コラム
星空の散歩道 国立天文台 准教授 渡部潤一
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vol.29
うみへび座 ひねもすのたりのたりかな

 江戸時代中期の有名な俳人:与謝蕪村の句に、「春の海 ひねもすのたりのたり哉」というのがある。春の穏やかな海の様子を描写した名句として、みなさんも一度は聞いたことがあるに違いない。ひねもす、というのは朝から夕刻まで一日中という意味である。春になると気温が上がって、冬に比べて過ごしやすい気候になる。場所にもよるが、一般には風も穏やかになって、海辺で日がな一日ぼーっとしていても気持ちがよい。この句には、そんな状況が込められているのだろう。

参考:4月中旬午後8時頃の東京の星空。真ん中に横たわっているのが、うみへび座。

 ところで、夜空の方も春はなんとなく霞んで、ぼーっとしている。気温が上がったせいで、水蒸気量が増えるだけでなく、西日本では黄砂の影響もあって、空全体に透明度が悪くなる。だが、真冬のように寒くはないので、夜空をぼんやりと眺めることも、それほど苦ではなくなってくる。そんな春の夜空には、「のたりのたり」にぴったりの星座が横たわっているのをご存じだろうか。南の空を東西に横切るうみへび座である。この星座は、なにしろ長い。その頭が東の空から上ってきて、しっぽの先が現れるまでに、なんと7時間もかかる長大な星座である。4月頃だと、暗くなった頃に頭の部分がちょうど真南にあり、日周運動に従って、そのままのたりのたりと西へ動いていくのだが、しっぽの先が見えなくなる前には、もう夜が明けてしまうほどである。

 星座の数は全天で88個あるのだが、その中でも、うみへび座は最も面積の大きな星座である。ちなみに面積順で言えば、第二位がおとめ座、第三位には北天の北斗七星を含むおおぐま座がランクインしている。どれも春の星座なのは偶然ではないのかもしれない。(蛇足だが、もっとも面積の小さい星座は、南天の十字架をかたどった、みなみじゅうじ座である。)

 ギリシア神話では、うみへび座は女神ヘーラが育て上げた怪物で、アミモーネの沼に住む9つの頭を持つ海蛇ということになっている。この怪物は勇者ヘラクレスが挑んだ12の大冒険の2番目に登場する。ヘラクレスとの戦いは壮絶を極めたという。なにしろ、首を切っても切っても次々に生えてくるからである。口から毒を吐き出し、しきりにヘラクレスを苦しめたという。そこで、ヘラクレスは戦術を変えた。甥のイオラーオスに助力を求め、海蛇の首を切り落としたら、彼にすぐに火で焼くように指示したのである。これが効を奏し、焼かれたところからは新しい首は生えてこなかった。そして、最後にひとつの首を残して、大きな岩を投げつけて、閉じこめてしまったのである。

 ところで、うみへびという怪物の神話ながら、心温まる逸話も残されている。この戦いの最中、同じアミモーネの池に住んでいた化け蟹が、友人である海蛇を助けようと、ヘラクレスの足につかみかかったというのだ。しかし、はさみしか武器のない蟹のこと、ヘラクレスに造作なくつぶされてしまったという。この様子を見た女神ヘーラは、化け蟹と海蛇の友情を讃えて、一緒に天に上げて星座にした、といわれている。こうして、かに座はうみへび座の頭部のちょうど真北で、春の夜空で仲良く隣合って輝いているというわけである。

 春の夜空を、東西に横切っているうみへび座を眺めていると、その長大さに、おもわず「ひねもす のたりのたり哉」という蕪村の句が思い浮かぶ。ただ、実際に星を結んでいくのは、なかなか難しい。面積が大きく、東西に長いことに加えて、暗い星が多いため、なかなか星をつなぎにくいのである。星がよく見えないところでは、”ぶつ切り”になってしまうのだ。最も明るいアルファ星がアルファードというオレンジ色に輝く2等星は「孤独な星」という意味で、近くには特に目立つ星はない。今年は土星が春の夜空、しし座にあるので、土星としし座の一等星レグルスが並んでいるのを空高いところで探してみよう。その明るい土星と一等星の並びから南の地平線に目を落としていくと、ぽつんと光るアルファードを探し出すことができる。アルファードから西へは、かに座の南にあるいくつかの星が集まったところへ、東へはからす座などの星座の下あたりの暗い星々へとつながっていく。空の暗いところで、こういった星々をつなぐことができれば、ゆったりと春の夜空に横たわるうみへびの長さに驚くに違いない。ぜひ、この星座の長さを楽しんでみてほしい。