1957年10月4日、人類は宇宙に初めて人工物を送り込んだ。旧ソ連が打ち上げた人工衛星「スプートニク」だ。ロシア語で「旅の仲間」を意味する、直径58センチ、83.6kgのまん丸い衛星。髪をなびかせるようにアンテナを後ろに4本突き出し、100日ほど地球の周りを回りつづけた。世界中の人たちが夜空をあおぎ、スプートニクを探した。その光がその先の生き方に大きな影響を与えることになった人たちもいた。
たとえば松本零士氏。漫画家をめざして上京してきた日、銀座の電光ニュースでスプートニクが軌道に乗ったことを知った。「宇宙と運命的な縁を感じた」そうだ。
もっと直接的な例を、と言うなら映画「遠い空の向こうに」をご覧あれ。ウェスト・バージニア州の炭鉱町に住むホーマー青年は、スプートニクが描いた美しい軌跡に心奪われ、失敗を繰り返しながら仲間達とロケット作りにチャレンジする。後にNASAのエンジニアとなったホーマー・ヒッカム・ジュニアの実話を基に作られた、オススメの映画だ。
ところで、「スプートニク」をきっかけに米ソの宇宙開発競争が激化していったことは有名だけど、日本がスプートニクの打ち上げの前に、小さなロケットを作り始めていたことは、あまり知られていない。1955年4月12日に「ペンシルロケット」が東京・国分寺で初の水平発射公開実験を行っているのだ。
ペンシルロケットは、長さ23センチ、直径18ミリ、重さ203ミリグラム。鉛筆のようにスリムでシンプルなデザインだ。ロケットの飛び方を研究するために発射実験がくり返され、ペンシルから「ベビー」、「カッパ」「ラムダ」と徐々にロケットは大型化していった。そして1970年、日本は外国の力に頼らずに初めて人工衛星を打ち上げることに成功した。
「スプートニク」の打ち上げからから約45年。世界ではこれまで4000個を超える人工衛星が打ち上げられ、「旅の仲間」たちは年々増えつづけている。しかし、その大部分は役目を終わった衛星の残骸。宇宙のゴミは今、大きな環境問題だ。
宇宙に衛星を送り込むだけでは、もう古い。後始末をどうするかまで考えないと、これから人工衛星は打ち上げられなくなるんだろう。
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