボットアームをもつ『きぼう』だからこそできる。日本の強みを活かした実験」と強調した。
タンパク質の結晶成長も日本が長年継続してきた実験であり、その手法も洗練されてきた。今回、若田飛行士は帰還時にインフルエンザやガンの治療薬につながるタンパク質結晶を持ち帰った。即座に日本で解析作業にかけられているという。結果が楽しみだ。
教育や広報活動も意欲的だった。帰還直前の5月2日には笙(しょう)の演奏を行い、地上と合奏。驚くのは「ドラゴン宇宙船で笙が宇宙に届くまで、笙に触ったこともなかった」ということ。たった20分の練習であんなに感動的な音楽を奏でたとは。やはりただ者ではない。
地上に帰っても元気に立てるコツ
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- ISSの運動器具の一つ、AREDを使って真剣に運動を行う。(提供:JAXA/NASA)
前回の長期滞在は133日。着陸後の記者会見にさっそうと歩いて出席して関係者を驚かせた。通常は長期滞在宇宙飛行士は記者会見に参加しないからだ。そして今回も「前回のシャトル着陸後とほとんど変わらなかった」という。ISSの運動設備が良好であり毎日、きちんど運動に励んだ。「運動がいかに重要か。そして規則的な睡眠、食事が体力の維持向上に大切なのは地上と変わりません」。忙しい宇宙生活で1日に2時間、運動の時間をとるのは容易ではない。しかし、その結果は着実に帰還後に現れる。着陸後の元気な姿は、まじめにとり組んだ努力の賜物だ。
地上の危機を乗り越える「家族」
地上ではウクライナ状勢をめぐって、世界に緊張が走った。記者会見ではこの件に関する質問が相次いだ。若田さんは「私たちは家族のようなもの。ISSでの仕事に影響を与えることはなかった」という。ISSという閉鎖空間で6人が一つの目標に向かって仕事をする。ウクライナについてのニュースを見ながら宇宙では様々な会話をしたという。若田さんは海上サバイバル訓練を行った経験を、ロシア人飛行士はウクライナに住む親戚の話をした。「大事なのは対話を重ねること。ISSは米ソの冷戦時には考えられなかったような国際協力を実現し、順調に進んできた。その事実を忘れてはならない。」
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- 何があっても「和の心」で結束した宇宙の「家族」。(提供:JAXA/NASA)
会見でくり返し語った「後戻りせず、前に進めよう」
そして若田さんが会見でくり返したのは「後戻りをすれば失うものが大きい」ということ。「宇宙活動は人類共通の目標に向かった営み。これまで世界15カ国で築いてきた礎をさらに拡大する努力を続けること。決して後戻りすることなく発展させていき、宇宙以外の分野にも大きく波及して欲しいという強い要望を持っている」。
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- 5月14日、さいたま市宇宙劇場では若田さんの小中学時代の同級生らが作る「若田光一宇宙飛行士を応援する会」の皆さんが着陸を見守った。「大丈夫とわかっていても、無事に着陸した時は安心しました。いつもの若田君の笑顔。誇らしいです」と共同代表の一人、島田好久さん。
若田さんが滞在中、ISSは建設開始15周年を迎えた。その間、スペースシャトル・コロンビア号事故で打ち上げが約2年半凍結し、ISSに滞在する中飛行士が2人になる危機もあったが乗り越えてきた。共通の目標に向かい「和の心」で人類が国家を乗り越え、地球家族になる場所、それがISSだ。
若田さんはこれから、ISS長期滞在が決まっている油井、大西飛行士をサポートしながら、生涯現役を目指すという。さっそく5月30日に文部科学省で行われた、ISS後を議論する委員会にビデオメッセージを寄せ「ISSの次の舞台である宇宙探査でも、日本が主体的にリードしていく時代になって欲しい。船長の経験をいかして引っ張っていけるよう努力したい」と力を込めた。
米ロが緊張状態にある時に、米国でもロシアでもない、日本人宇宙飛行士がISSコマンダーとして指揮をとったのは偶然だった。しかし、若田さんが「和の心」でチームをまとめたことはISS参加国や人類にとって、大きな恵みであり、平和への希望だったのではないだろうか。
若田さん、お疲れ様でした。そしてますますの進化を!