油井飛行士 宇宙へ!最初の見せ場は「こうのとり5号機」
7月23日、いよいよ油井亀美也宇宙飛行士が宇宙へ。宇宙到着後すぐの「見せ場」が8月16日に打ち上げられる、日本の貨物船「こうのとり5号機」だ。
「こうのとり5号機」は今のISSにとって「命綱」だ。なぜなら最近、国際宇宙ステーション(ISS)への貨物船打ち上げが失敗続きだから。昨年10月に米国シグナス、4月にロシアのプログレス、そして6月末には米国ドラゴンと失敗の連鎖。宇宙にはスーパーマーケットもコンビニもない。ISSで暮らす宇宙飛行士たちにとって地上から運ばれる食料や水が頼りだ。なのに現在、ISSに荷物を運ぶ世界の貨物船4機のうち3機が失敗。7月にプログレス貨物船はようやく成功したが、大量に物資を運ぶことができる「こうのとり」に世界から大きな期待がかかっているというわけ。
注目点は「こうのとり5号機」キャプチャ(捕獲)作業を日本人で初めて油井飛行士が担当すること。さらにNASA管制センターから宇宙飛行士に「Go for Capture(つかんでよし!)」と指示を送る交信担当(しかもリーダー!)が若田光一宇宙飛行士。日本人がISSとNASAで主担当として同じ業務を担うのは初めてだ。そして筑波の「こうのとり」運用管制室にはフライトディレクター松浦真弓さん率いる約80名の管制官がいる。「ISS・筑波・NASA」で日本人トリオの活躍が見られるのだ!
「ありえない」トラブルが次々襲いかかる—壮絶なリハーサルが管制官を鍛える
安全に「こうのとり」を宇宙に到着させるため、現在、運用管制チームは「壮絶なリハーサル」を繰り返している。訓練では本番と同じように「こうのとり」をISSに接近させ、宇宙飛行士がロボットアームでキャプチャし、ドッキングさせる。管制官たちが恐れるのは「ありえないほどのトラブルが次から次へと仕込まれること」だという。
そのリハーサルの集大成というべきNASAとJAXAの最後の合同訓練(第8回)が7月10日に公開された。「今回も厳しかった」と松浦さんは吐露した。松浦さんは元々「きぼう」の運用管制官。2008年3月に「きぼう」日本実験棟第一便を土井隆雄元飛行士が取り付けたときのフライトディレクターだった大ベテラン。いったい何が?
「『こうのとり』がISSの後方5キロに到着した時、燃料を送り込むバルブ(栓)が開いたり閉まったりという不吉な動きをする信号が出た。このまま飛び続けたらまずいと止まる判断をして、バルブの不具合か、信号がおかしいだけなのか原因を突き止め、NASA側と調整作業などをした結果、『こうのとり』のISS到着が予定より1時間半ほど遅れてしまった」という。
到着が遅れると、宇宙飛行士の作業に影響が出る。こうのとり到着後に宇宙飛行士が担う作業は決まっているが残業はさせられない。何とか1時間半の遅れを取り戻すことが次のチームに託された。が、次のチームはまた新たなトラブルを仕込まれて、その対処に追われている状態だった。
記者たちがこうのとり運用管制室の様子を取材していると、大西卓哉飛行士がサプライズで登場!NASAでの経験を解説して下さった。「僕は『こうのとり4号機』の時にNASA管制室で宇宙飛行士交信担当でした。日本チームは『こうのとり』のトラブル対処で追われますが、NASAチームは受け入れるISS側でひたすら物が壊れる対処に追われます(笑)。なかなか『こうのとり』をつかむところまでたどり着かないんです。」
このトラブル、いったい誰がどのように仕込んでいるのか?NASAとJAXAには訓練シナリオを書く担当者がいて、管制官たちの様子を見ながら「では次はCのトラブルで行ってみましょう」とか「これ以上トラブルを入れたらやばいですよ」など連絡をとりあっているという。「8時間の担当シフトの間に10も20もトラブルを仕込まれます。シナリオを作る側はきっと楽しいと思います(笑)。(宇宙飛行士のキャプチャ寸前までいったのに)これはダメだと自ら判断して、『出直します』と『こうのとり』をISS近くから離脱させたこともありました」(松浦さん)。ISSに到着できないケースも含め考えうるトラブルを徹底的に訓練する。
こうして、ありえないほどのトラブルを経験するからこそ「自信と経験を積むことができて、本番は何事もなく成功させることができる」と大西飛行士はいう。
貨物船の事故―人類の技術の限界に挑戦している
松浦真弓さんは「きぼう」フライトディレクターから2011年にこうのとり運用管制チームに入り、今回が初めての「こうのとり」フライトディレクター。「きぼう」管制チームと「こうのとり」管制チームの違いを尋ねると興味深い答えがかえってきた。
「『きぼう』は24時間365日ひたすら運用する正統派管制官たち。一方、『こうのとり』は打ち上げ後ISSに荷物を届けて、最後に大気圏に突入して燃え尽きるまでひと月半から2か月の命であり、期間限定。『こうのとり』管制官にはエンジニアが多く、自分が担当した部品が壊れると『何とかしたい!』とそこに集中しがちです。その時、『トラブルだけに目を向けるのでなく全体を見渡して先に進むために何をすべきか』を考えるように促す必要がある」という。
こうのとり4号機から5号機まで約2年の間隔があいた。その間に約80名のこうのとり管制官のうち4分の一にあたる20名が入れ替わった。松浦さんは約1年前に訓練を始めたとき「思い出し会」と称して過去のミッションでどんなトラブルがあったか、その時にどんな対処をしたかを洗い出すところから始めたそうだ。マスターしておくべき手順書は約2000以上!1年間の短期集中であらゆるトラブルに対処できるチームを育て上げた。
他国の貨物船のトラブルが続きプレッシャーとともに期待がかかる「こうのとり」チーム。大西飛行士は「米国のドラゴン貨物船も6号機まで連続成功し実績はあった。こうのとりが4号機まで成功しても次の成功を保証するわけではない。我々は人類の技術の限界に近いところでやっているのを再認識している」と気を引き締めているそうだ。
「4号機までの成功を引き継いで『こうのとり5号機』を成功させ、計画されている9号機まではもちろん、もっと先の『新しいこうのとり』につなげたい。だけど気負うことなく平常心でのぞみたい」と松浦さんが見せた柔和な笑顔が素敵だった。油井さんに届け!こうのとり。