DSPACEメニュー

読む宇宙旅行

ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

SLIM月着陸をVRで体験しよう。イベントで明かされたSLIM&SORA-Q秘話

VRゴーグルを装着すると、月面に立ち、着陸するSLIMを見上げ、近づくこともできる。

1月20日、世界初のピンポイント着陸に成功した日本の月着陸機SLIM。その着陸を月面上で眺めたら、いったいどんな光景になるのだろう。そんな夢を叶えてくれるVRが登場した!三菱電機エンジニアリングが開発したVRは、SLIMが地球から出発し、月にピンポイント着陸するまでの旅程を、実際のSLIMの設計データ、NASA、JAXAなど世界の宇宙機関の詳細な月面データを元にリアルに再現した。そのVRが東京のMEToA Ginzaで5月6日まで「月から見る月面着陸VR体験」として無料で体験できるのだ。

3月9日(土)、METoA GinzaでVR体験一般公開前のトーク&体験イベントが開催。SLIM開発を担ったJAXAや三菱電機のエンジニア、SLIMから放出され写真撮影に成功した超小型ロボットSORA-Q担当者らが集まり、開発や着陸当日のエピソードを披露。私はトークの進行役を務めさせていただいたのだが、約70名の参加者が熱心で登壇者からは初めて聞く話も多く、大いに盛り上がった。イベントには多数のご応募をいただき、残念ながら参加できなかった方たちのために、当日の内容を紹介する。

SLIM着陸直後「『太陽電池が発電してません』とコールしたのは私です」

午前の部の登壇者の一人、JAXAの金谷周朔さんはSLIMの電源系を担当。小型軽量の月着陸機を作ることが目的だったSLIM。電源系では「ペラペラに薄く軽くて曲がる太陽電池に注目してほしい」と語りかけた。

金谷さんは1月20日0時20分にSLIMが月面着陸したその瞬間、神奈川県相模原市にあるJAXA宇宙科学研究所の管制室でSLIM電源系のデータを見守っていた。着陸したSLIMは正常な状態で着陸していれば太陽電池が発電しているはずなのに、発電していない。インカム(通信用のシステム)をスイッチオンにして、「太陽電池が発電していません」と管制室内のメンバーに連絡したのが金谷さんだった。

SLIM電源系担当の金谷周朔さん。「SLIMが打ちあがった後、月を見上げるたび、自分が携わったものが本当に月のあの辺にいるんだなと思うと、ぐっときます」と語る。

SLIMが発電していないとわかった時、動揺しなかったのだろうか。現場の雰囲気は?「太陽電池が発電していないのでバッテリを使うしかないが、バッテリはどんどん減っていく。その間にやることは決まっているので、全員が自分のやるべき仕事を淡々とやっている状態でした。焦ったり大声上げたりすることはまったくなく、すごくみんな冷静でした」。具体的にはSLIMのデータをおろすなどの作業を迅速に進めたそうだ。

さすがはプロ集団。なぜそんなに冷静でいられたのか。「訓練は何回もやっていますし、自分たちが想定していないことが起きた場合でも、対応できるように準備しています。着陸の瞬間は、全員が今、何が起きていてどういう状況なのか、次に何をすべきなのかを必死に考えながら動いているという状況でした」。やはり事前の訓練や準備の賜物なのだろう。バッテリ残量が想定よりも残っていたという点も、冷静に作業が進められた一因かもしれない。

電源担当の金谷さんに、「越夜」についても聞いてみた。月は約14日間の昼と約14日間の夜を繰り返す。昼間は約100度以上、夜はマイナス約170度にもなる過酷な環境だ。その長い夜を超えて月探査機がサバイブすることを「越夜」と呼ぶが、特別な装備が必要とされる。越夜用装備を持たないSLIMが越夜できたのは、逆立ちの姿勢が有利に働いたのだろうか?「熱担当によると、逆立ちしていることで温度が上がり切らなかった機器や、守られている機器もあるようです」とのこと。逆立ちがよい方に働いたのかもしれない。だが金谷さんは「ふつうに二段階で着陸してほしかった」という。

SLIMが着陸直前に放出した超小型ロボットSORA-Qがもう1台のロボットLEV-1経由で地球に送信したSLIMの画像。3点倒立のような状態で逆立ちしているように見える。(提供:JAXA/タカラトミー/ソニーグループ(株)/同志社大学)

午後に登壇したJAXA後藤健太さんは推進系担当、管制室でのスーパーバイザー(監督役)。そしてSLIM着陸当日、約30万人がライブ配信で息をのんでみつめたSLIMからのテレメトリ画面を開発した人でもあった!テレメトリ画面については「ここまで多くの方に見て頂けるとは思っていなかったので反響があって嬉しかった。管制室ではもっと細かい数字の羅列のようなデータを見ないといけない。担当以外の人には一目でわかりにくいので、直感的に理解してもらえるよう工夫しました」とのこと。

SLIM推進系ご担当の後藤健太さん。推進系はメインエンジン、推進薬を入れるタンク、姿勢制御スラスタなどから構成され、多数のメーカーが関わった。小型軽量化で多くの制約があったが、「組織の枠を超え一丸となって作り上げることができた」ことが印象に残っているそう。
SLIM月着陸時に管制室でもJAXAライブ配信でも表示された、SLIMからのテレメトリ画面。開発した後藤さんは、SLIM着陸時は管制室で推進系のデータをモニターしていた。「スポーツの試合をしているときのような興奮状態。人生で一番頭を使っているような感じがした」と語る。(提供:JAXA YouTubeチャンネル)

人工衛星で2台積むコンピュータが1台(しかも小型)だけ

三菱電機でSLIMのデータ処理系、つまりコンピュータを担当したのが千葉旭さんだ。三菱電機は気象衛星ひまわりや準天頂衛星みちびきなど、大型の静止衛星や地球周回衛星などでは多数の実績があるが、月へ向かう探査機開発は初めて。「すべてが新しいことと言っても過言ではなかった」と千葉さんはふり返る。

「『ひまわり』が飛ぶ軌道の10倍以上も遠いところをSLIMは飛ぶ。38万km彼方からデータがちゃんと届くか。そして小型軽量化も大変でした。『ひまわり』や『みちびき』ではSLIMより大きなコンピュータが2台搭載してあるが、SLIMは小さなコンピュータが1台だけ。その1台をちゃんと働くようにするのが大きな苦労であり、やりがいでした」。

三菱電機鎌倉製作所の千葉旭さん。SLIMではデータ処理系を担当。「1月20日、着陸時の衝撃に耐えて、コンピュータやアンテナが生きていてデータを送ってきてくれた時には本当に嬉しかったです」と月着陸時の感動を語った。

難易度が高い月着陸機にも関わらず、予備のコンピュータを持たない。ピンポイント着陸の肝である、画像処理や航法誘導制御も含めてたった1台のコンピュータで行っていたとは驚きだ。着陸時の運用では、千葉さんは冷静を装いつつ緊張していたという。

「SLIMには貴重なデータがたくさん保存されていました。それをどんどん地球に送らないといけない。手順書はあったが大丈夫かなと思いながら、確認しあいデータをおろしていった。最後はバッテリを切り離してSLIMを休眠させたのですが、終わらせ方がよくないとうまく再起動できません。最後の設定をみんなで大丈夫か確認して、決断しました。実際、約9日後にSLIMが目覚めてくれた時は、嬉しかったですね」とほほ笑む。

子供たちに大人気、世界最小・最軽量ロボットSORA-Q

SLIMが着陸した1月20日にはまだ喜べなかったのがタカラトミーの石井孝典さんだ。SLIMは着陸直前の高度約5m付近で2機のロボットLEV-1とLEV-2(SORA-Q)を放出した。その時点でSORA-Qがどうなっているかわからなかったからだ。ほっとしたのは数日後、SORA-Qが撮影した画像が出たときだという。

「え、本物?と思いました。JAXAからこんな形(逆立ち)になっているとデータは出ていましたが、実際に写真で見ると息が止まるかと思った」(石井さん)

タカラトミーの石井孝典さん。「おもちゃは子供たちが買えるようにコストを抑え、簡単で壊れにくいようにシンプルに作る。その技術が宇宙開発で生かされた」と語る。

開発で大変だったことを尋ねると、「月の砂は小麦粉みたいにさらさら。SORA-Qは小さいからそこで動くのはすごく難しかった。特に坂になると進めない」(石井さん)。開発者にヒントを与えたのが、うみがめの赤ちゃんの動きだった。小さな赤ちゃんが砂の坂をしっかり登る様子を見て、SORA-Qも車輪の中心軸をずらして、動物のように動くのがポイントではないか、と思いついたそう。また、直径8cmの球体で月に運び、着地後に変形して開くのもおもちゃの技術。「『え、変形っておもちゃとかアニメの世界でしょ?』というのを大真面目に自信をもって活用できたのは我々っぽい。変形が成功したのは、おもちゃ会社として嬉しい」(石井さん)。

SORA-Qの動き方には二種類の走行モードがある。両輪を一緒に動かす「バタフライ走行」とウミガメのように左右の車輪が交互に動く「クロール走行」だ。月面でどちらの走行を行ったのか、どのくらいの距離や時間走ったかなどのデータは現在解析中とのこと。解析結果が出るのが、待ち遠しい。

石井さんが強調したのは、画像を地球に送信できたのは「LEV-1という相棒がいたから」という点。2台のロボットが力を合わせたからこそ、あの歴史的画像をSLIMを経由せず小型ロボット2台の力で、地球に送信することができたのだと。

SORA-Qが撮影した画像がもう1台のロボットLEV-1経由で地球に送られたことを説明する石井さん。
SORA-Qは子供たちに大人気で、操縦体験には長い列ができた。

1月20日0時20分の月面にあなたをお連れします

SLIMの月面着陸VRを開発した三菱電機エンジニアリングの柴崎健さんは、自らを「VRおじさん」と呼ぶ。元々このVRは、SLIMのシミュレーターとして使おうという目的で開発してきたもの。そのためリアルさを徹底的に追及したと語る。

三菱電機エンジニアリングでVRを開発した柴崎健さん。「将来は火星衛星探査機MMXでもVRを作成したいし、月の基地を作る時もVRが使えるんじゃないかと勝手に思ってます」。確かに、月の家の内覧会にも使えそう!

「三菱電機さんがSLIMを製造するときに使った3Dモデルのデータを元にしているため、本物と同じ大きさ、同じ重心位置、部品も同じ位置についています。想像した部分が一つもない。月面データもJAXAやNASA、インドの探査機のデータをもとに作り上げた。石の一つ一つの配置までJAXAからデータをもらいました。SLIMはこんなに石がいっぱいあるところに着陸したんだと、よく周囲を見渡してください」と語りかける。

(提供:三菱電機エンジニアリング)

VRの中のSLIMは、当初の計画通り、二段階で月に着陸する。着陸直前に2機の超小型ロボットを放出するのも必見だ。SLIMが実際に着陸した場所付近を20kmぐらい作りこんでいて、SORA-Qが撮影した山も見えるというからぜひ探してみてほしい。また、太陽と地球と月の位置関係はSLIMが着陸した2024年1月20日0時20分に設定されている。地球は三日月形に見えるはずだ。「普段は見られない月の裏側が見られます。もしかしたら宇宙人の基地があるかもしれないよ」と柴崎さん。

私もVRを体験させて頂いたが、月から降りてくるSLIMを月面上に立って眺めるのは、鳥肌が立つような体験だった。周囲に一面に広がるレゴリス、月面にうつる自分の影、動くことによってできる自分の足跡。ごつごつと突き出た岩、月の水平線の向こうに見える宇宙の闇・・。そんなモノクロの月の大地に降り立つ金色のSLIMは美しい。近寄って色々な角度から眺めてみよう。本物に近づくことはできないが、VRなら近づける。SLIMに自分の影が映るかもしれない。

月に自分の足跡を刻もう。(提供:三菱電機エンジニアリング)

METoA Ginza(欄外リンク参照)では5月6日まで予約なしでVR体験が可能。春休みや大型連休に月まで旅してみてほしい。

宇宙を目指す仲間に

最後に、「SLIMが未来にどうつながっていくのだろう」という問いかけに対するJAXA金谷さんの回答が素敵だったので、紹介したい。「宇宙業界はどんどん発展しています。宇宙で農業をやろうという人がいたり、月に基地を作ろうとしている人たちなど、様々な人がいる。皆さんが大人になって手伝ってくれたらいいなと思います。ぜひ仲間になってください」

質問タイムには3歳の佐藤一希君がメモ帳いっぱいの質問から元気に質問。「SLIMは大きい太陽光パネルなんでつけなかったの?」詳しい!金谷さんの答えは「軽くする必要があるのと、展開するような太陽電池を開いたままで月に着陸すると、折れてしまうから」。一希君、大きくなったらぜひ、宇宙の仲間に!
  • 本文中における会社名、商品名は、各社の商標または登録商標です。