- 落合
- 「食洗機のような、自宅で介護用のチューブを洗える機械があったらいいのに」。育休中に感じたこの悩みが、プロジェクトの始まりです。娘が障がいを持って生まれ、口からものを食べさせるのが難しい時期がありました。栄養を摂らせるには細くて長いチューブを鼻から入れて、流動食を胃まで届けます。大変だったのは、このチューブを一日に何度も洗う必要があること。「専用の洗浄機があれば、同じ悩みを抱える人たちの助けになれるかもしれない」と考え、復職後に、自由にテーマを決められる研究所内の公募型プロジェクト「Design X®」に企画案を提出しました。
- 新井
- 2017年度からプロジェクトの始動が認められ、落合さんに誘われてチームに加わりました。メンバーは、発案者でありリーダーの落合さんを含めて4人。まずは彼女が経験した困りごとをもとにチューブを手洗いする際の課題をまとめ、どういった洗浄機があれば解決できそうかを全員で話し合いました。
- 落合
- 洗浄方式には、三菱電機の給湯器でも使われているマイクロバブルが活用できると見込んでいました。マイクロバブル(非常に小さい空気の泡)を含んだ水は、微小な汚れをしっかり吸着するため、洗剤を使わなくても高い洗浄効果が期待できます。この泡を用いることを想定して、機器のアイデアを練っていったのです。その後、娘がお世話になっている障がい者支援の施設へ赴き、私と同じように日常的にチューブを洗浄しているお母さん方に話を伺いました。
- 新井
- このヒアリングでは、落合さんが抱えていた悩みがほかの在宅介護に向き合う皆さんにも共通するものか確認することからスタートしました。改めて、チューブの手洗いにはいくつもの課題があると再認識するに至ります。まずあげられるのは衛生面です。細くて長いチューブの中にはブラシが届かないため洗いづらく、乾きにくい。そもそも洗浄には手間も時間もかかります。1回の洗浄にかかる時間は約8分。これを一日に6回行うとしたら、実に48分を費やしている計算です。また、「チューブの中に洗剤残りがないだろうか」といった心的負荷の問題もあがりました。
- 落合
- この場では3パターンの洗浄機のアイデアを提示して、それぞれに対する印象もお聞きしました。キッチンや洗面台に置いて使用する「据え置きタイプ」、水道に取り付けることで場所をとらない「分岐水栓タイプ」、充電式で持ち運びができる「スティックタイプ」の3つです。ここで得られた意見を参考に、デザインの方向性を探っていきました。
- 新井
- デザイン確認用のモデル製作にあたっては、扱いやすさや利用シーンを考慮して「据え置きタイプ」をベースにしました。当時のサイズは、少し大きめのコーヒーメーカーほど。洗浄後の水をそのまま排水できるように、シンクの脇に置いて使います。洗浄の際は水を入れたタンクとチューブを洗浄機にセットし、ボタンを押すだけです。手を動かしている時間は1分程度。送風乾燥によって水気を切る手間はなくなり、菌の増殖も抑えられます。並行して進めていたのが、マイクロバブルで洗浄することの妥当性の確認です。三菱電機の住環境研究開発センターや先端技術総合研究所からのアドバイスを受け、自分たちでもできる洗浄テストを実施しました。
- 落合
- プロジェクト2年目となる2018年度からは、製品化を前提とした技術検証をスタートしました。洗浄方式を確定させるにあたり、先端技術総合研究所に技術協力を依頼し、マイクロバブル方式をはじめ、超音波洗浄等の他の方法についても高精度な洗浄試験を行いました。その結果、チューブ素材を傷めず、洗剤のすすぎ残しが発生しないマイクロバブルが最も適しているとの結論に至りました。
- 新井
- 研究者や設計者との打ち合わせの中では、内部の構造上の条件が出てきます。それを踏まえて、機器がどういう形状であればチューブがスムーズに装着できるかといった、使いやすさを高める検討を進めました。動作するプロトタイプができたのは2018年度の末。使用感を確かめるために、改めて支援施設へヒアリングに伺いました。
- 落合
- 洗剤を使わず洗えることに、大きなメリットを感じていただけました。けれども、まだまだ課題はありました。特に大きな問題点は、機器の大きさです。本体の設置面積が広いほど、キッチンのスペースを圧迫します。小さくするために、どういった内部構造にするべきかの検討は、私たちデザイナーだけでは難しい領域です。チューブ用の洗浄機は業務用としてもほとんど例がありません。研究者や設計者にも、多くの試行錯誤をしていただきました。
- 新井
- このプロジェクトをいかにして事業化するかは、当初から検討し続けています。障がいのある子どものいる家庭だけではなく、高齢者のケアに携わる皆さんの助けになることも間違いありません。けれども調査を進めるうちに、こういった在宅医療・介護の現場だけをターゲットとして事業化するには、規模が小さく、ユーザーニーズからかけ離れた高価な製品となってしまうことが分かってきました。
- 落合
- 一般的に、事業化の目処が立たないプロジェクトは早めにストップがかかります。けれども、見通しの立っていない段階から、粘り強く技術検証や事業展開の道を探れる制度がありました。
- 新井
- 2021年から三菱電機でOpen Technology Bank®という知的財産を公開する取り組みが始まりました。ここにチューブ洗浄機の特許も公開されています。「チューブをムラなく洗浄・乾燥させる小型構造」の技術は、飲料系などの他の分野にも活かせるはずです。興味を持った企業が現れれば、ライセンス契約や共同開発といった形で、今回のプロジェクトの成果を世に送り出せる可能性があります。
- 落合
- こちらからも他社にアプローチしている中で、ありがたいことに幾度かの面談の機会をいただいています。「医療用チューブの家庭用洗浄機」というそのままの形ではなくとも、社会の役に立つ機器の開発につなげたいと思っています。
- 新井
- 誰かの悩みごとや課題の解決策を考え、それを形として表現できることがデザインの仕事。このプロジェクトでは、その難しさとやりがいを強く感じます。想定できるユーザー数が少ない場合、たとえその悩みごとが切実なものであっても事業化は難しいものですが、できる限り応えていきたいと思います。
- 落合
- デザインというと、一目で心を奪われるような魅力的な意匠を創るというイメージが先行しているかもしれませんが、困りごとの地道な改善によって生活をより豊かにすることもデザインの力ですよね。どちらもデザインの魅力です。これからも本当に困っている人の助けとなるプロダクトを生み出していければと思っています。このプロジェクトも何らかの形でリリースし、誰かにありがとうと言ってもらえたら嬉しいです。
「Design X」「Open Technology Bank」は三菱電機株式会社の登録商標です。
掲載内容はPJメンバーの見解であり、三菱電機グループを代表するものではありません。
本記事の掲載内容に関する著作権など諸権利はすべて三菱電機株式会社に帰属します。
三菱電機株式会社 統合デザイン研究所
プロダクトデザイナー
落合 祐美子
2005年入社
冷蔵庫、炊飯器など調理家事家電のプロダクトデザインに従事。現在は高齢者向け製品・サービスのコンセプトやUIデザインも手掛ける。
三菱電機株式会社 統合デザイン研究所
プロダクトデザイナー
新井 悟史
1992年入社
産業機器や冷蔵庫開発担当を経て、現在は国内外の空調冷熱機器のデザインを担当。技術者と議論する機会も多く、デザイン面と設計的な視点との両面での思考も試している。