コラム
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2007年 7月分 vol.1
遠くて近い!?―ロシア宇宙現場の魅力とは
ライター 林 公代 Kimiyo Hayashi


 雑誌(※)の取材で4月に約2週間、ロシアに行ってきた。なぜロシア? と言えば、ロシアは今後の有人宇宙開発の鍵を握る場所だから。国際宇宙ステーションの主要な訓練はロシアで行われているし、宇宙旅行客の打ち上げやCM撮影など宇宙ビジネスを手がけるのもロシアだけ。今や宇宙飛行士も旅行客も宇宙ビジネスを狙う人も、みなロシアに集まってくる。ところがその現場は長く外部に閉ざされて、どんな場所かもよくわからなかった。その状況が最近少しずつ変化して、ロケット発射見学ツアーを手がける旅行会社が表れるなど開かれてきたようだ。そこで「今がねらい目」と乗り込んだわけ。

発射台に向かう前の宣誓式を行う、5人目の宇宙旅行客、米国のチャールズ・シモニー氏。彼の出発を見送ろうと、アメリカから大応援団が来ていた。宣誓式のために歩くコースも立ち位置も決められているのが、儀式を重んじるロシアらしい。  結果的にバイコヌール宇宙基地、宇宙飛行士が訓練するスターシティ、世界最大の宇宙服メーカーなど主要宇宙施設の取材に成功。土壇場まで交渉の連続だったものの、やっぱりロシアは面白い! と実感した。一番印象的だったのは、ソユーズロケットの打ち上げだ。打ち上げはモスクワから飛行機で約3時間のカザフスタン共和国・バイコヌール宇宙基地で行われる。見渡す限り、赤茶けた不毛な岩砂漠が広がるバイコヌール宇宙基地は地の果て、あるいは火星に降りたったような気持ちにさせる場所だ。ここの最大の魅力は、打ち上げ見学席と発射台の近さ。その距離約2km。NASAのシャトルの半分以下だ。見学席に立つと、砂漠の真ん中にぽつんと立つロケットの全容と対峙できるのだ。

 その発射台は1961年に人類初の宇宙飛行士ガガーリンを打ち上げたのと同じもの。歴史的な発射台が今は宇宙旅行客を次々に送り出している。とは言えロシアでは打ち上げは日常感覚。カウントダウンも一切の演出もなく、いきなり発射の瞬間はやってくる。夜の11時半、闇を一瞬で昼に変えロケットが飛び立つと、轟音と光が私たちの体をドーツと突き抜ける。こんなに唐突でしかも強烈な打ち上げ体験は、他では決して味わえない。これは今回のロシア取材全般に言えるのだが、「本物との距離」がメチャクチャ近いのだ。打ち上げ前の飛行士の宣誓式も間近に見られるし、発射台との距離も近い。後日訪れた博物館でも、ガガーリンの帰還カプセルの実物に触ることもできる。その懐の深さは感動的だ。

簡素な打ち上げ見学席。砂漠の夜は心底冷え込み、見学客はウォッカを飲みながら体を温めていた。  さて打ち上げに続くもう一つの「打ち上げ」もバイコ名物。打ち上げ関係者も見学客も入り乱れた大宴会だ。「ウラー(乾杯)!」のかけ声とともに祝杯を重ねる。前日ロケット工場を案内してくれた強面の技術者が、今日はびしっとスーツを着こなし満面の笑顔で乾杯にやってくる。「お土産を交換しよう」とバッチを手に寄ってくるオジサンや、2008年に宇宙に飛び立つ韓国人飛行士関係者など様々な人が入り乱れ、一気にうち解けてしまう。

 ところで、バイコヌールはツアー客に開かれてきたと言っても完全に自由ではなかった。私たちはあるビジネスツアーに便乗したのだが、宿泊したのは基地内のエネルギアホテル。訪問客の増加に伴って新しく3棟立てられたという、簡素ながら居心地がいいホテルだ。(ここで人類宇宙滞在最長記録を持つ、セルゲイ・クリカリョフ飛行士と遭遇。宇宙飛行士も泊まるVIP用ホテルだったのだ!)滞在中はツアー受け入れ先の貫禄たっぷりの女性が発射台や工場見学などを手配してくれたが、彼女のアテンドなしにはホテルからも出られない。ちょうどロシアの副首相が視察中で一般客の行動が厳しく制限され、最初は「ニェット(だめ)」の連続だったが、「記者会見に入れて」、「近くで撮影させて」と何度もお願いするうち、「しょうがないわね」とがんばってくれた女ボス。宴会で「私はコニャックよ」とニヤリと笑いながらお酒を勧める姿が忘れられない。

 帰りの飛行機は、発射基地内の空港から打ち上げ見学客を乗せたチャーター機だった。機内はやっぱり祝杯ムード。「ジュース飲まない?」と顔を赤らめながらウォッカをぐびぐび飲むオジサンたち。ガードは堅いが仲良くなると一気にうち解ける。そんなロシアの人情味が、続く取材でも私たちを虜にしていくのだった。


※:雑誌「PEN」8月1日号、特集「宇宙へ」。