コラム
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2003年 10月分 vol. 3
中国発「タイコノート」宇宙へ
ライター 林 公代 Kimiyo Hayashi


明の時代、竹製のイスに乗って月を目指そうとした伝説の人物、王富(ワン・フー)。月の裏側には彼の名のクレーターがあり、宇宙船が飛んでくるのを待ちわびている。(提供:NASA)  ついに「タイコノート」が宇宙へ飛び立った! 中国語で宇宙は「太空(たいくう)」。宇宙飛行士は太空人。ロシアの宇宙飛行士はコスモノート、アメリカはアストロノート、それなら中国はタイコノート。10月15日午前9時(現地時間)、タイコノート楊利偉(ヨウ・リイ)氏(38歳)は甘粛省の酒泉衛星発射センターから長征2号Fロケットで打ち上げられた。

 中国の有人宇宙計画は1992年にスタートした。神舟(しんしゅう)1号は1999年11月20日に打ち上げられ、21時間後にモンゴル自治区に着陸。神舟2号は2001年1月10日に打ち上げられ犬、サル、うさぎ、カタツムリ等を載せて7日間飛行し無事に生還。神舟3号(2002年3月25日打ち上げ)と4号(同年12月29日打ち上げ)には宇宙飛行士のダミーが乗っていた。神舟は軌道モジュール・帰還モジュール・推進エンジン部から構成されているが、帰還モジュールが地上に帰った後も、軌道モジュールは宇宙で数ヶ月の間実験を続けていた。

 注目したいのは食料育種の実験。神舟4号には米や小麦、野菜など約100種類の農作物が搭載されていた。人口増加が続く中国は食料問題が深刻。宇宙の放射線などを突然変異に利用し食糧増産に結び付けるための研究が進められている。すでに宇宙帰りのイネ約9品種を地上で育て、今年収穫されている。収穫した粒の品質を調べた後に二代目の実験を行うそうだ。

 それにしても中国は、いつの間に人を宇宙に送る技術を獲得したんでしょう。第18回世界宇宙飛行士会議に来日したロシアのアレクセイ・レオーノフ氏は「ロシアの宇宙飛行士訓練施設には中国の専門家が常に滞在しており、我々は技術を惜しみなくわけ与えてきた。心から成功を祈る」と発言。確かに宇宙服や宇宙船はロシアタイプに酷似しているが、神舟には将来的に小型の宇宙ステーションとしても機能できるような独自の工夫がされているらしい。早ければ半年後に二人を乗せて神舟6号を打ち上げ、その後も独自の宇宙ステーション、月探査機の打ち上げ・・・など中国には野心的な計画が続々とあるようだ。

 そう言えば、中国はロケット発祥の地。11世紀に発明された火箭(かせん)は竹の矢に火薬入りの筒をとりつけたもの。そして15世紀には宇宙を目指して飛び立った人物がいた。王富(ワン・フー)は竹製のイスに47機の火薬ロケットをとりつけ月を目指したという。北京の中国科学技術館に彼の模型が展示されている。6世紀の時を経て、王富の願いは現実になろうとしている。