工房訪問篇 神仏装飾金具製造「NOYORI」
江戸時代の初期、名古屋城の周辺で生産が始まった「尾張仏具」。
城下町でたくさんの寺院が建造された後、宮大工がこの地にとどまり、仏具作りを始めたのが発端です。
城から南に走る本町通には、今でも仏壇店や仏具店が多く軒を連ねていて、往時をしのばせます。
全国のニーズに応えた
尾張の職人たちの「リレー」
本町通からほど近くに位置する「NOYORI」は、仏具や神具、祭礼具に用いられる装飾金具「錺(かざり)金具」の工房です。1970年、野依祐月さんの祖父が創業した「野依神仏錺金具店」が前身。現在の社長である父・克彦さんの下、祐月さんは三代目として修業に励んでいます。
日本列島のちょうど中ほどに位置する名古屋は、もともと全国に商品を出荷しやすい地の利がありました。さらに尾張仏具は、地域ごと、宗派ごとの細かいオーダーの違いに対応できる体制があったことで評判となります。
職人たちがそれぞれ得意とする工程を受け持ち、リレー方式で生産する分業体制が、きめ細かい対応を可能にしたのです。職人の種類は、木地師(本体を作る人)、錺師(装飾具を作る人。「NOYORI」の皆さんが該当)、塗師(漆を塗る人)、彩色師(色を付ける人)、箔置き師(箔を張る人)などに分かれます。
微妙なさじ加減が
センシティブな彫りを実現
では、「NOYORI」での基本的な工程を見ていきましょう。
まずは採寸。CADを使って図面を起こし、機械がペンで銅板に下絵を描きます。
下絵が定まると、いよいよ彫りです。下絵の線に沿って、鏨(たがね)と呼ばれる杭のような道具を金槌で打ち、彫っていきます。基本姿勢はいたってシンプル。片方の手の親指・人差し指・中指で鏨を支え、薬指・小指で板を押さえ、もう片方の手で金槌を持って打ちます。
今回は、山車の「垂木」を飾る金具を彫っていただきました。彫金の手法は、蹴彫り(けりぼり)。鏨の先を蹴り進めるように彫る高度な技です。紋様である葉っぱの葉脈を彫る際は、鏨を少し傾けて打ち付ける「シベ打ち」で線の繊細さを醸し出します。
紋様を彫り終わった後は、魚々子(ななこ)蒔きを行います。紋様の背景部分に、先端が丸くなっている鏨を打ち込んでいき、点々模様を作る工程です。まっすぐきれいに点を並べると、葉っぱの曲線が引き立つため、大切な工程とされます。
魚々子蒔きでは、金具の右側の下から上、その左に移って下から上、と順々に打っていきます。ポイントは最初の一列目をまっすぐ打つこと。それに合わせて二列目を打っていけばズレを防ぐことができます。さらに難しいのは、紋様の線を飛ばして打つ技術です。
「紋様の線に重ならないように、鏨を少し傾けて、半円になるように打ちます」(野依さん)
「ほんとに細やかな作業ですね。ものづくりの原点に触れる思いです」(牛丸)
その後、金具を取り付けるための釘穴をあけたり、余計な部分を切り落としてやすりをかけ、板を折って成形すれば、完成です。
ものづくりの原点は、
道具を繊細に使いこなすこと
伝統の技を
新しい事業に活かす
工房にある鏨は3000本を超えています。先端の大きさは、直径で0.2mmぐらいから3cmぐらいまで。用途で使い分けますが、よく使うタイプは、各人が同じものを所有しています。
先端が花柄の鏨もあります。これを打てば、スタンプの原理ですぐに柄ができますが、蹴彫りしたほうがきれいなので、実はあまり使われないそうです。
仏像の髪飾りや首飾りを作り直すのは、工房の重要な仕事。古くなったものを預かって、それを見本に新しく同じものを作ります。錺金具は、伝統的には「修復」「修理」を目的として制作されるのです。
ただし、「NOYORI」では、伝統の技を現代に活かすべく、アクセサリーの制作・販売を行う「Wayuan和悠庵」を立ち上げました。魚をモチーフにしたピンバッチやネクタイピンのブランドが「nanako」。魚のアウトラインを蹴彫りして、板を裏から叩いて膨らみを作って形を整えていくプロセスには、錺金具と同じ伝統芸が使われています。
工房の見学が一通り済んだ後、野依さんと牛丸の対談を開催。互いの立場を超えて、ものづくりにかける思いを語り合っていただきました。
- 取材・文/渡辺信太郎 撮影/魚本勝之
- 2024.01.15