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文学にトンネルあり、「天城越え」は時間を超えた空間

社会の課題を素早く読み解くヒント集 3min column 文学にトンネルあり、「天城越え」は時間を超えた空間社会の課題を素早く読み解くヒント集 3min column 文学にトンネルあり、「天城越え」は時間を超えた空間

イタリアを代表する映画監督であるタビアーニ兄弟の作品に「フィオリーレ/花月の伝説」がある。名門一家の200年の歴史を描いた大河ドラマだ。
一族の末裔の中年の主人公が家族を連れ、車を走らせる場面から始まる。トンネルの中を進み、抜けると、そこには故郷のトスカーナ地方の光景が視界に広がる。主人公は繁栄しながらも不幸が続いた一族の歴史を子どもたちに語り始め、画面は200年前にさかのぼる。

抜けたときの開放感

トンネルは現代社会では人やモノを運ぶのには欠かせないインフラだが、閉鎖的な空間でもある。だからこそ、そこを抜けたときの開放感は大きい。映画や文学では時間や空間をこえる役割をトンネルをくぐることで表現してきた。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった」。トンネルから始まる作品として思い浮かぶのは、ノーベル賞作家の川端康成の小説「雪国」だろう。この書き出しに、叙情的な気持ちになり、ふる里への思いを呼び起こされる人も多いかもしれない。

「長いトンネル」とは昭和6年(1931年)に開通した上越線の清水トンネル。全長9702メートルと当時、東洋一を誇り、長野経由で11時間以上かかった上野ー新潟間が7時間程度に短縮された。大陸への玄関口だった新潟と首都圏を結ぶ動脈として位置づけられたが、上越新幹線に役割を譲り、現在、定期旅客列車は1日5本程度になっている。

ちなみに川端が書いた「信号所」は、今では土樽駅として人が乗降する停車場になっている。冒頭の場面では、ここで芸者の駒子の妹が汽車の窓を開け「駅長さあん、駅長さあん」と叫ぶのだが、今でもその情景を求めて途中下車する人もいるという。

土樽駅の隣の駅が土合駅。越後湯沢方面行きの下りホームが地下70mの新清水トンネル構内にあり、“日本一のモグラ駅”と呼ばれている。

川端の雪国に並ぶ代表作といえば「伊豆の踊子」だろう。田中絹代、美空ひばり、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵の主演で計六回も映画化されている。この作品もトンネルから始まる。

「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さでふもとから私を追って来た」。舞台は伊豆半島の天城連山にある天城山隧道(旧天城トンネル)。かつて天城の峠越えは多くの旅人を苦しめた。地質がもろく、山崩れが多発し、道がたびたびふさがれたため、ルートが定まらなかったからだ。

明治時代に入り、馬車などの陸上交通手段が一般的になるにつれ、地元の人々はトンネルの開通を望むようになる。当時の県会議員の矢田部強一郎が県議会で奮闘したこともあり、明治38年(1905年)に開通。南伊豆と北伊豆が接続されるようになった。全長445・5メートル。日本初の石造道路トンネルで、日本に現存する最長の石造道路トンネルでもある。

天城山隧道は川端以外にも松本清張や井上靖の作品に描かれた。井上は小説「しろばんば」で「天城のずいどうは、洪作たちには何ともいえず魅力のあるものだった」と語っている。

昭和45年(1970年)に天城山隧道の南側に全長800メートルの新天城トンネルが完成。交通での主役をおりたが、石川さゆりの演歌「天城越え」が人気を集めたこともあり、天城山のシンボルとしての存在感は揺るいでいない。平成13年(2001)年には国の重要文化財に指定されている。

一世紀以上の重み

開通から100年以上経ち、多くの文学作品に描かれてきた頃と天城山隧道を取り巻く環境も大きく変わった。昭和53年(1978年)の伊豆大島近海地震で隧道近くの道が崩れ、路線バスが埋まる死亡事故が発生、らせん状のループ橋が設けられた。山道をなだらかに上り下りできるようになり、車での天城越えも安全性が増した。

真っ暗だったトンネル内には小さな電灯がついた。道も舗装され、側溝は砂利で覆われた。文人たちは天井からしたたる水に魅了されたが、天井も整備され、たれる水滴の量も昔ほどではなくなった。

重要文化財に指定されて以降は観光客も増え、車の往来も激しくなった。トンネルからは静寂が消え、車の乗り入れ規制なども実施された。

「トンネルの風情がなくなった」との声も一部ではでているが、苔むした入り口の外観や、壁からしたたる水のあやしい光などは一世紀以上前の姿をとどめている。今でも季節を問わず、石川さゆりの歌を口ずさみながら、天城山隧道を歩く観光客は少なくない。トンネルは時間を超えた旅に人を誘い続けている。

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