コラム
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2008年 6月分 vol.2
女性初 宇宙飛行から45年。「ヤーチャイカ」の影響力
ライター 林 公代 Kimiyo Hayashi


テレシコワの新聞記事。飛行時は26歳。1990年頃、ロシアで宇宙飛行の訓練を受けた元TBSの菊地涼子さんがあった時の印象は「髪の毛が紫色で明るくて『私がテレシコワよ!』というオーラを放っていた」とか。  旧ソ連の女性宇宙飛行士、ワレンチナ・テレシコワさんが1973年6月16日に宇宙に飛び立ってから45年が経ち、祝賀会がモスクワで行われたそうだ。テレシコワさんの名前や、宇宙飛行をよく覚えていなくても「ヤーチャイカ!」(私はかもめ)という言葉は、どこかで聞いたことがあるのではないだろうか。

 宇宙で発する言葉は大事だ。「地球は青かった」(ガガーリンの初飛行)とか「小さな一歩だが人類にとっては偉大な飛躍」(アポロ11号のアームストロング船長)など、人類初の偉業はその言葉と共に、歴史に、人の記憶に刻みこまれる。その意味で、テレシコワが発した「ヤーチャイカ」(私はかもめ)は想像力を掻き立て、秀逸だ。チェーホフの戯曲「かもめ」に登場する台詞だが、実際には宇宙船のコードネーム。「こちらディスカバリー」とスペースシャトルの船長が言っているようなものだ・・・。

 だが、実際のテレシコワの宇宙飛行は「かもめ」のように優雅にとは行かなかった。彼女が宇宙飛行したカプセルや、着陸前の脱出椅子をモスクワの博物館で見たが、カプセルは断熱剤が焼けこげ中の線維が飛び出ていたし、椅子は大破していた。となりに展示してあったガガーリンのカプセルや椅子と比べると損傷の度合いがひどかった。テレシコワは宇宙酔いの症状に苦しみ、予定していた操作のすべてをこなすことはできなかったと言われている。そのせいか、旧ソ連で次に女性が宇宙飛行をしたのは、19年後のことだった。

テレシコワが乗ったボストーク6号のカプセル(実物)。上部の断熱材が焼けこげ、博物館の中の展示の中で最も悲惨な状態だった。  それでもテレシコワが発した「ヤーチャイカ」の威力は大きく、今も影響を与える。先日まさしく「ヤーチャイカ」という映画を渋谷で見た。詩人の覚和歌子さんと谷川俊太郎さんが監督をつとめる写真映画だ。覚さんの「ヤーチャイカ」という物語詩をもとに作られた映画だが、映画の中に宇宙飛行が直接関係しているわけではない。(主人公の女性とその友達の巫女さんが、テレシコワの宇宙飛行の日に生まれていて、二人は挨拶代わりに『ヤーチャイカ』と言うという、ちょっと無理矢理な設定になっているところが笑えた)。

 この映画は動かない。写真をつないで音楽を重ねる。そして静かに語りが入り、時に詩の朗読がある。恋人を亡くした女と、人生に挫折した男がある村で彗星を探すという一応のストーリーはあるが、俳優たちの台詞は一言もない。巷に人気の映画と対照的に静かで、間が多く、孤独でいて、やさしい。それが私には、真空の宇宙を一人で旅したテレシコワが体験しただろう、無音と寂しさと闇と地球の光と、「ヤーチャイカ」という言葉の浮遊感ととてもマッチし、共通の世界観(宇宙観?)を感じた。過剰なほどの音と光と物と人が溢れるこの世の中で、ふわりと想像力が掻き立てられて心休まる時間だった。

 この映画を見て、宇宙に行って、無駄をそぎ落とした絶対の闇と孤独を味わってみたくなった。その時には、「ヤーチャイカ」とつぶやきつつ、自分なりの決めゼリフも発してみたいな。


映画「ヤーチャイカ」
http://yah-chaika.com/