毛利衛さんが1992年9月に宇宙飛行をしてから、今年でちょうど10年になる。
最初の宇宙飛行で毛利さんは「太陽」を見ることを楽しみにしていた。宇宙飛行士に選ばれる前、北海道大学で核融合材料の研究を通して「地上で太陽を作る」ことに格闘してきた。だからこそ宇宙で大気を通さずに太陽を見て「その本質を見極めたい」と思っていた。しかし、実際に宇宙空間で見た太陽は「白くギラギラとした『エネルギーの塊』以外の何ものでもなかった」と毛利さんは言う。有害な感じさえしたと。
飛行後、宇宙飛行士を続けるどうか迷った時期もあった。しかし「もう一度地球をじっくり見たい」と50歳を目前に2度目の挑戦を決意。30代のNASAの飛行士たちと競いながら訓練を開始した。 体力的には問題なかったが、瞬時の判断力や記憶力で年齢的な限界を感じた。「10年を振り返って一番つらい時期だった」と毛利さんは語る。自分の「売り」は何か考えざるをえなかった。そして意外にも「日本人らしさ」が国際宇宙ステーション時代に求められることに気づく。飛行士たちが長期間、閉鎖された空間でくらす時代には、「リーダーシップ」よりも調和を重んじる「フォロワシップ」が求められる。それは日本人が自然に身に付けているものだった。
「日本のよさ」を改めて知ろう、と毛利さんは「古事記」などの古典を読みこんでいった。そして日本人が古来から愛でてきたものは「太陽」でなく、「月」であることを実感。「そう言えば、ぼくも故郷の北海道で吹雪のあとに大きく輝く月を見るのが好きだったんだよね」。2度目の飛行では宇宙で「月」をじっくり見ようと決めた。
2000年2月、再び宇宙に飛び立った毛利さんは約11日間の飛行中、半月から満月、そして欠けていく月を毎日ながめていた。最終日にハイビジョンカメラで夢中で月を撮影している時、同僚の飛行士に「日本が近づいてくる」と声をかけられあわてて地表を見ると、雪の富士山が。「アメージング!」「ファンタスティック!」飛行士たちの高揚した声がシャトル内に響きわたった。「月と富士山という日本らしい映像を撮影できたのは、偶然の一致以外、何ものでもありません」。帰国後の記者会見で毛利さんは満足げに語った。2度の宇宙飛行で達成感をえた毛利さんは今、日本科学未来館の館長として新しい目標に向かっている。
2002年11月20日、東京・四ツ谷の紀尾井ホールで「月」をテーマにしたコンサートが開かれる。毛利さんの「宇宙から見た月」をテーマにした対談、西洋や日本の伝統音楽から月をテーマにした音楽の演奏、さらに「竹取物語抄」の語り。贅沢な夜になりそう。
紀尾井ホール
http://www.kioi-hall.or.jp/
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