私の台所
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第四回台所という遊び場を育てること料理家・瀬尾幸子さん

いきいきとした素材をおいしい食事に変える台所。そんな魔法のようなスペースを、食や料理にまつわるプロフェッショナルはどうデザインし、
どんな風に使っているのでしょう。そこにある道具や収納、使い方は……?さまざまなプロフェッショナルの台所を巡ります。

Profile

瀬尾幸子(せおゆきこ)さん
東京都出身。雑誌や書籍、テレビなど多方面で活躍する料理家。レシピには料理初心者でもおいしくできると定評がある。「頑張りすぎず、毎日つくれる料理」が信条で、外食では食べられない「どうってことはないけど、食べてくたびれない簡単でおいしい」料理や酒肴を提案する。代表作には『ラクうまごはん』シリーズ、『のっけごはん&のっけパン』シリーズなど。

誰もが背伸びすることなく、おいしい仕上がりを再現できる。そんなレシピを作り続ける料理家の瀬尾幸子さんのお宅の玄関を開けるとすぐ正面に台所がある。脇には徳利がずらりと並んでいて、奥の居間には灰をパンパンに詰め込んだブリキの大きなバケツが火鉢代わりに鎮座していて、日本酒のお燗ができるよう、やかんが仕掛けてある。

囲炉裏のような、火鉢のような炭床に、小さく熾(お)きた炭火と瀬尾さんのまわりには人が集う。バーのマスターや元力士などが集まる日もあれば、マンガ家、作家、編集者などで賑わう日もある。料理の腕に覚えのあるプロも訪れるし、ひたすら炭火で酒肴を炙り続ける“炙り部”なども開催されるが、酒肴を準備するのはたいてい瀬尾さんだし、炭火のやかんで燗付けをするのもだいたい瀬尾さんだ。

「私、日本酒が好きなんです。徳利は、一時期日本酒が見向きもされなくなった頃、旅に出るたびに駅前の食器屋さんで奥の方でほこりをかぶっているようなものを買っては連れ帰っていた頃のものが多いですね。この家も、建てるときから友達を呼べる居酒屋にしようって決めていたんです」

10年ほど前に建てた自宅の台所を瀬尾さんは「遊び場」だという。

「私にとって台所は仕事場でもあるけど、楽しく料理をして飲んで食べる遊び場にしたくって。でも、本当に遊び場として楽しめるようになったのは最近になってからなんです」

自分の理想の住まいを建築家に託すのが注文住宅……ではあるけれど、思い描いた通りのしつらえを実現してくれるとは限らない。ふつうは一生に一度。施工途中で「あれっ?」と思っても、「そういうものか」で済ませてしまったりもするし、大幅なやり直しは難しい。そもそも仕上がってみないとわからないこともある。

「引き渡しのとき、『あ。この家、ダメだ』って思っちゃったんです(笑)。建築家さんには仕事のことも伝えていたし、一般的なお宅よりも鍋や調理道具が多いのは伝えてあったから、もちろん収納のことくらいは考えてくれるだろう……と油断していたら、鍋が入る場所が全然なかった」

カラカラと笑い飛ばす瀬尾さんだが、料理家にとって鍋の収納問題は笑い事ではない。引き渡しの後で鍋や道具の置き場所をひとつひとつ調えることになった。

道具には居場所というものがある。

「すりこぎや鬼おろしといった木製の道具って洗った後、濡れたまましまうとカビたりしかねないので、風通しのいいところで吊ることにしました」

収納がなければそこにある空間を活かす。使用頻度の高いフライパン類はコンロのまわりに吊り、段付き鍋はマトリョーショカのように積み重ねてシンクの下に収納した。それでもまだまだ足りない。引き渡し後に、居間の壁をぐるりと取り囲むように棚をしつらえ、なんとかすべての鍋が収納された。

使わない道具は持たない。つまり道具ひとつひとつに選ばれる理由がある。液体調味料は棚に高さがピタリと合う米酢の容器を洗って再利用する。カウンターキッチン内側にしつらえた棚には砂糖や塩など粉状の調味料が同じサイズの容器で気持ちよさそうに収まっている。

棚をしつらえ、選ばれた道具の居場所を作り、居間に火鉢を置いた。台所から続くこの空間すべてが瀬尾さんの遊び場であり、台所と言ってもいい。

「最初はダメだと思ったけど、10年使っていたら台所もよく育ってくれました」

使い手に恵まれれば、台所だってよく育つ。10年かけて使い勝手がよくなった遊び場で、今日も瀬尾さんは楽しげに腕を振るっている。

炭は火付きと火持ちがよく、煙が立たず静かに燃える、菊炭の“こわれ”を使うことが多い。茶の湯で使われる、美しい高級炭の菊炭。その端材の徳用品を普段遣いに。
ごますり器
ごますり器は博多ラーメンの店などでも見かけるベストセラー。「通販だとちょっと高いけど、築地などの専門店なら300~400円で買えますよ」
ファイヤーキングのメジャーカップ
愛用しているメジャーカップは、分厚くて丈夫なファイヤーキング製(500mL)。「注ぎ口の脇のフチが立ち上がっていて、液垂れしにくい。使いやすさを追求した細かい工夫が大好きなんです」。

家電のデザイナーが
プロの台所から学んだこと

三菱電機統合デザイン研究所落合祐美子
こだわりのある個性的なキッチン&リビングは、遊び場と仕事場が一体となった空間で、食を起点にこういう暮らしをしたい! という想いが見事に表現されていました。趣味の陶芸で出会ったという道具を調理道具に活用される発想には、常に日常の中にヒントを無意識に探す、デザイナーという職業との共通点を感じました。キッチンに並んだ道具へのこだわりを伺うと、どの道具にどんな機能を求めるかが迷いなく定まっていらっしゃる。調理器具や道具の機能性を深く理解し、役割を明確にする。そういった姿勢は家電の開発にも通底する大切なことだとあらためて勉強させていただきました。

構成・文/松浦達也 撮影/吉澤健太
2024.04.01