2004年 3月分 vol. 2
ブラックホールにせまる!―その1
宇宙からのX線を初めてキャッチした男
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ライター 林 公代 Kimiyo
Hayashi
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ブラックホールに引きずり込まれる物質が最後に出す悲痛な叫びはX線となって放出される。だからブラックホールの観測にはX線が欠かせない。だがX線は地球の大気を通らないから地上では観測できない。初めて大気の外でX線を観測したのは1962年のことだった。
X線を世界で初めてとらえた人物が2004年2月末に来日した。リカルド・ジャコーニ博士。2002年に小柴昌俊氏と同時にノーベル物理学賞を受賞した人物だ。ジャコーニ博士は1962年6月18日、X線観測用ロケットを打ち上げ、強いX線をキャッチした。2月27日に東京国際交流館で行われた記者会見と講演会「ブラックホールの謎に挑む」でジャコーニ博士が語った言葉からは、X線観測初期の驚きと興奮が伝わってきた。
― 1962年にロケットを打ち上げて最初にX線をキャッチした時、どう思いましたか?
X線はまったく予想しない強さでした。予想より50倍は強かったと思います。あれだけのX線を出すものが宇宙にあるとは驚きだった。X線を出すものの中で最も強い天体は(太陽以外で)月だろうと思っていた。
当時は太陽面爆発(フレア)でX線が発生することはわかっていたけれど、他の星で同じようなことが起きても、距離が遠いために検出できないだろうと考えられていた。そこで太陽フレアで発生したX線が月に衝突して出る「蛍光X線」を調べれば、月の表面がわかるだろう、と観測計画を立てていたのだ。
― X線に興味をもったきっかけは?
私はミラノ大学で素粒子物理学を学んだ後、フルブライト奨学金で米国のインディアナ大学で学び、その後ボストンの小さな会社(ASE)の宇宙・天文部門で働き始めました。ASEの会長がブルーノ・ロッシ。彼からX線の話を聞いて非常に興味を覚えたのです。
ジャコーニは28歳でASEに入り、マサチューセッツ工科大学(MIT)の教授だったブルーノ・ロッシに出会った。ロッシはX線天文学を切り開いた人物。日本の小田稔(元宇宙科学研究所所長)の恩師でもある。ロッシは「何もわかっていないからX線天文学に乗り出すのであり、素晴しい発見の可能性がある」とジャコーニに語ったそうだ。ロッシ、ジャコーニ、小田らがX線を使って、宇宙の新しい姿を次々と浮かび上がらせていった。
― 小田稔さんとの思い出についてお話下さい
私が1970年にX線衛星「ウフル」を打ち上げた時に、彼が考えた観測機も積んでいた。ウフルは最初の1時間でそれまでのロケット全部のデータより多くを観測し、家族総動員でデータをプロットしていきました。私達にはデータを見ても宇宙で何が起きているかを考える理解力が欠けていた。どなりあって議論したものです。しかし彼は、はくちょう座にあるX線を出す天体がブラックホールではないか、と考えたのです。
宇宙から来る強力なX線をとらえたものの、そのX線が星から出ているのかという正体、大きさすらわからなかった。そこで小田はX線源の大きさや形を特定する「すだれコリメーター」という観測機を作り、ジャコーニらのロケットや衛星に搭載してもらう。その結果、X線が星のような天体から出ていることをつきとめる。その後、ブラックホール候補に迫る話は次回詳しく紹介するとして、ジャコーニ博士が講演会で語ったメッセージを。
「私が宇宙の仕事をするのは、宇宙が美しいから。そして楽しいから。自然の法則を理解することは高貴な冒険であり、満足の源。世界各国で色々な人と出会い、国を超えて大きな貢献ができるのです」。
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参考資料:的川泰宣 著「星の王子さま 宇宙を行く―小田稔からのメッセージ」
同文書院 発行 平成2年9月
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