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神田川にかかる「昌平橋」、日本のインフラ整備の架け橋でもあった!

社会の課題を素早く読み解くヒント集 3min column 神田川にかかる「昌平橋」、日本のインフラ整備の架け橋でもあった!社会の課題を素早く読み解くヒント集 3min column 神田川にかかる「昌平橋」、日本のインフラ整備の架け橋でもあった!

都心の中心部を東西に駆け抜ける「JR中央線快速電車」。青梅や三鷹、新宿、東京駅などを結び、通勤ラッシュを支えている。オレンジ色の電車といえば中央線快速電車と言えるほど有名で、鉄道ファンからの人気も高い。

そんな中央線快速電車を眺めることができるおすすめスポットを紹介したい。御茶ノ水駅と神田駅の間にあり、神田川に架かる「昌平橋」だ。御茶ノ水方面に目を向けると、中央線快速電車だけでなく、総武線や丸ノ内線も見ることができる。運が良ければ3路線同時に見ることができ、鉄道ファンに限らずワクワクすること間違いなしだ。

鉄道スポットの昌平橋だが、実は日本で初めてアスファルト舗装が施工された道路なのだ。昌平橋は江戸時代の寛永年間に初めて架設されたと言われている。元禄4年(1691)に将軍徳川綱吉が湯島聖堂を造営し、孔子の故郷である中国の魯の国・昌平郷にちなみ名付けられた。江戸時代の昌平橋は、大火や神田川の水害で何度も崩落しその度に架設された。また木造だったため、定期的に架け替えが行われていた。

神田・御茶ノ水は教育の地であったため、明治維新後はインフラの整備が進められた。当時の昌平橋は通行料に文久銭1枚(1厘5毛)を徴収したことから「文久橋」と呼ばれており、その資金を元に大規模な整備に乗り出すことができたのだ。明治11年(1878年)に昌平橋で、日本で初めてアスファルト舗装の道路工事が施工された。使用したのは秋田産の土瀝青(天然アスファルト)。秋田県では現在も天然のアスファルトを採掘することができる。

現在の昌平橋は1923年(大正12年)4月に架け替えられたものだ。神田川に複数架かる橋の中で、最初の鉄筋コンクリート製アーチ橋である。竣工から5ヶ月後に関東大地震が発生したが目立つ被害はなく、その強度は確かなものであったと言える。

何度も形を変え神田川に架かり続ける昌平橋は、国道405号線の一部として今尚人々の移動を支えている。

そして、昌平橋の近くに「昌平橋駅」が存在したことをご存知だろうか。わずか4年のみ営業した、いわば幻の駅である。

明治37年(1904年)に甲武鉄道(現在の中央線)が飯田橋-御茶ノ水駅間で開業した。需要を見込み、直ちに御茶ノ水駅から万世橋駅(現在の御茶ノ水駅と神田駅の間に建設され、1943年に廃止)の延伸工事に着手した。工事期間中に甲武鉄道が国有鉄道化し、工事が滞ってしまう。その間の仮停車駅として1908年に開業したのが、昌平橋駅だ。本格的な駅舎は建設されず、質素な仮駅として誕生した。1912年に延伸工事が終了し無事に万世橋駅が開業した。役目を終えた昌平橋駅は、ひっそりと幕を閉じた。現在は駅の痕跡すら確認できない。

中央快速に乗車したことがある方はお分かりだろうが、神田駅と御茶ノ水駅間は走行時間わずか2分という、大変近い距離に位置している。昌平橋駅は、さらに短い距離感で存在したのだ。駅の間隔があまりにも近く必要性に疑問を感じるだろう。しかし昌平橋駅が存在したことで中央快速電車の延伸が実現し、それは今の路線にも大きな影響を与えているのだ。昌平橋は、東京の道路や鉄道などのインフラ発展における縁の下の力持ちと言えるだろう。

昌平橋を始め、神田川には多くの橋が架かっている。日本は川を多く有するため全国各地に多くの橋が存在し、道路橋だけでも約73万ある。そして現在、道路橋が大きな問題を招いている。国土交通省によると、建設後50年を経過する道路橋は、2023年で約39%、2033年には半数以上の約69%にのぼる。一気に老朽化が加速し、その維持管理や更新に多額の費用がかかると予想される。老朽化は道路橋だけではない。トンネルや下水管など、日本のインフラ全体で老朽化が急速に進んでいるのだ。

インフラ老朽化問題を「縁の下の力持ち」で解決する新しい技術の創出が、いま求められている。

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