コラム
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2003年 8月分 vol. 2
復活の奇跡に「のぞみ」をかけて。
ライター 林 公代 Kimiyo Hayashi


火星探査機「のぞみ」のイメージ。現在「のぞみ」の復活作業中。「11月末までになんとかしたい」と早川さんは語った。(提供:ISAS)  前回は、火星に探査機を送るのが「どんなにチャレンジングか」ってお話を書きました。そして今回は「のぞみ」のお話。日本初の火星探査機「のぞみ」は、数々のトラブルを乗り越えてきた。今年末の火星到着に向けて本命の修復作業が今、まさに行われている。

 ムービーに登場されている早川基先生は、火星探査機の計画が宇宙科学研究所で1986年に出たときから、ずっと関わってこられた。1998年の打ち上げまでも勿論、苦労の連続。たとえば衛星の重量が予定より100kgオーバー。「火星に行く機会は滅多にないから、やりたいことがいっぱい、持っていきたい機械もいっぱいで」という気持ちはよくわかる。でも打ち上げ時の総重量540kg、そのうち燃料280kgという状況からすれば、100kgオーバーは言語道断。異なる3社の製造した機器を一つの箱に押し込めるという「掟破り」をしたり、材質を軽いものに変えたり削ったり。打ち上げ1年前にやっと重量制限内に。

 そして1998年7月に打ち上げたと思ったら、同年末の大トラブル。地球から火星に「行っといで」と送り出すはずが失敗。燃料も使いすぎた。元の予定通りに火星に着くには、1月8日に軌道を修正する必要があった。ただし燃料が足りなくて火星の周りを回せない事が明らかに。そこで年末年始の休みを返上して検討が続けられた結果、軌道修正の決断を迫られる1月7日朝、「違う軌道が見つかるかも」というメールが早川さん達に入る。しかしその午後には「忘れてくれ」。さらに夕方には「やっぱり見つかりそうだ」と二転三転し、結局7日の夜に新しい軌道を発見。「アイデア」と「執念」で「のぞみ」は確実な新しい航路を与えられた。

 しかし2002年春、今度は大規模な太陽フレアに遭遇。ある電源にぶら下がっている何処かがやられて「のぞみ」からのデータがとれなくなり、「衛星が死ぬんじゃないか」とチームは奈落の底に。そんな状況からも「のぞみ」のか弱い声を必死にひろい上げて、2回の軌道変更にも成功した。

 そして今、最後の正念場を迎えている。「のぞみ」の電源がショートした場所を焼き切る作業が行われているのだ。うまく行けば、火星の周りを回る軌道に入ることもできるし、観測データを送ってくることができて、「のぞみ」は完全に復活する。もし失敗すれば、「のぞみ」は火星を通り過ぎていってしまう。「なんとしても復活させて、火星軌道投入は果たしたいと思っています」。目じりに笑い皺を浮かべながら早川さんは語る。長く修羅場を経験してきた人とは思えない穏やかさ。こういう方達だからこそ、成功に導けるんだろうな~。