コラム
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2008年 11月分 vol.1
山崎直子飛行士 母が挑む宇宙。
ライター 林 公代 Kimiyo Hayashi


山崎直子宇宙飛行士。小学校のときに、さなぎが蝶になるのを見たくて夕方から翌朝まで粘ったほどとことん諦めない性格。そういう人が宇宙に行けるんですね・・・。  6歳の娘の母であり、妻である山崎直子宇宙飛行士が、宇宙行きのチケットを手にした。記者会見で山崎さんは、「家庭と仕事と、その都度何を優先させるか考えてきた。今も毎日が試行錯誤です。」と語り、働くお母さん達も同じですよねと続けた。「そうそう、山崎さんも一緒なの~?!」と思ったワーキングマザーは(私を含め)多かったと思う。だからこそ、頑張ってほしいと、俄に宇宙を身近に感じ始めた女性は多いだろう。

 山崎直子さんは1970年生まれ。1999年4月、28歳の時に宇宙飛行士候補者に選ばれた。趣味は琴、書道、ジャズダンスで、おっとりした大和撫子風の雰囲気ながら、宇宙飛行士に応募したきっかけは「1986年のスペースシャトル・チャレンジャー事故」という点に並々ならぬ強さを感じた。教師を含む7名の宇宙飛行士が打ち上げ時の事故で命を落とした様子をテレビで見た山崎さんは、打ち上げ前の飛行士達の笑顔が強烈な印象に残り、「亡くなった教師の遺志を引き継ぎたい」と決意したという。

 2001年9月に宇宙飛行士に認定された後、2002年8月に長女・優希ちゃんを出産。2003年4月には職場復帰している。その後もロシアやNASAでの長期出張が続き、そのたびに保育園・ご主人・ご実家がフル稼働の自転車操業。子供は保育園に入れるとすぐに熱を出す。また、ご主人のご両親の介護もあり、ロシア出張中にはお義父様が危篤状態に。でも国家プロジェクトでたくさんの人の支えで訓練している宇宙飛行士。直前のドタキャンなんて許されない。結局、2004年夏からNASAに約1年半の訓練に入るとき、管制官を目ざしていたご主人の大地さんが仕事をいったん辞めて家族一緒に渡米した。

 「両立できたというよりも、我慢してもらったところが大きくて主人には頭があがらない。でも人生は長い。いつか私が主人の夢を応援したい」と山崎さんは語っている。シャトルの打ち上げを既に3回も見ている、優希ちゃんは「今度はママが乗るんだね。おめでとう」と応援してくれているようだ。子供の応援は何よりも母の力になる。

 山崎さんに「宇宙に行くと死ぬ可能性だってある。子供をおいていく覚悟はできているんですか?」と聞いたことがある。「覚悟しています。でも必ず帰ってきます」と爽やかに答えてくれたのが印象的だった。NASAの女性宇宙飛行士は約30人。その中でママさん宇宙飛行士は10人ほど。「お互いに励まし合っています。チャレンジングであって、不可能ではないと」。宇宙飛行予定は2010年2月11日以降。宇宙から娘に夫に笑顔で語りかける日が待ち遠しい。

2005年8月 vol.2 女性飛行士、家族で目指す宇宙