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We are from Earth. アストロバイオロジーのすゝめ

東京工業大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine東京工業大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine

 Vol.31

リュウグウの有機物は何を語るか

生命の材料はどこから来たのだろうか。

これは人類にとって根源的な問いといってよい。なぜなら、これを考えることは自分自身のルーツを探ることに他ならないからである。

この問いに科学的に挑戦した最初の人物をもとめれば、ソ連の化学者アレクサンドル・オパーリンに行きつくだろう。1923年、オパーリンは、原始地球において、単純な有機物が化学反応を繰り返し、複雑な機能をもつ有機物へと進化する「化学進化」という概念を初めて提案した。しかし、これを裏付ける物質的な証拠は乏しく、どちらかといえば空想中心の作業仮説といってよいものであった。

生命の起源が現代的な実証科学になるのは、オパーリンが「化学進化」の概念を発表してから30年後、スタンリー・ミラーの登場からである。1953年、シカゴ大学の大学院生だった彼は、メタンを含む大気に雷放電を起こし、生命の材料であるアミノ酸ができることを示した。有名なユーリー・ミラーの実験である。「生命の起源」に対して、初めて実験によって物質的な証明を与えたという意味で、この実験はブレイクスルーとなった。

一方で、1969年にオーストラリアに落下した隕石は別の考えを提示した。落下した近くの村の名前をとってマーチソン隕石と名付けられたこの隕石は、落下後すぐに回収されて化学分析された。幸運だったのは、当時最新鋭の分析装置やクリーンルームが、アポロ月試料の分析に備えて準備されていたことであった。これら設備を使って分析された結果、マーチソン隕石からはアミノ酸など有機物が見つかったのである。

かくして、生命の材料の供給源として、原始の地球上でできたという考えと、地球外からもたらされたという考えの2通りが生まれることになる。

前者が支配的であれば、地球生命の材料は地球という惑星固有の環境が提供したものであり、火星、エウロパなど太陽系の各天体でも、それぞれの固有の環境に応じて元素レベルで根本的に異なった生命が誕生することになるだろう。一方で、後者の場合、地球にも火星にも同様の材料を持つ隕石が降り注ぐ。これを材料とすれば、太陽系全体を通じて生命には何らかの元素レベルでの共通性があるかもしれない。

オパーリンが「化学進化」の概念を発表してから、ちょうど100年後の2023年、探査機「はやぶさ2」が持ち帰った小惑星リュウグウの有機物の分析結果が、いよいよサイエンス誌に発表された。待ちに待った成果である。

リュウグウ試料に含まれていた有機物は、一体何を語るのであろうか。

多彩なリュウグウ有機物

“私の役割は、リュウグウ試料の有機物分析の国際チームを取りまとめて、分析における目標や作業工程を決めることでした。普段はライバルにもなる世界中の個性的な研究者たちが、うまく1つのチームになるように心がけました。実際に試料が来てからは、チームに試料を配分しつつ、プレーヤーの1人としては有機物の化学組成の分析を行いました。自分が最初に分析する役割だったので、分析の過程で地球物質による汚染のないように細心の注意を払いました。”

こう語るのは、「はやぶさ2」固体有機物分析チームのリーダーで、発表された論文の主著者である広島大学の薮田ひかるさんである。

薮田さんは日本で博士号を取得した後、アメリカで4年間、地球外から飛来した有機物の分析の最前線の国際的な舞台で活躍された。そのときNASAスターダスト探査にも参加し、探査機が持ち帰った彗星の塵を分析する機会も得たという。このような国際舞台での活躍だけでなく、薮田さん自身は物腰がとても柔らかで、芯がありつつも皆の話をよく聞いてくれる包容力がある。「はやぶさ2」、ひいては日本の持った大きな幸運の1つは、そのような実績と人柄を備えた方が有機物チームのリーダーを務めているということであろう。

薮田ひかる教授。宇宙化学・アストロバイオロジーを専門とする。広島大学で教鞭をとりつつ、「はやぶさ2」の帰還試料の固体有機物分析チームのリーダーを務める。(提供:薮田ひかる)

地球の環境に触れていないリュウグウの試料から、新しくわかったことは何であろうか。

僕は第4回のコラム「はやぶさ2と「生命のレシピ」」のなかで、リュウグウの試料に何らかの有機物の選択性があるのではないかと書いた。地球生命は20種類のアミノ酸、5種類の核酸塩基など、特定の化合物を選択して使っている。地球生命の有機物の選択性とリュウグウの有機物の選択性が符合しているのではないかと述べたのである。

ところが、現実は真逆であった。リュウグウ試料の有機物は、驚くべきことに僕らが手にする数多の炭素質隕石に含まれる有機物群よりはるかに多様だったのである。アミノ酸など地球生命が使う有機物もあるがむしろそれは少量で、多くは地球上の生命にはない多種多様な有機物が占めている。薮田さんはこう語る。

“わずか5グラムの試料の中で、有機物は驚くほど多様でした。ミクロスケールで見ても、異なる物質が違う場所に分布しているようで、色とりどりの多彩な世界がありました。地球に落下した隕石の有機物は地球の大気の影響で変性して、その多様性が失われているのかもしれません。”

圧力鍋の中身

このようなリュウグウの多様な有機物はどのようにしてできたのか。

第4回コラムで、「圧力鍋のような微惑星の内部で水と一緒に煮込まれて有機物が合成されているのではないか」と予想していたのは、名古屋大学の渡邊誠一郎さんである。渡邊さんも、薮田さんが発表した論文の共同著者の1人である。

“まさに予想通りでした、エッヘン。リュウグウの母天体である微惑星のなかで、数気圧ほどの圧力で50℃ほどの低温で何十万年という長期間煮込まれることで有機物ができたのです。”

渡邊さんはこう言って胸を張る。リュウグウでできた有機物の原材料になったのは、太陽系ができるずっと前、分子雲と呼ばれる段階でできた単純な分子たちである。これら元々の素材が、原始の太陽系にもたらされ、微惑星にも含まれる。微惑星の内部では熱で氷が融け、水と共に長期低温調理されて有機物のスープができる。

しかし、そうであればなぜ多様性が生まれるのか。圧力鍋で煮込めば、当然できるのは1種類のスープになるのではないのか。渡邊さんはこう答えた。

渡邊誠一郎 教授。名古屋大学。惑星形成理論の研究者であるかたわら、「はやぶさ2」に関わる科学者を束ねるプロジェクト・サイエンティストを務めていた。(提供:渡邊誠一郎)

“おそらく原材料の分子たちの存在量に空間的な不均質があったのでしょう。ある場所では多い分子が、別の場所では少ない。また、水分量も触媒となる鉱物量も場所によって異なっていたはずです。こういったことがミクロスケールで起きて、宝石箱のような有機物の多様性を作りあげたのでしょう。面白いことに、リュウグウ試料のなかでも、分子雲に含まれていた有機物の原材料となった分子がそのまま未調理で残っている場所もありました。ちょうど、スープにいれたスパイスが溶けきらずそのまま残っているようなもので、リュウグウ有機物にもちょうどよい刺激的風味を与えています。”

リュウグウ試料を酸で溶かし、乾燥させた固体有機物の画像。左はガラスバイアル中に残った固体有機物、右はそれを上から見た写真。(提供:Yabuta et al., 2023)

生命の固定観念を超えて

リュウグウの有機物は、地球生命につながる選択性より、むしろ地球生命の有機物を凌駕するきらめく多様性を見せてくれた。このことは、隕石など地球外物質の供給が、地球生命の材料になったという考えを否定するのだろうか。そうではないと、薮田さんは言う。

“今回の面白さは、地球外から供給される有機物の主要成分は一見、地球生命とは無関係に見える点です。しかし、そのような有機物の少なくとも一部は反応性が高く、地球大気に置かれるとたちまち変性して、その環境に固有の有機物になります。宇宙にはごく普遍的にリュウグウに含まれていたような有機物があまねくあり、それらが各天体の固有の大気や海に供給され、それぞれの場で固有の有機物へと変性し、独自の選択性や機能を獲得していくのではないでしょうか。”

リュウグウの表面試料から見つかった有機物の概念図。(提供:Naraoka et al., 2023, JAXA, University of Tokyo, Kochi University,Rikkyo University, Nagoya University, Chiba Institute of Technology, Meiji University, University of Aizu, AIST, NASA, Dan Gallagher.)

渡邊さんは惑星形成理論が専門であり、「はやぶさ2」の成果を次のようにまとめた。

“リュウグウの母天体はおそらく原始太陽系の外側領域、氷や有機物が豊富にある世界でできたはずです。その後、巨大な重力を持つ木星や土星が出来て、そのときに起きた大動乱で、リュウグウ母天体のような小天体は太陽系のなかで無数に散らばり、その一部は地球を含む惑星たちに供給されたのです。我々はこれを物質的な証拠をもって示せました。”

地球生命が使うアミノ酸がリュウグウ試料から見つかれば、それは確かに誰にもわかりやすい成果であろう。メディア報道のなかで、それが特出しにされるのもわからなくはない。しかし隕石中のアミノ酸は、すでに1969年に落下したマーチソン隕石にもその存在が明らかであり、アミノ酸はリュウグウ試料にも存在するが、実はそれは微量である。

一方、リュウグウに普遍的に存在する大多数の有機物は、地球生命とは無関係に見えるが、それはひょっとしたら各惑星環境に応じて様々に姿を変える、多様でかつ多能な有機物の種なのかもしれない。しかし、それは地球生命の固定概念からいったん離れないと、本質が見えてこないという困難さがある。薮田さんは最後にこう語った。

“多くの人は生命観として、アミノ酸や核酸など、自分の知っているものに心地よさを感じる傾向にあるようです。しかし、リュウグウ試料は、そういった自分のよく知ったもの、無意識の固定観念から、時として離れてみることの重要性を教えてくれている気がします。”

  • 本文中における会社名、商標名は、各社の商標または登録商標です。

  • 三菱電機は「はやぶさ2」プロジェクトにおいて地上のアンテナ系を担当しています。