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高齢者は自分自身の延長線上にある存在 コミュニティーへの参加が孤独を救う高齢者は自分自身の延長線上にある存在 コミュニティーへの参加が孤独を救う

 公衆衛生の改善や医療環境の充実などで、今なお延び続ける日本人の平均寿命。健康増進による賜物ともいえるが、課題も多く存在する。若年層の働き手不足による老老介護、感情機能の低下による攻撃的なふるまい、認知症を原因とする徘徊――。このような高齢化社会における「影」の部分は、時には事故や犯罪の要因ともなり得る。平均寿命の延びの流れが続く以上、社会全体としてこのような課題に真摯に向き合っていく必要がある。
 では、高齢化社会が生み出す課題にどのように向き合い、そしてどのように対処していく必要があるのか。また自らが高齢者となった際に、どのような心構えを持つべきなのか。高齢者を主題として数々のヒット映画を生み出した外山文治監督に聞いた。

外山文治さんの写真

映画監督

外山 文治(そとやま ぶんじ)

1980年福岡県生まれ。短編映画『此の岸のこと』が海外の映画祭で多数上映され、「モナコ国際映画祭 2011」で短編部門・最優秀作品賞をはじめ5冠を達成。長編映画監督デビュー映画『燦燦』が「モントリオール世界映画祭2014」より正式招待を受ける。2023年、映画『茶飲友達』がフランスで行われた「現代日本映画祭」にてグランプリを受賞。「第48回報知映画賞」作品賞、監督賞にノミネート。「第37回高崎映画祭」にて最優秀監督賞、最優秀主演俳優賞を受賞する。

街に溢れる孤独な老人に
社会問題を感じる

――高齢者を対象にした売春クラブが警察に摘発される実際の事件をもとにした映画『茶飲友達』が大変話題になりました。

東京渋谷のユーロスペースの写真
『茶飲友達』は、東京渋谷のユーロスペースを皮切りに、全国のミニシアターで上映される大ヒット作品となった(撮影:末並俊司)

 『茶飲友達』は、2013年に実際に起こった高齢者売春をモチーフにした映画です。上映は、2023年2月に東京渋谷のユーロスペースの1館からスタートしました。封切り前は「高齢者の性や孤独を題材にした映画を、全国の人がどれだけ見てくれるだろう」という不安はあったのですが、思った以上にヒットしてくれました。蓋を開けてみれば、沖縄から北海道まで、全国82館のミニシアター系の映画館で上映される結果となりました。

 2023年12月にフランスで開催された『KINOTAYO 現代日本映画祭』ではグランプリを受賞し、フランスにも行きました。観に来てくれたフランスの方からは「日本ではショッキングに受け止められたんじゃないですか」といった言葉をかけられることもありました。日本人が性に対してあまりオープンに語らないことは、世界的にも知られているようですね。

――外山監督は、『茶飲友達』以外にも高齢者を主題とした作品を多く制作されています。高齢者を対象に映画を作るきっかけは何かあったのでしょうか。

 私がまだ若手だった20代後半の頃、仕事があまりないということもあって、昼間から街をあてもなく歩き回ることがよくありました。すると、私と同じように街には行き場のない高齢者がとても多いことに気がついたのです。あの人たちは毎日何をしているのだろう、こういう人たちも映画館に行けばいいのにな――と考えるようになりました。でも映画の現状といえば多くは若者を狙った作品ばかりで、シニア世代が興味を引くようなものは、なかなかありませんでした。

 当時はちょうど、独居老人とか孤独死などの問題が騒がれ始めた頃でした。街に溢れているこのおじいちゃんやおばあちゃんの中にはそうした問題や不安を抱えている人もいるのではないか。こうした人たちに届く物語を発信できないか、と考えるようになったのです。

 ただプロデューサーは「若者が好むような企画を持って来い」という要望を投げかけてきます。現役世代の彼らは昼間に街をぶらぶらあてもなく歩くようなことはない。孤独な老人が街に溢れているなんて現象には遭遇しないでしょう。だから関心を持たれずに映画化のチャンスは巡っては来ませんでした。

 当時の私はアルバイトをしながら食いつなぐ生活でした。ネットカフェ難民になったこともあるくらいです。孤独な毎日ですよね。店内のトイレに行くと、「社会復帰のためのご相談はこちらへ」といった張り紙があって、電話番号が書いてある。それを見た時に、自分が社会からこぼれ落ちそうになっていると感じた。そしてふと、街を歩く高齢者のことを思い出したのです。彼らも社会に居場所がないのかもしれない。そんなところからシンパシーを感じるようになり、シニア世代の問題を扱った作品を作ろうと思い立ちました。

 今後は高齢者が増えていくのだから、その世代が主役となる作品が求められるはずだという思いもありました。今後はもっと一般的な問題になっていく。そうした現実が時代の変化と共にあると考えていました。

高齢者は自分自身の
延長線にある存在

――そこで制作したのが『此の岸のこと』(2010年)ですね。

外山文治さんインタビュー中の写真

 セリフのない30分の作品です。介護問題に直面する老いた夫婦の物語で、夫が妻の介護に追われる日々を描いています。物語の中で、夫は自分の命が妻よりも長くないことを知ります。救いのない現実に見えるのですが、夫婦は二人の思い出の中に救いを見つける。そんな内容です。配給先も決まっていない状態、完全に自主制作でした。

 これがダメなら、もう映画は辞めてしまおう。心のどこかでそんなふうに感じていたと思います。でも、同作は「モナコ国際映画祭2011」の短編部門において最優秀作品賞をはじめ5冠を受賞しました。何より嬉しかったのは、敬愛する蜷川幸雄さんに褒めてもらえたことでした。

『此の岸のこと』の1シーンの写真
『此の岸のこと』の1シーン(Ⓒ外山文治)
『此の岸のこと』の1シーンの写真
『此の岸のこと』の1シーン(Ⓒ外山文治)

『此の岸のこと』の1シーン(Ⓒ外山文治)

――『此の岸のこと』は14年前の作品です。老老介護の問題は当時より深刻です。

 そうですね。あの頃は現実の半歩先を描くことができたと自負していたのですが、今では現実の方があの映画を遥かに追い抜いているようです。内閣府の「令和5年版高齢社会白書」によれば、比率だけでいうと1950年頃までは、1人の高齢者(65歳以上)に対して10人以上の現役世代(20~64歳)がいました。それが2020年には1人の高齢者に2.0人の現役世代です。2050年にはこれが1.4人になる。私の扱っているテーマがどんどん一般的になってきたともいえます。

 高齢者に向けた映画というと、その年代の方々が喜びそうな、例えば昭和を振り返る作品といった発想があるかもしれませんが、私がやってきたのは、等身大のシニアを描くことです。その日常を描くことで、潜む問題を明らかにしていく。だからシニアの方々のリサーチはかなり重ねました。

 私自身、核家族で育ったので、家族としてのおじいちゃん、おばあちゃんの姿が日常生活の中にはいませんでした。だから逆に興味があったのかもしれない。シニア世代の話を聞いたり、介護施設を取材させていただいたりしているうちに、彼らと私自身が何も変わらないことに気がついた。はじめは若い世代と同様の悩みは超越した達観した存在だと、どこかで思っていた。おばあちゃんの知恵袋的な、そんなイメージです。ただ実際はそうではなくて、我々の延長線上にいる人たちなんだということが分かってきたのです。

 当たり前のことですが、若い世代と同じように悩み、同じように傷ついている。そういう存在であることを知った。私たちは高齢者という生き物になるんじゃなくて、私のまま年を取るだけなのだと。だから自分ごととして物語を作っていけば、等身大のシニアの姿を描くことができると確信めいた思いが生まれてきました。

――自分がこの先歩む道ということでしょうか。

 そうです。今の自分のままの感情で年をとる。当然、性欲があるし、触れ合いや愛を求める気持ちだってあるでしょう。

 シニアになったとしても、若者と同じように悩みを抱える。もちろん、シニアならではの悩みはあるでしょうが、心悩ませ苦しむことそのものは、どの世代も同じなんだと、映画を作ったりリサーチしたりしているうちに知るようになった。

 2023年に発表した『茶飲友達』という映画は「孤独」をテーマにしました。若者も孤独だし、家族や仲間がいても孤独、だったらシニアだって孤独な気持ちがあって当然だよね、という各世代に蔓延する寂しさを描いた作品です。

年を取ると孤独が見えやすくなる

――年を取るから問題が起きてくるのではないということですね。

 そうですね。年を取るから問題が見えやすくなるというのでしょうか。そういう構造があるのだと思います。40代、50代は満たされているのかというとそんなことはありませんよね。みんなどこか満たされていないし、心に穴が空いている。

 「孤独」とは現代病のひとつだと思っています。思い出の中にある古き良き時代の日本には、孤独はなかったように思ってしまうかもしれません。コミュニティーはしっかりしているし、家に帰ればたくさんの家族がいた。もちろんそれでも孤独はあったでしょう。ただ、現在はそれがより顕著になりました。

 核家族化が進んだことや、少子高齢化で他者との関わりが希薄になったことで、孤独がより浮き彫りになった。コロナ禍がそれに拍車をかけ、他者との関わりは、年を経るごとに紛失していくもののように思います。やがて世の中に居場所が消え、静かに出口を失っていく。それがシニアの孤独です。

――一人ひとりの中にも、孤独はある。

 そうです。ただ、家族を持っている人や、仕事を通したコミュニティーがある人は孤独から目を背けていられますよね。しかし、シニア世代はそれを紛失してしまい孤独がよりいっそう可視化される。寂しさを見て見ぬふりができないんです。

 『此の岸のこと』を撮影した頃、若手の私はいたずらにシニア問題を扱いたくなかった。そもそも、シニアって一体なんだろうということを突き詰めるために、老老介護の映画を撮った、というところがある。

 最初に完成した映画を見てもらったのは、一般のお客様ではなくて、実際に家族を介護している男性の集まりである『男性介護者と支援者の全国ネットワーク(男性介護ネット)』の皆さんでした。そこでいろいろなお話を聞かせてもらいました。そんな中で、「寝たきりで立ち上がれない人を認知症の人が介護している」といった話も聞きました。「今日は薬を何回飲ませただろう」と、介護する側が分からなくなる。そういった中で、皆さん生きていらっしゃる。今、世の中ってこんなふうになっているんだ。そういう現実を見つめ続けたことが、その後の作品作りにも生かされています。

役割を新たに見出して復活した父親

――長生きするからこそ、起きてくる問題について、ご自身はどうお感じですか?

外山文治さんインタビュー中の写真

 大きな問題点としては「役割がなくなること」だと思っています。機能が衰えて、役割が果たせなくなるという部分もありますが、それよりもある一定の年齢を過ぎると、社会の一員から卒業しないといけないという空気と構造によるものが大きい。高齢者は社会の一員から退場しないといけない、今のシステムに大きな問題があると思うのです。

 私の父親も、仕事を完全に引退した70歳を過ぎた頃から、ずっと家にいる人間になってしまった。外に出ない。歩かない。今日と同じ明日を待つみたいな生活になる。それが原因なのかどうかはわかりませんが、耳が遠くなったり元気がなくなった時期がありました。

 ところが、つい最近久しぶりに実家に帰ったんですけど、なんだか父親の雰囲気が違うんです。どうやら近所の駐輪場で働き始めたようなんですね。それで元気になっている。

 仕事場を、遠くの影からこっそり見たんですがとてもイキイキした顔をした父親がいた。本人は家に帰ってくると「大変なんだぞ」など愚痴めいたことをいうんですけど、どうみても充実感に満ちている。駅前の駐輪場は、始発電車に合わせて始まります。しかし父親はそのオープンよりも1時間近くも早く出勤します。そして同僚とおしゃべりしながら、準備をするんです。少しでも長く、仕事場の皆さんと過ごしたいんですよね。

 大切なのはこれだと感じました。仕事をして誰かの役に立つ、それに対してお金がもらえる。そのお金を生活のために使う。この循環を一定の年齢以上になると手に入れにくくなる。喪失してしまう。これがとても問題だと感じます。

 もっというと、お金が貰えなくてもいいのかもしれません。要は居場所を獲得すること。どんな形でもいいので、社会の一員でい続けることが大切なのだと思います。それができる人とできない人で、現在は二極化していますよね。

――シニアになってから気づいても難しいのかもしれません。

 そうですね。現役時代に準備をしておかないと、年をとってから居場所を獲得するのは大変でしょう。準備不足と言えばそうだし、自己責任と言う人もいるかもしれません。でもそうやって突き放したままでいいのでしょうか。高齢者になるというのは誰もが初めての経験ですから、初めての経験に対してどうすればいいのか途方に暮れるのは仕方ないと私は思います。

 さらに、お手本もありませんよね。人生100年と言われ始めたのはつい最近のことです。人生50年と言われていた時代は、家の中にお手本がありました。でも多くの人が80代、90代まで生きる時代は始まったばかりで、どう生きるのが正解なのか、誰もが手探りなんですよ。

「高齢者の性」問題は
現実がずっと先に進んでいた

――2013年の作品『燦燦』は、吉行和子さんが演じる77歳の女性が婚活に目覚めるという物語ですが、これも一つの解でしょうか。

 人間は何歳になっても心をときめかすことが必要なのではないか。本質的に誰かを求めるということが必要なのではないか。そんな思いで物語を書きました。

 先ほども話したように、人は高齢者という別の生き物になるのではなく、今の自分が自分のまま年を取るのだと、私は考えています。そんな私が、今のシステムで果たして満足するだろうか? 世の中を眺めていると、高齢者向けのサークルなどがたくさんありますし、もちろん素晴らしいと思います。でも私自身はそれで満足できるだろうかと思うんです。

『燦燦』の1シーンの写真
『燦燦』の1シーン(Ⓒ埼玉県/SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ)
『燦燦』の1シーンの写真
『燦燦』の1シーン(Ⓒ埼玉県/SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ)

『燦燦』の1シーン(Ⓒ埼玉県/SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ)

 だから『燦燦』ではシニアの婚活を描きました。70代を過ぎてからパートナーを探すという、これはこれで時代を牽引するつもりになっていました。ただ、実際の世の中はさらに進んでいたんです。『燦燦』が封切られたその年に、東京都内で会員制の売春クラブを運営する70歳の男性が警視庁に逮捕されました。新聞の三行広告に「茶飲友達、募集」などと掲載し、問い合わせてきた高齢男性に売春を斡旋したという売春防止法違反の疑いで摘発された事件でした。利用者は平均年齢が65歳前後の男性会員が約1000名。女性会員は平均60歳前後で300名もいたといいます。

 実社会ではそういう組織が運営されていて、みんなで孤独を埋めあっていた。我々が考えるより、シニア世代はしたたかなんだと衝撃を感じました。それが先ほどもお話ししたように、映画『茶飲友達』につながるわけです。

――『茶飲友達』は高齢者の性をストレートに描いていました

『茶飲友達』の1シーンの写真
『茶飲友達』の1シーン(Ⓒ2022茶飲友達フィルムパートナーズ)
『茶飲友達』の1シーンの写真
『茶飲友達』の1シーン(Ⓒ2022茶飲友達フィルムパートナーズ)

『茶飲友達』の1シーン(Ⓒ2022茶飲友達フィルムパートナーズ)

 高齢者問題と一言で括っても、結局は一人ひとりの問題に着地せざるを得ないので無限にあると思います。その中でも性に関する問題は避けては通れない重要なものだと考えます。年を取ってから、性に関する欲求は、皆さんどうしているのだろう。そこに向かい合ったのが『茶飲友達』です。高齢者の性を通して、「孤独」というテーマを描きました。

 高齢者の性事情は触れてはいけないアンタッチャブルな物だと考えられがちです。ところが実際には、いろいろなところで問題が出始めています。表にはあまり出てこないのですが、高齢者施設内でのセクハラや入居者同士の性的な関係など、現場はそうした問題と日常的に接しているわけです。でもそれを描くときに、興味本位の表的面な視点だけで見ていたのでは良くない。

 『茶飲友達』の物語の中で、高齢者施設にデリヘル嬢が行くシーンがあるのですが、ロケ現場は実際の施設を使わせていただきました。施設の理事長に直接お会いして、撮影協力の交渉をしたのですが「そういう問題が世の中の方々の目に触れるのはとても大切なことだ」とご快諾いただきました。こういう作品が制作されるのはとてもいいことだと、コロナ禍の厳戒態勢の中で全面的に協力していただきました。

――映画『茶飲友達』で描かれた世界は、高齢者の性に関する問題のひとつの解のような気もします。

 映画のレビューを読んでいても「このビジネスの何が悪いのだろう」という感想がわりと多くありました。法に触れなければ、許容されるべきなのかもしれません。そうしたセンシティブな部分に一石を投じてみようという思いが、私にはありました。

 また同作品では、孤独を解消するコミュニティーの姿も描きました。自分の父親を見ても仕事が唯一のコミュニティーだった。だから現役を退くと、スパッと社会から切り離されてしまう。今でも地方は地域の結びつきが都会よりはしっかりしてますが、それでも足りているかといえば疑問に思います。

 老いても健康的で介護の必要がない方が、社会との結びつきを求めるために通える学校のような器がもっとあればいいのかなと考えたりもします。小学校、中学校、高校、大学という学生時代があり、仕事を勤め上げた後で途方に暮れてしまうのではなく、最後にもう一度学校のような機関に通えば、充実した時間を過ごすことができるかもしれない。

 もちろん、そうした取り組みや関係を億劫だと感じる方もいるでしょう。そういう方はそれでいいと思います。ただ、何かしらのコミュニティーに参加することは大切です。孤独は辛いけど、人はひとりになる時間も必要です。自分が選び取った“ひとり時間”は決して“孤独”や“孤立”とは違います。コミュニティーに参加しながら、時にはひとり時間を楽しむ。そうしたことを選択できる人生こそが、孤独と上手く付き合う方法だと思います。

 本物の孤独は辛い事件や事故に結びつきがちですよね。他者とのキャッチボールができる環境を作っておくことが大事だなと感じます。

――映画『茶飲友達』ではコミュニティーが崩壊します

 コミュニティーに属することの豊かさと難しさを描きました。映画の中でも主人公は「家族になろうよ」と行き場を失くした人々を仲間に誘います。茶飲友達ビジネスに参加することで、「明日が来るのが怖くなくなった」と孤独な人々はいいます。結局は違法ビジネスなのでそのコミュニティーは崩壊するのですが、それでもコミュニティーに参加している間は誰もがイキイキとしていられる。

 希望が見出せない中では、明日が来ることがしんどくなる。そんな境地ってあるんですよね。20代後半で悩んでいたころの私もそうだったのかもしれない。物語を生み出し監督をすることは孤独になることが多くて、でも「孤独と友達になるといい映画ができる」と言われることもあります。孤独をテーマにした映画を作ることで、それがどれだけ大変なことなのか、身にしみています。

豊かに生きるための
「ひとり」と「コミュニティー」

――70代、80代になったとき、我々はその年齢とどう向き合えばいいと思いますか。

 それは私自身もよく考えます。難しいですよね。まずは、ちゃんと想いを主張するべきだと思います。そして、その主張を受け入れる土台が社会の側にあればいいなと考えます。

 「老害」という言葉があるように、シニアの主張は「わがまま」と捉えるムードがありますが、それを拒まない社会の寛容さみたいなものが今後の世の中には必要ですよね。シニアの方も、否定や不満ではなく何かにチャレンジするという方向で主張する。だったらこういう選択肢がありますよ、と提示できる世の中であってほしい。

 そしてシニアの側は積極的にコミュニティーに参加して、社会とつながりを持っておく。『茶飲友達』に出演しているシニア俳優の方々の多くは、蜷川幸雄さんが作った高齢者演劇集団「さいたま・ゴールドシアター」の役者です。こうしたコミュニティーもいいなと思います。出演者の中で最高齢は94歳の男性でした。奥様に車いすを押してもらって現場に参加し、帰り際に「いい役だったなぁ」と、満面の笑顔で仰っていたのが印象的でした。

 手前味噌ですが映画を観に行くのもいいと思いますよ。『茶飲友達』がヒットしたのは、シニア層のお客様が観に来てくださったことも要因のひとつです。シニアの方々って、特に女性はグループでいらっしゃるんですよ。映画館の前で待ち合わせて、5~6人で連れ立って観に来てくれます。「はい、チケット買っておいたよ」ってその場で配ったりしながら。そして映画の後には、みんなで映画の内容を肴にお喋りをする。そういうサークルを作るのもいいかもしれません。

外山文治さんインタビュー中の写真

 現代のシニアはSNSなども頻繁に使いますから、リアルのつながりじゃなくてもいい。どこかで誰かとつながって、ひとりになりたいときはひとりになれる。人生の後半戦は、ひとりとコミュニティー、両方を自由に選択できると豊かに暮らせるのではないかと感じます。

(写真:吉成大輔)
※本記事内の製品やサービス、所属などの情報は取材時(2024年1月)時点のものです。