1966年のアメリカ映画『ミクロの決死圏(原題 Fantastic Voyage)』はSF(空想科学)作品の古典として名高い。医療チームが搭乗した潜航艇をミクロ化して注入し、体内から治療するという設定は、乗組員の若い女性らの体にぴったりと貼り付くウェットスーツとともに、観客に強い印象を残した。
ミクロ化の手法は「空想」ですませておくにして、空気や水の分子サイズが変わらないのに、極小サイズになった人間が呼吸をしたり汗をかいたり出来るのか、という疑問は当時からあるそうだ。「科学」の方面から突っ込むのは野暮としても、かつてのSFがファンタジーと線引きの難しいものだったことをうかがわせる。それでも後に同じコンセプトの映画が作られ、今に至るも数え切れないほど引用やパロディがあるのは、ショッキングなほどに新鮮なプロットだからだろう。「小さくなって中を見る」というのは、人類にとって尽きせぬ夢なのだ。
もし「人間のミクロ化」の技術が実現するとしても、それは気が遠くなるほど未来のことだろう。しかし、何らかの道具を使って狭い場所に入り込む技術なら、人類は着々と開発しつつある。とくに医療分野での発展が著しいのは、映画の影響かもしれない。
胃カメラをはじめとする内視鏡では、体内の観察だけでなく標本の摂取、患部の切除なども可能になっている。体外から静脈にチューブを差し込み、クネクネと患部まで進むカテーテルは心臓治療から脳外科へ応用範囲を広げ、治療の方法も多様化しつつつる。小型のロボットアームを差し込んで医師が遠隔操作で縫合する治療も、既に実用段階に達した。そう遠くない将来、医師の監視下の無人手術が実現するのではないか。
もちろん人体の中を見るだけなら、X線や磁気共鳴映像(MRI)のように、体外から観察する技術も活用されている。しかし解像度や得られるデータの種類には限りがある。だから実際に中に入る技術が求められているのだ。
今でも打診が頼りの樹木医
人体を麻酔して切開する手術は大きな危険を伴う。人体以外なら、いざとなったら開いて中を見ればいいと考えがちだ。それで中の様子を探る技術が、人体に比べて発達しなかったのかもしれない。たとえば「打診」という古典的な技術が、今もドラム缶から建築物まで広く使われている。すなわち「コンコン」と叩いて中の様子を探る。異常がありそうな場所の目星がつけば、そこを切開して詳細に観察し、修理などの必要な措置を施す。生物でも、立木のウロを探る樹木医の診断は、木槌を使った打診が頼りなのだとか。
どんなものであれ、開いて内部を観察するのは手間がかかる。開いたものを元に戻すのも手間だ。手間はコストを意味する。スキマから中に入り込んで様子を探る技術があれば、コストを抑えられる。そうした技術は人体以外でも今後、もっと発達していき、将来は修理の一部を担うようになるに違いない。
その時、最も印象に残るのは、映画のようなグラマー女優のぴったりコスチュームではなく、驚くほどのスリムな形状を実現することになるはずである。