私の台所
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第八回いつかこの台所に立つ日に向けて中国料理店『O2』店主・大津光太郎さん

いきいきとした素材をおいしい食事に変える台所。そんな魔法のようなスペースを、食や料理にまつわるプロフェッショナルはどうデザインし、
どんな風に使っているのでしょう。そこにある道具や収納、使い方は……?さまざまなプロフェッショナルの台所を巡ります。

Profile

大津光太郎さん
1982年東京都門前仲町生まれ。華調理製菓専門学校を卒業後、東京・赤坂「トゥーランドット臥龍居」に入り、中華料理界のレジェンド、脇屋友詞シェフのもとで15年間中国料理を学ぶ。2017年に同店を卒業、1年間の準備期間を経て2018年3月、なじみ深い清澄白河に中華料理店「O2」を開店。伝統を大切にしながらも、飲み物の軸はナチュラルワインとし、既成概念にとらわれないモダンな中華料理を提供し続けている。

生まれも育ちも下町、門前仲町。清澄白河の人気中華料理店『O2』の店主、大津光太郎さんが4階建ての生家に戻り住み、フルリノベーションしたのは昨年のことだった。

「もともとここは近くで商売をやっていた祖母が住まいとしていた場所だったんです。30年近く前、僕が小学校5年生のときに4階建てに建て替えて、3世代同居の住居として住んでいました」

大津さん自身は専門学校を卒業後、中華料理の巨匠、脇屋友詞シェフの中華料理店『トゥーランドット臥龍居』の門を叩いた。不動産業を営む父のすすめで、20代中盤で下町に小さなマンションを購入し、その後もいくつかの物件に住んできたが、「父にとって、4階建てを階段で上り下りするのは、負担も大きい」と昨年、互いの住まいを交換することにしたのだ。

十数年ぶりの"実家"で生活を新たにするにあたり、フルタイムで働く妻と二人で構想を練り、住居空間をフルリノベーションすることにした。

台所の形も二人で決めた。ワークトップの高さは二人ともが使いやすい90cmに。振り返ったカウンターとの高さも揃え、もともと持っていたリビングのテーブルからカウンターまで地続きになるよう面や幅も合わせてしつらえた。

大津家のダイニングキッチンには日中、自然光が東南の全面窓や天窓から降り注ぐ。採光口が広く、明るく居心地のいい空間だ。リノベーション後の部屋の配色は白とナチュラルウッドを基調として黒で締めた。台所まわりは壁のベースカラーは白色でテーブルや引き出しは木目。そしてコンロの近くの壁は汚れの目立たない濃いグレーのタイルという具合。実際に使うシーンを想定しながら、作り上げていった。

「実は僕自身は、まだこの台所をあまり使っていないんです。だからどこに何があるかなどは妻のほうが詳しいですね。あ、でもこの蛇口は、すごく使い勝手がいいんですよ。ここをこうすると蛇口が伸びて……。あれっ?どうするんだっけ……」

実は大津さんがこの台所に立ったのは、昨年のリノベーション以来、一度だけ。水場の使い方に戸惑うのも無理からぬことだった。

「妻から『年に一度、私の誕生日だけは、私のためだけに料理を作ってほしい』というリクエストをもらっているんです。この台所に立った“一度だけ”というのは、妻の誕生日の一度くらい。いまこの台所は妻の城みたいなものですね」

いま、大津さんにとってこの空間は食卓だ。朝8時に起きて、奥さんの作った常備菜で炊きたてごはんを食べながら、前日にあったことやその日の予定を報告し合う。食後は友人からもらったミルで豆を挽き、ネルドリップでコーヒーを淹れ、つかの間の団らんを満喫する。その数十分間は、まだ初々しさの残る夫婦ふたりにとってかけがえのないひとときだ。

コンロ前にカウンターを設置したのは、台所の前がダイニングキッチンの中心になるという予感があったから。対面カウンターの幅を広くとったのも、「ゆくゆくは家で料理教室などもできるように」という将来を見越してのことでもあった。

積み重ねた年月がいまの自分を作り、未来へとつながっていく。それはすでに二人が持っていたテーブルが、新しくしつらえたカウンターとなじむように地続きになっているのと少し似ている。

コーヒーセット
いただきものの、Comandanteの手動コーヒーミルは「ミルでこれほどコーヒーの味が変わることに衝撃を受けた」と大津さんも驚いたほどの逸品。コーヒーのみならず、コーヒーを淹れる道具まで含めて朝の団らんに欠かせない。
うつわ
左のカップは『O2』でもメインの皿として使う、笠間「Keicondo」の焼き物。右の七宝紋の磁器は地元・深川不動尊の参道にある「いつも半分シャッターが閉まってる」という陶器店で購入。「おまけにさだまさしの『関白宣言』のレコードもくれました」(笑)
無水鍋
家の米は奥様の実家から送られてくる秋田産「サキホコレ」か「あきたこまち」。炊飯は無水鍋で焦げを作らないように炊く。「といっても家で炊いてくれるのは奥さんですけど(笑)」。店では石川産「コシヒカリ」をチャーハン用とフカヒレ用に水量を変えて炊き分けている。

家電のデザイナーが
プロの台所から学んだこと

三菱電機統合デザイン研究所中島彩依
“食”の最前線で日々奮闘される方ならではの大胆な発想と細やかな気遣いが随所に盛り込まれた台所に、たくさんの勉強をさせていただきました。リノベーションに際して、台所が生活の中心となることを見越して、手持ちの4人がけのダイニングテーブルに、後づけカウンターを連結して延長し、キッチンシンクのテーブルトップまで含めて高さをぴったり揃える。店で使う食器も数点購入したものを、日々の暮らしのなかで手触りや使い勝手を確認しながら使ってみる……などなど、将来の使う人やシーンを考え抜き、体感や体験を踏まえて、アイテムを選び、台所を設計をされていらっしゃいました。未来の様々な可能性を考えて余白を残し、手持ちのアイテムの拡張性を想像されるその姿勢は、私がデザインの仕事をするうえでも大切にしたいことだと改めて認識させていただきました。そして大津さんが、新しいライフスタイルや可能性に思いを馳せ、楽しそうにお話される様子もとても印象的で、刺激的な経験になりました。

構成・文/松浦達也 撮影/吉澤健太
2024.08.01