和食シリーズ企画第3弾

これからの和食を考える。

ユネスコ無形文化遺産に登録された和食文化。 未来へつなぐために、今できること。ユネスコ無形文化遺産に登録された和食文化。 未来へつなぐために、今できること。

第15回 鯛
鯛は日本人にとって
“特別”な魚です

魚類学者 東海大学名誉教授 鈴木克美さん

魚全般に詳しいのはもちろん
「鯛」という書籍も上梓している
鈴木さんに鯛と日本人の関わりを伺いました。

縄文時代から日本人と鯛は関わっていた

編集部
鯛と言えば、日本人にとって特別な魚という印象があります。ハレの祝いの席を始め、恵比寿様と言えば鯛ですし、大相撲の優勝祝いも大鯛が通例となっています。日本人と鯛はいつごろから関わりを持ってきたのでしょうか。
鈴木さん
(以下、敬称略)
日本人は鯛と古くから関わりを持ってきました。例えば日本各地の縄文時代の遺跡からはマダイやクロダイなどのタイ科の魚骨が普遍的に出土しています。
編集部
紀元前から食料として親しんできた痕跡があったわけですね。
鈴木
その後も古代朝廷への貢献へ用いられ、鎌倉時代以降、武士が台頭すると鯛の見栄えのよさがますます好まれるようになった。室町時代には鯛を上物――高級魚として扱う和食の習慣が定着していきました。「わが国最古の書物」と言われる『古事記』『日本書紀』、文学書で言えば『万葉集』『古今集』、その他『風土記』『延喜式』などすべての古文書に鯛は登場すると言って、過言ではありません。
編集部
なぜそれほど好まれるようになっていったのでしょうか。
鈴木
ひとつは色でしょう。仏教儒教伝来以降、赤い色を尊ぶ風習が大陸から日本に入ってきたこと。しかも赤い色は魔除けの色でもある。地域によっては信仰の対象だったとすら考えられます。さらに「めでたい」という語呂合わせで縁起をかつぐ習慣など、複合的な要因でもてはやされるようになって来たのでしょう。
編集部
日本人にとっての鯛は形や意味づけから入ったと考えるのが自然なのですね。
鈴木
もちろん食べてもいたはずです。縄文期の遺跡から鯛の骨が出土するということは、当時から食べていたということですから。日本人の暮らしに鯛が根付いたのは、なんといっても、鯛がわが国の食習慣と美意識にかなっておいしかったという理由が一番大きいいかもしれません。
編集部
海外では、これほど鯛を珍重する国の話はあまり聞きません。
鈴木
日本が四方を海に囲まれた魚食の国だからという理由もあるでしょうし、古くからなじみがあって味覚や嗜好の基準となってもいたのでしょう。以前、アルゼンチンの港でタイセイヨウマダイという、日本の真鯛にそっくりな魚が揚がっているのを見たんですが、向こうでは全然珍重されない。当時は雑魚扱いだったんです。
編集部
鯛には、和食を象徴するかのような淡いうまさがあります。その頃のアルゼンチンでは、そうした味わいは求められていなかったということでしょうか。
鈴木
当時、大衆食堂の「タベルナ(taberna)」では形が崩れるほど煮込んだ鯛が出されていましたが、高級店の「リストランテ(ristorante)」には、鯛を使ったメニュー自体なかったんです。いまではそうした食事情は、変わったのかもしれませんが。

タイには200以上の種類がある

編集部
我々は「鯛」というとマダイを想像しますが、「タイ」という魚は魚種としてはどれくらいいるものですか?
鈴木
例えば昭和前期の漁業史研究家の渋沢敬三氏は、「タイ」と名前がつく魚を確認していくと235種いると説明していました。本来のスズキ目タイ科125種のうち日本語で「タイ」と言われるのは十数種。逆に日本で「タイ」とつく235種のほとんどはタイ科の魚ではありません。
編集部
なぜそんなことになったのでしょう。
鈴木
日本では天然物の真鯛の価値が高いので、「タイ」という名前をつけると価値があがる。それで鯛とは違う魚種の魚にまで語尾に「タイ」とつけてしまった。色についても一時期、似たような課題がありました。養殖の鯛は、どうしても日に焼けて色が黒くなる。鯛はあの赤い色も評価のうち。なので、最近の養殖は網を張ったり日よけをしてメラニン色素を黒くさせないようにしています。その上で鯛の赤い色のもととなるアスタキサンチンを飼料に混ぜて、天然に近い赤い色をきれいに出そうとしています。鯛については養殖の技術は、もうほとんど完成したと言っていいんじゃないでしょうか。
編集部
そういえば先ほど「赤は魔除けの色で、地域によっては信仰の対象だった」というお話がありましたが、どういう部分に現れますか。
鈴木
例えば、郷土玩具ですね。鯛を意匠とした郷土玩具は、北は青森から南は鹿児島まで、私が確認した限りで70種類程度あり、そのなかに鯛車(たいぐるま)というものがあります。江戸時代の300年間は平和な時代でしたが、流行り病で子どもを失う江戸町民も多いわけです。大陸から渡ってきた道教では、赤い色が病魔や災厄を退散させるとも言われます。こうした「赤物」といわれる赤く塗られた玩具には病魔や災厄の退散という願いが込められていました。病気の子どもの枕元に置かれて、快癒祈願とされたわけです。だるま、赤べこ、お地蔵さんのよだれかけに、神社の鳥居。これらは「赤」という色に一定の呪術的な力を期待したものだったのでしょう。
編集部
その他、鯛が信仰の対象だったと考えられる習慣は何かありますか。
鈴木
祭礼のときに神前に備えることですね。新鮮で姿もいいし、貴重なものだから神様へのお供え物としてはうってつけ。しかもその後、食べられるわけですからますますちょうどいい。
編集部
信仰的な側面と、四方を海に囲まれた日本人に合った味わいという両面から、鯛は日本人にとって特別な魚になっていった、と。
鈴木
本当に和食の王様ですよね。本来日本食には獣肉はないわけですから、魚をもっと活用すべきだと思います。まず丸のまま買ってきて……。
編集部
丁重にお姿を拝見する(笑)。
鈴木
そうです。とりわけ日本料理はそうですが、魚とともに生きてきた日本人はもっと上手に魚を活用すべき。本来、日本人にとっての鯛は、そうした魚食のいまを、そして未来を象徴するのにふさわしい魚のはずなのです。

取材・文/松浦達也 撮影/魚本勝之

2018.01.10