Vol.20
モンゴル宇宙紀行 II—凍った湖と木星系探査
欧州宇宙機関(ESA)が主導し、日本も参画する木星氷衛星探査計画JUICE(ジュース)の探査機打ち上げが、来年2023年4月になることが正式にアナウンスされた。JUICEとは、木星とその衛星—ガリレオ衛星を探査する大型国際計画である。木星を周回しつつ、エウロパなどの衛星たちを訪れた後、最後は木星最大の衛星であるガニメデの周回機となり詳細な観測を行う。
当初は今年2022年に打ち上げ予定であったが、新型コロナを始めとする世界情勢の変化があり、1年ほど遅れての打ち上げとなった。むしろ未曾有の世界情勢のなか、これだけ多くの国の関わる国際探査がたった1年の遅延で済んだことに、僕は大きな感動をもちつづけている。
JUICEは日本にとって、初となる外側太陽系の本格探査でもある。
木星以遠では太陽光も弱く、天体の表面は極低温となり、地球や火星のような岩石惑星の世界とは質的に異なった氷の世界が広がっている。ガリレオ衛星とは、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストと呼ばれる4つの大きな木星の衛星たちのことであるが、イオを除く3つの氷の天体の地下には広大な液体の海が存在すると考えられている。これら天体の岩石部分が発熱し、氷を融かして海を作っているのである。
JUICE最大の科学目標は、これらガリレオ衛星の地下海での生命の存在可能性を明らかにすることであり、そのような探査に日本もついに本格的に参入することになる。
JUICEに向けた下準備
探査には多くの研究者が関わっている。JUICEほどの大型探査計画ともなれば、その数は世界中でのべ1000名近くに達するだろう。
探査に関わる研究者たちも、その関わり方は様々である。例えば、探査機に搭載される観測装置を造ることを得意とする研究者たちがいる。装置の設計を行い、試作機を作成し、改良を重ね、様々な耐久テストを経て、装置を完成させるのである。
一方で、僕のように、装置を造ることのできない多くの研究者も探査に関わることができる。そういった研究者たちは、観測装置が得たデータを使って、例えば、エウロパやガニメデの海はどのような環境なのか、生命が生きるために必要な条件が満たされているか、巨大な木星と衛星たちはどうやってできたのか、といったことを調べる。
ただし、そのような研究者も、漫然と探査機からデータが来るのを待っているわけではない。その下準備ともいえる研究を地道に続けているのである。ある人は、ガニメデの内部にどのような深さの海が存在するかを、コンピューターを使ってシミュレーションしたり、また、ある人は、実験室で天体内部の高圧での氷の振る舞いを調べたりしている。
僕はモンゴル乾燥地域にこそ、火星の生命を考えるヒントがあると思っているのだが(参照:第16回「モンゴル宇宙紀行 I」)、一方で、冬季にはエウロパやガニメデなどの氷の天体の探査をする上での大事な知恵が得られるとも思っている。僕が、冬季にモンゴルで調査を続けているのも、そのようなJUICEに向けた下準備の一環だといえよう。
氷の下の海水
モンゴルの冬、僕らはたいてい1月か2月の最も寒い時期に現地を訪れる。日本からの直行便で行くとウランバートル空港には夜到着することになる。空港から外に一歩踏み出した途端、僕の住む関東では経験できない寒さに全神経が一気に覚醒する。それもそのはず、気温はマイナス20℃を余裕で下回っているのである。吐く息に含まれる水蒸気は口や鼻のあたりで凍結し、すぐさま霜を作ってしまう。
夏には見渡す限り薄緑の草原であった大地が、冬には一転、白く覆われている。とはいえ、極度に乾燥しているため、霜とも雪ともつかない氷の粒子がうっすらと地面を覆っているにすぎない。ウランバートルに到着した翌朝には、日を浴びて美しく光り輝く白い大地の上を、僕らは四駆車で西へ西へと向かうのである。
エウロパやガニメデの地下海に生命を育むような化学物質が溶けているのだろうか。もし、海底に熱水噴出孔があれば、原始的な生命が食べものとするような物質も海に供給されているに違いない。
一番の問題は、そういった海に溶けた化学物質を探査機が宇宙から発見できるかにある。エウロパやガニメデの場合、海の成分を観測しようにも難しい。厚い氷の下にある海を宇宙から直接見ることはできないからである。
かつて土星を訪れた探査機カッシーニは、その点、実に幸運であった。土星の衛星エンセラダスに近づいてみると、その地下海が、氷の地面できた割れ目をつたって宇宙空間に噴出していたからである。探査機は噴出する海水を宇宙空間で捕まえて、その場で分析することで、海に溶けた化学物質を直接明らかにすることができた。その結果、エンセラダスには、生命を育む熱水噴出孔があることがわかった。
しかし、エウロパやガニメデに、エンセラダスのような地下海水の噴出が起きているとは限らない。噴出がなければ、どうやって地下の海水を調べることができるのだろうか。
モンゴルの凍結した湖
僕らがウランバートルから西へと向かう理由は、砂漠に点在する凍結した湖を調査することにある。それら湖の多くは流出する河川がなく、乾燥気候下で湖水が蒸発することで、塩分が濃縮されて塩湖となるのである。これら塩湖は、モンゴルの寒冷な気候のなか、10月から4月までの約半年間も氷で覆われている。
僕らが調査をする1月には氷の厚さは1メートルにも達する。これだけの氷の厚さになると、四駆車もその上を走ることができる。凍った湖の上を四駆車で走ると、大小たくさんの割れ目が存在していることに気が付く。湖が凍っていくのは、冷凍庫で氷ができるのとは異なるのである。湖が凍ると大きな氷のブロックができ、それが強い風に流されてお互いに押し合い、メキメキと音をたて、ひしめき合いながら湖の上を覆っていく。その過程で氷のブロック同士がぶつかり、それが割れて、氷下の湖水が地表面に顔を出すこともある。湖水は地下から噴出してすぐに凍結するが、水に含まれる塩の成分や泥、あるいは小さな生き物が氷の上に打ちあげられている。
このような塩湖が冬に凍結していく過程は、氷衛星の地下海と共通しているかもしれない。
実際、エウロパやガニメデ、エンセラダスには、多くの氷のブロックと無数の割れ目が存在している。探査機が氷の割れ目に十分接近できれば、割れ目を埋める化学物質から、地下の海水の成分を明らかにすることができるかもしれない。地下海に生命がいれば、氷の割れ目にその痕跡が打ち上げられていないとも限らない。
そのためには探査機が、できるだけ割れ目に近づかなければならないが、それが可能であろうか—そんなことを考えつつ、僕らは凍った湖を上空からドローンで観察し、氷のブロックにどう力が加わって割れたのか調べる。また、氷の下から噴き出した氷と塩と泥が混ざった試料を回収する。そうしているうちに、一日はすぐに過ぎて夕方になってしまう。
ボーズとピクルス
調査を終えて宿に戻っても、食事をする場所を見つけることに苦労するときもある。特に、1月にはモンゴル歴の旧正月があり、集落の食堂はたいてい閉まっている。
そんなときは、共同研究者であるモンゴル国立大学のダバドルジさんが現地の友人たちにお願いし、各ご家庭を渡り歩きつつ、夕食のご相伴に預かるのである。
モンゴルの旧正月の定番の料理は、ボーズという大きな水餃子のような食べ物である。挽肉を小麦粉の皮で包み、それを蒸す。皮はもちもちとし、野趣あふれる肉餡とのバランスが実によい。ボーズは中国の包子(パオズ)に由来するらしく、似たような料理は、ウズベキスタンのマンティ、チベットのモモなど、ユーラシア大陸に広く分布している。
ボーズは年中あるモンゴル定番メニューの1つではあるが、正月前に各家庭で大量にこれを作りおきし、正月中はこれを蒸してひたすら食べるのだという。日本のお節料理に通じる発想かもしれない。
ボーズに入れる肉といえば、羊や山羊が定番であるが、家庭により多少異なる。味音痴な僕はその違いに気がつかないが、一緒に行った日本人研究者は、ちょっと味が違うことに気がつき、これは何の肉ですか、とその家の主人に聞くと、ラクダだという答えが返って来た時もあった。そういえば、ラクダの競馬を日中に見たことを思い出した。
ボーズで口が脂っぽくなるのを中和させてくれるのが、ロシアから輸入されたピクルスである。ピクルス作りは冬のロシアの家庭での定番らしいが、味は実にさわやかで後引くものである。韓国・朝鮮の冬のキムチ作りにも似ている。僕らはウランバートルでピクルスを大量に買い込んで、酸味やビタミンが欲しくなれば、ボーズとともにピクルスをかじる。そして、モンゴル・ウォッカを飲む。
中国の包子に由来するボーズと、ロシアのピクルスを食べ、日本人の僕が極寒のモンゴルで調査をするのである。氷の世界にいるかもしれない生命と、ヨーロッパで組み上げられているであろう探査機に思いを馳せながら。
日本の科学者にとって、木星とその衛星の探査は、大げさではなく夢のまた夢であった。
JUICEの前身のラプラス計画から数えれば、15年以上の歳月をかけて欧米の大型探査に何とか非力な日本が食い込む準備をしてきた。多くの日本の先輩たちが見てきた夢が、いよいよ実現しようとしている。
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