コラム
星空の散歩道 国立天文台 准教授 渡部潤一
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vol.46
十六夜(いざよい)を眺めよう

 日本人の月とのおつきあいは、他の国に比べても、かなり親密なようだ。西洋では月の光はあまりいい印象を持たれていない事が多い。代表はヨーロッパの狼男だろう。満月の光でオオカミに変身する伝説だ。夜、出歩くと危険な時代に、子どもに聞かせる話としてはたいへんいいのだが、そういった教訓話でも、日本では月の光で変身する妖怪変化の話は、少なくとも筆者は聞いたことはない。月の光があるときには、その光で夜歩きもできるので、むしろ好意的な印象がある。

参考:いて座を中心にした天の川。撮影:津村光則  その意味では、月のイメージは日本では良い上に、信仰や風流の対象となって親しまれてきた。代表的な行事がなんといっても、お月見であろう。第十回にもご紹介した、実りの秋の時期、その収穫物を供える「中秋の名月」が、お月見の代表である。この旧暦8月15日の十五夜の行事は、もともと中国を起源とする収穫祭として輸入され、平安以降は貴族の間で雅楽の演奏や舞などを催すなど一種のイベントと化し、民間にも広まっていった。

 一方、中秋から約1ヶ月後の満月少し前、旧暦で9月13日に行われる「十三夜」のお月見もある。この十三夜の発祥は定かではない。十五夜のお月見の頃に天皇が崩御し、その年はお月見ができなかったためという説や、十三夜の月に対応するのが、虚空蔵菩薩であったため、真言密教や修験道の方面から広まったという説もある。十五夜で招いたお客人を、九月十三日の十三夜にも招く習わしになっていたようで、十五夜だけ観月をするのを、片見月と言って忌み嫌われたらしい。一方、中秋の名月より一ヶ月ほど遅れた、この時期には、かなりの地域で稲刈りが間に合うようになり、米の収穫祭としてのお月見という目的は達成できることは確かである。十三夜のほうは栗名月あるいは後の月といい、中秋の名月の方は対比して芋名月ともいう。この時期のお月見の風習は、筆者が知る限り、日本以外の他の国には見あたらない。本居宣長などの江戸時代の国学者らも日本独自の風習と考え、好んで十三夜の月見をしていたらしい。

 ところで、月齢が大きくなればなるほど、月の出の時間は遅くなる。十三夜の月は十五夜に比べて、上ってくる時間が早めである。しかも、十三夜のお月見は十五夜に比べて約一ヶ月も遅い時期となる。今年の十五夜は10月3日、十三夜は10月30日となるので、ぐっと寒くなる。そのため、確かにこの時期には、月齢が若い方が鑑賞するには都合がいいのだろう。

 ちゃんと調べたわけではないが、月齢ごとに別名があるのは、ポリネシアと日本くらいではなかろうか。しかも、日本では月の出を待つ様子が月の別名になっている。たとえば、十五夜への期待をふくらませる、前夜の月を「小望月(こもちづき)」と呼ぶ。悪天候で十五夜が見えないときは、「雨月(うげつ)」とか「無月(むげつ)」と呼び、見えなくても名前を付けるところはすごい。また、十五夜の翌日の十六夜は「いざよい」と読む。いざよう、というのは古語でためらうという意味である。十六夜の月は十五夜に比べて、30~40分ほど遅く上ってくる。その遅い月の出の様子が、月を待っている貴族たちには、まるでためらいながら上ってくるように思えたのだろう。さらに十六夜の翌日の十七夜の月を立待月(たちまちづき)、十八夜は居待月(いまちづき)、十九夜は寝待月(ねまちづき)、あるいは臥待月(ふしまちづき)とも言う。それぞれ、月の出を待つ貴族たちの様子を表したもので、十七夜くらいなら、立っていても待っていられるが、十八夜だと月見台に座って、十九夜だと寝ころんで待っていた様子を表す。ちなみに、二十夜を更待月(ふけまちづき)と呼ぶ。夜が更けるのを待って上がる月という意味である。いずれにしろ、昔の人は、よほどお月見が好きで、月の出を待ちこがれていたかが、わかる名前である。

 さらに「田毎の月」、「薄月」、「朧月」、「寒月」、「雪待月」、「月天心」などという名前や、それに伴う和歌、俳句のたぐいは数え切れない。信仰だけではなく、風流、風雅の対象としても月は日本人の心に深く影響している。月に関することわざや商品、お酒も多いのは周知の通りで、日本人がいかに月を愛でてきたかという証拠であろう。

 10月3日の中秋の名月の月の出は東京では、16時33分、翌日の十六夜の月の出は、17時である。ちょうど週末なので、十五夜あるいは十六夜の 月の出を眺めてみてはどうだろうか。