1065。元プロ野球(阪急ブレーブス)選手の福本豊の通算盗塁数だ。当時は世界記録で、今でも日本のプロ野球史に残る金字塔だ。福本はプロ野球に走者対バッテリーという新たな勝負の構図を持ち込んだ。
盗塁の成功には足の速さは必要。だが、速さは必要条件ではあるけど十分条件ではない。足が速ければ盗塁に成功するわけではない。
1960年代に東京、メキシコの両五輪に出場した短距界のエースの飯島秀雄がロッテに入団したものの鳴かず飛ばずだったことがそれを物語っている。
福本はプロ3年目の1971年に自分のプレーを知人に8ミリで撮影してもらった。前年に盗塁王のタイトルを獲得していたが、身長170センチメートルにも満たないドラフト7位入団の自分が何年もプロで活躍できるとは思っていなかった。つまり自らの記念撮影として依頼したのだった。まさかそのフィルムが福本をプロとして20年近く活躍させることになるとは。これだから人生は不思議だ。
福本はそのフィルムを眺めて気づく。当時の近鉄バファローズのエースであった鈴木啓示は牽制するときは本塁を見て、打者に投げるときは走者を見る特徴があった。他のピッチャーも牽制球を投げるときにはそれぞれ癖があった。牽制をする際の足の運び、肩の入れ具合、腰のひねり、顎の動きなどなど。福本は各投手の癖を徹底的に検証し、癖が分からないときは出塁したときにわざとリードを大きくとって牽制させた。投手が素早く小さなフォームで投げる「クイック投法」は福本を警戒した野村克也が導入したともいわれている。包囲網は敷かれたが、福本は癖の研究を投手が投げるリズムや捕手の配球にまで広げ、走り続けた。
前人未踏の106盗塁を決めた1972年。読売ジャイアンツとの日本シリーズで塁上の福本は精彩を欠いた。巨人のエースだった堀内恒夫の癖を全く見抜けなかったのが原因だといわれている。セリーグとパリーグの交流がいまほど盛んでない時代ならではの話だろう。
誰にも無意識の行動がある。無くて七癖。それは真剣勝負を生きるプロフェッショナルでも同じだ。かつては「職人」と呼ばれる人たちだけがその癖を見抜き、頭ひとつ抜け出したが、近年は科学的に癖が見抜けるようになっている。
野球だけでなく、サッカーのゴールキーパーのコース別の阻止率やテニス選手のサーブのコースごとのサービスエース率などもリアルタイムで算出される。「なんとなく、こうしているとうまくいく」が検証され、「見える化」された世界になって久しい。
そして、そうした癖をいかす世界は広がり続けている。産業界、そして製造現場も無縁ではない。感覚的に作業の効率化を目指す時代から、20世紀後半にはカメラで工場の作業者の動きを撮影し、作業のミスや無駄を分析するようになった。正しい動作をしているか、作業時間は適切か、その分析の積み重ねが企業の競争力を大きく左右するようになっていった。そして2021年の今、工場の作業解析にAI(人工知能)技術が持ち込まれたことで再び時代が大きく変わろうとしている。