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春から夏になると、筆者にはどうしても望遠鏡で眺めたくなる天体がある。数十万個もの星がボール状に密集した天体:球状星団である。肉眼で見える球状星団は少ないが、暗い夜空のもと、大型の天体望遠鏡で眺めると、その美しさは際だつ。まるで漆黒の絨毯に積み上げたダイヤモンドのかけらのように思えるのである。大気のせいで、密集した星たちがゆらゆらと揺らめく様子が、本当にダイヤのかけらがさらさらと落ちているかのごとく錯覚するほど美しい。
とりわけこの季節には、ふたつの大きくて明るい球状星団が眺められる。ひとつは、頭の真上に見えるヘルクレス座の球状星団M13。直径が17分角、つまり月の半分ほどもあり、明るさは6等で、ぎりぎり肉眼で見えるかどうか、という天体である。なにしろヘルクレス座は日本付近では頭の真上を通過するために、空の高いところで、条件よく眺めることができる。バックの空の暗さに浮かび上がる星くずの輝きの美しさは言い表せない。北天には、これに匹敵する球状星団がいくつか散在している(右画像参照)。
北天の代表がヘルクレス座の球状星団M13なら、南天の球状星団の代表は、オメガ星団だろう。球状星団は全部で140個あまり知られているが、その中でも最も明るく、迫力のあるのがオメガ星団なのだ。なんといっても満月よりも大きく、肉眼でも見えるほど明るい。そのため、恒星としてケンタウルス座のオメガ星、オメガ・ケンタウリという名称まで与えられている。ただ、このオメガ星団は南天に低いところにあるために、日本ではなかなか見ることができない。春から夏の南の地平線上に、ほんの少しの時間しか顔を出さないからである。東京での地平線からの高さもせいぜい8度程度で、低空まで透明度のいい条件でないと見ることは難しい。
筆者は一度、学生時代に合宿していた山間地で、このオメガ星団の姿を眺める機会に恵まれた。その大きさには圧倒された。また、星々は本当は真珠のように白っぽく見えるはずだが、低空のために赤みを帯びて見えていた。夕日が赤いのと同じ原理で赤みがかっているのである。北天の球状星団の星々がダイヤモンドのかけらだとすれば、こちらは漆黒の絨毯に積み上げた”ルビー”のかけらといえるだろう。球状星団の中心部分は、密度が高く星が重なり合いすぎて、ひとつひとつの星に分離して見えることはない。しかし、まわりにいくほどまばらになって、それぞれの星が粒々になっているのがわかる。まるで、そっと積み上げた赤色のルビーの粒の山から、こぼれ落ちてたかけらのようだ。しかも大気のせいで、ゆらゆらと揺らめくため、本当にルビーのかけらがさらさらと落ちているように錯覚するほどである。オメガ・ケンタウリという名前の語感の良さとも相まって、あのときの感激は鮮烈な記憶となって筆者の中に残っている。
ところで、これらの美しき球状星団たちには不可解な謎がいくつも残されている。球状星団は、銀河系の円盤とはあまり関係なく、銀河系を大きく球状に取り巻いている。この構造をハローと呼ぶのだが、球状星団は銀河系のハローの主構成天体といえる。銀河系が平べったい円盤のような形をしているのに、どうして球状星団だけが、それとは無関係な分布をしているのか、その原因はよく分かっていないのである。また、球状星団は、かなり古い。130億年という年齢と推定されるものさえある。こうなるとわれわれの銀河系が生まれる前から、星団はできていたのではないか、とも考えられる。
さらに”宇宙人”との関連で話題になったこともある。宇宙初期に生まれた星々の集団だから、水素燃料を使い果たしつつあり、低温の赤みがかった星がほとんどである。ところが、よく調べると、何故か明らかに青白く、若そうな星がまじっているのである。青白い星は、天文学の常識から言えば、水素燃料がふんだんにあり、どんどん燃やしている状態で、寿命は短いはずである。そんな青い星が球状星団の中に存在し続けるのは、たいへん不思議だ。これらは「青色はぐれ星」と呼ばれ、半世紀にわたって大きな謎だった。あまりにも不思議だったため、”宇宙人”が恒星寿命を延命させているのではないか、という珍説まで飛び出したのである。
星は老年期を迎えると膨張する。われわれの場合も、あと50億年ほど経つと、地球は膨らんだ太陽に飲み込まれる運命にある。そんな時、惑星に宇宙人がいて、星の膨張を防ごうとしたら? その技術力を駆使して、星そのものに水素を送り込む延命策を謀るにちがいない。そうすれば、太陽は青いまま輝き続け、惑星に住む宇宙人文明も安泰だ。「青色はぐれ星」は、優れた技術力を持った宇宙人が星の延命を講じているところなのではないか、というのだ。
しかし、これはさすがに天文学者の想像のしすぎだったようだ。青色はぐれ星は球状星団の中心部、すなわち星の密集度の高い場所に多い。つまり老人の星同士が衝突・合体して、一時的に若返った星らしいことがわかってきつつある。知的生命や宇宙人につながらなかったのは残念なのだが、その証拠を求めて、天文学者はいまだに挑戦をし続けていることは確かである。
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