私の台所
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第三回美なる食を継ぐ重みと醍醐味フードライター・小石原はるかさん

いきいきとした素材をおいしい食事に変える台所。そんな魔法のようなスペースを、食や料理にまつわるプロフェッショナルはどうデザインし、
どんな風に使っているのでしょう。そこにある道具や収納、使い方は……?さまざまなプロフェッショナルの台所を巡ります。

Profile

小石原はるか(こいしはらはるか)さん
1972年生まれ。東京都出身のフードライター。食を生業とする家庭に生まれ育つ。
レストランを偏愛する健啖家として、グランメゾンから大衆酒場までを日常的に巡る。著書に『レストランをめぐる冒険』(小学館)、『自分史上最多ごはん』(マガジンハウス)、『東京最高のレストラン』(共著・ぴあ刊)など。

上品で物腰やわらかく、容姿に見合わぬ軽口も口をつく。この人の前ではこわもてで知られるレストランの店主も相好を崩す。昨日はフレンチ、今日はイタリアン、明日は焼肉……と日々料理店を巡る小石原はるかさん。では、家の台所とはどんな付き合いをしているのだろう。

「以前は、自分の朝食を作るくらいだったんですが、このところ台所に立つ機会は少しずつ増えています」

それは突然のことだった。2年前、小石原さんは長く二人暮らしをしてきた母の宣子さんを見送ることになった。飲食店を経営する母は、自宅で料理教室を開く料理家でもあった。小石原さんにとって台所は「母の城」だった。

「私も料理をするのは、本当は嫌いではなかったんです。でもこの台所を築いたのは母。私に優先権はないようにも思えたし、母の前で台所仕事をするとこまごまと指導も入るから、生前は少し気づまりで二人で台所に立つ機会はそんなに多くありませんでした」

職業こそ違えど食を生業とする親子だからこそ、指導したくなる場面もあったろう。指摘されたくない重箱の隅だってあったかもしれない。朝、先に起きるはるかさんは自分の朝食を作り、入れ替わるように宣子さんが台所に立つ。ひとつ屋根の下、小石原家の朝の台所にはそんな時間割ができていた。

しかし2年前のある日から、小石原家の台所ははるかさん一人の手に委ねられることになった。台所やそこにある道具やうつわを確かめるうちに、台所に立つ時間は増えていった。

「鍋や料理の道具はもちろん、お皿やグラスが山のようにあって。正月のお重からクリスマスのお皿まで、季節や行事のうつわも揃っているけど、まだほとんど使うことができていないんです」

小石原家の食器棚にはハレの日のお重からケの日常の皿まで、どんな場面にも使えるうつわが揃っている。そんな正統派のうつわたちに混じっても違和感のない気安くかわいらしい皿もある。

「あ、その猫のお皿は私がネットで買ったもの。まじめなうつわは母、ふざけたうつわはだいたい私です。ふふふっ」

長く使っていた冷蔵庫は不具合が出たので新調し、料理の道具なども少しずつ買い足している。小石原家の台所にははるかさんの色が加わりつつある。

「以前は私の友人を招くことなんて考えられなかったけど、最近は少しずつ友達を招いて、料理を作ったり、作ってもらったりするようになってきました。たいていのものは揃っているから料理好きの友達にも喜んでもらえているみたいで」

小石原さん自身も料理をする機会は少しずつ、でも確かに増えている。昨年末には、母が作っていた様子を思い起こしながら黒豆を炊いた。自室のデスクで書いていた原稿も、ダイニングテーブルにMacBookを持ち込んで書くようにもなった。小石原家の台所は、少しずつはるかさんへと継がれていっている。

「いまも台所は『お借りします』という気持ちですし、台所で何かしていると脳内に『ちゃんとしなさい』という叱責の声が聞こえてきます。まだ『私の台所』とはとても言えませんけど、母の城だったこの台所がだんだんと私の居場所にもなってきている気がします」

いまもこの台所ではさまざまな味が生まれている。そこにははるかさんの味の記憶を頼りにした“母の味”もある。母の料理を作るとき、はるかさんは「こんな感じ?」と宣子さんに問いかける。台所を介した母と娘のやり取りはこれからも続いていく。

やかん×2
どちらも母が揃えたもの。銅製は30年以上使っている、ポルトガルのTAGUS(ターガス)のもの。「素敵ですよね。でも重いんです。母が指の結節を患ってステンレスの軽いやかんに切り替えました」。現在の実用もだいたいステンレスのほう。
両手鍋
使用頻度がもっとも高い鍋。パスタや葉物などはほとんどこれで茹でる。「でも最近、少量の小松菜などはフライパンで茹でちゃうかも。洗いものも楽だから」。
甘酒習慣
10年以上、米麹から作った自家製の甘酒を毎日飲み続けている。週に一度甘酒用のごはんを炊いては、麹と合わせて甘酒を醸す。

家電のデザイナーが
プロの台所から学んだこと

三菱電機株式会社 統合デザイン研究所四津谷瞳
お母様の食に対する愛情で育まれ、いまも小石原さんの愛情で成熟する台所。そこにあった何十年も使い込まれた美しさのある鍋ややかんなどの調理道具に、季節を愉しむおわんやお皿の数々。使い込まれる道具には、デザインと機能のどちらもおろそかにできないことが染み入るように伝わってくる台所でした。家電もまた長く使われ続けるもの、価値あるものでありたい。そして使う人それぞれの暮らし、様々な使い方や解釈に寄り添うようなプロダクトをお届けしたい。たっぷりの愛情で長年かけて磨き上げられた素敵な台所に触れてそんな思いを新たにしました。

構成・文/松浦達也 撮影/吉澤健太
2024.03.04