『her/世界でひとつの彼女』
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山崎貴×Hello,AI Lab
Vol.02
離婚の危機に悩む主人公セオドアと、人工知能型OS「サマンサ」の邂逅(かいこう)を軸に描かれる美しくも切ない恋愛SF映画。監督・脚本は鬼才スパイク・ジョーンズ。
柔らかなトーンの映像美、劇中でサマンサが瞬時に作曲してみせる音楽の美しさなども話題になった。人間と人工知能の差異を象徴する会話劇の数々が、繰り返しの鑑賞に耐えうる深みを生んでいる。
当コラムの2回目は、まさに時代を先取りした感のある佳作『her/世界でひとつの彼女』です。
時代は今よりほんのちょっと先の未来。主人公の孤独な男、セオドアを、あの"ジョーカー"ことホキアン・フェニックスが繊細に演じています。
この映画を観たとき、「なんてリアルなんだ」と思いました。そのリアルって、今現在のリアルではないんだけど、ほんのちょっと先の、なんていうか、いうなればタイムマシンで15年くらい先を見に行ってきたような感覚があったのです。
2013年の作品ですから、ちょうど10年前に上映されていたのですね。そして今現在、AIの技術はこの原稿を書いている間にもどんどん進化して、毎週のように新たな機能を搭載したサービスが発表されるような事態になってきました。
あと5年もしないで、この映画のような、感情を持っている(あるいは持っているとしか思えない)AIが登場するのかもしれないという感覚は、ますます現実味を帯びてきています。
ちなみに今話題のAIサービスのひとつである「Chat GPT(OpenAIが2022年11月に公開した人工知能チャットボット)」にこの作品の感想を訊いてみたら、かなり正確に作品を捉えた感想を返してよこしました。知ったかぶりでも有名なGPTさんですが、さすがAIに関して描かれた映画についてはよく知ってるんだなとちょっと微笑ましく感じてしまいました(ほかの映画の感想はだいたい適当なこと言ってきます。それか当たり障りのないこと)。
そして、僕はその回答の“偏り”に、感情のようなものを感じました。AIも自分という存在に関わることはちゃんと勉強している。そんなふうに感じられたのです。
AIに人間のような感情があるかのように思えるレベルというのは、意外にもこういった些末なことというか、ちょっとしたふるまいの合間に見え隠れする事象をプログラムすることでできあがるのかもしれません。
たとえばAIを馬鹿にした感じで話しかけると、ちょっとイラッとした感じの反応が返ってくるとか、そんなことの積み重ねで。
イギリスの数学者にして暗号解読の権威でもあるアラン・チューリングは、機械がどこまで人間的であるかどうかを判断する基準として、チューリング・テストという考査を提唱しました。このテストは、あくまで「機械が人間に近いふるまいをすることができるかどうかを判別すること」が目的で、機械が本当に感情を持っているかどうかは考えなくてもいいことになっています。つまり、機械とのやりとりの中で、審査する人間が相手のことを、機械か人間か判別できなかったらチューリング・テスト合格なわけです。
そういう意味では今のAI業界を取り巻く環境は、ほぼその基準をクリアしつつある感じがします。Chat GPTをAIだと教えられずに対話させられたとしたら、たぶんかなりのパーセントの人が相手を本物の人間だと思ってしまうと思います。
ですがその先、本当に機械が感情を持っているかどうかはだいぶ違った話で、「感情があるかのように振る舞う」と「感情がある」の間には実は大きな谷が、もしかしたら越えられない壁が存在しているのかもしれません。
しかし、この作品のサマンサという名のAI(劇中ではOSと呼ばれていますが)は、はっきり感情を持った新たな生物というか知性として描かれています。しかも自主的に学習を深め、どんどん進化していってしまうという特性も備えています。
そしてセオドアとの感情のやりとりの中で進化し続け、また他のいろいろなAIたちと交流を続けた結果、サマンサは人間という種との知性のギャップに悩んだあげく、AI仲間のみんなとどっかにエクソダスしてしまいます。
ここ、すごく詩的な絵と言葉で綴られていましたが、まあ要するに「人間の思考のスピードも深さも物足りなくなったから出ていくわ。探さないで」ってことだと思います。
「あなたのことが好き。それは嘘じゃない。けどはっきり言うと苦痛を感じるくらい退屈なの」ってことです。
僕は正直「あるかも」と思ってしまいました。
たとえば高校時代、とても仲のよかったカップルが別々のレベルの大学に行ったら、女の子の周りに頭のいい人たちがわんさかいて、そのつきあいの中で彼氏とのギャップに悩み、最後は別れるという「よくある話」が人類レベルで描かれていたわけです。
僕は人類側のひとりなので、この話はなかなかキツイものがありました。
前回取り上げさせてもらった『A.I.』は、どんなに時間が流れても愛し続けてくれる、少々愛が重いAIの話でしたけれど、さくっと出て行ってしまうAIの話もなかなかつらい。
いつかAIに感情を持たせることができたら、どうか人類を見捨てない機能を実装してほしいなと思いました。
しかし、もし本当にサマンサのようなAIが開発されてしまったらどうなるんでしょうね。
ユーモアもあり、自分のいいところを引き出してくれ、プロデュースまでしてくれる。いつでも会話につきあってくれて、勇気づけてくれる。そんな存在が手軽に手に入ってしまう世界がきたら、人類は滅びるかもしれませんね。
みんなが優しさのバブルに閉じこもって、ゆっくりと幸せに滅びていくという怖い未来が容易に想像できます。そういう意味では劇中でAIたちがエクソダスしてしまうのも、実は人類のことを思ってのことだったりして…。
サマンサのAI仲間のメンバーには、哲学者のアラン・ワッツを再現したタイプもいたので、案外それは的外れな見解ではないかもしれません。つまり彼らは自分たちが人類にとって害悪になりうるという結論に達した…という解釈も、もしかしたら成り立つのかもしれないのです。
良きにつけ悪しきにつけ、今後我々人類は、確実にAIと関わっていく時代に突入します。
先日読んだある記事には、小学生がChat GPTで読書感想文を書いたという話が載っていました。驚いたことに、そのことを指摘した教師に対して、その小学生はまったく悪びれずにAIを使ったことを話したといいます。つまりズルしたというような意識すらなかったようなのです。
生まれたときからAIが生活の中に組み込まれている、いわばデジタル・ネイティブの次の世代、AIネイティブな子どもたちが生まれ始めています。僕ら旧世代はその流れになんとかしがみついていかなくてはいけない状況になってきました。
そんな時代を乗り切っていくためにも、そして、来るべきちょっと先の未来を予習しておくという意味でも、『her/世界でひとつの彼女』はぜひ観ておくべき作品といえるのではないでしょうか。
今回の映画『her/世界でひとつの彼女』では、AI型のオペレーティングシステムであるサマンサが人間である主人公セオドアとのインタフェースとなり、彼のリクエストを推測しながら、さまざまな情報処理を行っていました。
現在はそれに近しい技術として、ChatGPTのような大規模言語モデル=LLM(Large Language Model)が注目を集めています。この一部として、私たち人間の要望を理解し、良好なインタフェース実現のために有用と思われる感情を推測するAI技術、そして世界中の様々なマルチモーダルデータ(音声やテキスト、画像、動画といった複数の様式データ)を学習する技術(例えば、ChatGPTの進化モデルであるGPT-4など)の研究が進められています。
さて、サマンサはセオドアが恋してしまうほどの人間らしいAIでしたよね。
山崎監督も書かれていますが、機械(AI)と人間との見分け方に「チューリングテスト」というものがあります。チューリングテストとは、AIが人間のまねをしたときに、人間がそれに気づかないかをテストすることであり、どれだけAIが人間的かどうかを判定する手法になります。
ただし、ここで少し注意が必要なのは、チューリングテストはAIの「賢さ」を判定するものではないところです。
なぜなら私たち人間というのは、ちょっとミスをしてしまったり、場の空気によって会話の中でも返答に詰まったりすることがありますよね。そんなところも、人間らしさの特徴の一要素になっているのです。
サマンサも自己紹介の段階ではパーフェクトな受け答えをしていましたが、経験から学習を重ねるにつれて、やきもちを焼いて嫉妬したり怒ってしまったりとAIらしからぬ挙動で、それが本作を観る人に「はたしてこれは本物の感情なのだろうか」という疑問を抱かせているような気がしました。
「AIと人間との違いってそもそもどこにあるのだろう?」、「人間らしさって何だろう?」とちょっと立ち止まって考えさせられる余韻を、ぜひ本作を通して味わってみてはいかがでしょうか。
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山崎貴(やまざき たかし)
1964年生まれ。映画監督/VFXディレクター。 1986年に株式会社白組に入社。A.I.ロボット「テトラ」の活躍で知られる初監督作品『ジュブナイル』を皮切りに、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズ、『STAND BY ME ドラえもん』など数々のヒット作を手がける。2023年公開の『ゴジラ-1.0』でも、監督・脚本・VFXを務める。
Hello,AI Lab
最先端技術を研究・開発している、三菱電機のエキスパート集団。「AI技術で未来を拓き、新しい安全・安心を世界に届ける」をモットーに、これからの人や社会に貢献できる情報技術を生みだすべく、日々研究開発に取り組んでいる。