Vol.32
木星系氷衛星探査機—JUICE打ち上げ雑話
2023年4月14日、大西洋の空に、JUpiter ICy moons Explorer—JUICE(ジュース)探査機が、一筋の雲を引きながら打ちあがった。
この話について、どこから語るのがよいだろうか。
JUICE探査は、日本が小惑星を超えて、木星という巨大ガス惑星へ、そして宇宙における生命の科学へと初めて踏み出す、その第一歩となるだろう。
木星の月たち、ガリレオ衛星がJUICEの探査目標となる(参照:第10回コラム「ガリレオの名をもつ月たちの話」)。
僕を含めて、個人レベルでのつながりで、海外の探査に参画して、巨大ガス惑星や宇宙における生命を研究する例はこれまでも数件あった。
しかし、JUICEには日本からも200名もの科学者が参加しており、日本の惑星科学のコミュニティ(学術業界と呼ばれる関連科学者の集まり)として新しい科学を進めるという点で、JUICEはこれまでとは根本的に異なる。
例えるなら、これまでは2、3本の果樹があったに過ぎない山が、一面のぶどう畑になるようなものである。数本であればその木が老いれば終いだが、ぶどう畑になればそこに苗木も育ち、予想もしない新しい品種も生まれうる。
そう。科学者がコミュニティとして計画に参加する意義は、苗木のような次世代を育成することにあるといってよい。
なぜ次世代の育成が必要なのか—それは、太陽系の探査には長い年月がかかるためである。そして、それが地球から遥か離れた木星の探査であれば尚のことである。
JUICE探査機が木星系に着くのは8年後の2031年。2034年には木星の衛星ガニメデの周回機となり、探査が終了する予定は12年後の2035年である。
到着までの時間だけではない。実は、この探査計画がヨーロッパで提案され、日本が関わるようになったのは今から20年近くも前のことである。つまり、発案段階から数えれば、打ち上げはまだ折り返しにしか過ぎず、ぶどう畑でいえば土壌ができたばかりで、ようやく苗木が植わった状態だといってよい。
当然のごとく、このような探査に関わる科学者には情熱や好奇心だけでなく、忍耐力や覚悟も必要になる。
以下、JUICE打ち上げにあたり、このような雑話を続けたい。もっとも整理できないまま書き始めたので、話があらぬ方向に飛んでいくかもしれず、JUICEのようにまっすぐには打ち上がらないかもしれないが。
EJSM—Laplace
JUICEの原型になったのは、2005年前後に欧米の科学者のあいだで考えられていた「エウロパ木星系探査計画(EJSM:Europa Jupiter System Mission)」である。ラプラス(Laplace)計画とも呼ばれた。
この計画では、NASAがエウロパの探査機を、ヨーロッパ宇宙機関(ESA)がガニメデの探査機を担当するものであり、このEJSMに日本も独自の磁場観測用の探査機を提供し、参加することが検討されていた。
“2006年の4月に、突然、ヨーロッパの科学者から連絡がありました。EJSMの欧州側代表者と会わないかという話で驚きましたが、会ってみると日本も加わらないかという話でさらに驚きました。2006年6月ドイツW杯で、日本がブラジルに大負けに負けた翌日でした。”
こう話すのは、現在、JAXA宇宙科学研究所の副所長を務める藤本正樹さんである。藤本さんは当時、東工大からJAXAに若き教授として移ったばかりであったが、そんな彼に突然舞い込んだ最初の大仕事であった。
日本は当時、本格的な太陽系探査の緒に就いたばかりであり、はやぶさ初号機によるイトカワ探査で様々なトラブルに見舞われ、実績という意味では欧米に対して遥かに見劣りした。
現在もそうであるが、日本から見ればESAやNASAは圧倒的な巨人であり、いわば坂の上の雲であり、それを目指して懸命に坂を上っていくことはあっても、対等の立場の協力関係を作るというのは力関係からありうることではなかった。
藤本さんによると、ヨーロッパが声をかけてきた理由は次のようなものだという。
“日欧は水星探査計画「ベピコロンボ」でよい関係を作れていました。90年代から2000年に始まった「ベピコロンボ」の協力関係の中で、日本の先人科学者たちが情熱をもって頑張り、科学面での実力を信頼してもらっていたという伏線というべき仕掛けがありました。サッカーはともかく、探査では期待できるという印象を欧州に与えることに成功していたのです。”
かくして、EJSMのなかでも「ベピコロンボ」と同様に、日本が木星磁場観測衛星を作るという方向で話が進み出した。実現すれば、NASA、ESA、JAXAが3機の衛星を、木星に同時に送り込む夢の計画となっていた。今から17年ほど前のことである。
エウロパ vs タイタン
このEJSMに対して、当時、強力なライバルとなっていたのが、「タイタン土星系探査計画(TSSM:Titan Saturn System Mission)」である。TSSMでは、タイタン大気を気球で移動し、メタンの湖にボートを浮かべて探査するという野心的なものだった。当時、ちょうど探査機カッシーニによって、土星衛星エンセラダスに地下海が見つかったこともTSSMを後押しした。
木星 vs 土星、そしてエウロパ vs タイタンという構図は誰の目にもわかりやすい。予算が有限ななかで、木星と土星のどちらに行くべきか、2006年以降、激しい議論が行われた。
Natureなどの学術誌でもこの議論が何度も特集され、当時、博士号を取ったばかりだった僕も、モハメド・アリvsジョージ・フォアマンの戦いを見る少年のような気持ちで議論の行方を見守っていた。
当時のJAXAとしては、当然、日本が関わるEJSMを推しており、藤本さんも世界各所の科学会議で応援演説をくり返したという。
ついに2009年、NASAとESAはEJSMに軍配を上げた。EJSMをTSSMより優先させると発表したのである。
JUICEとしての再出発
しかし、EJSMに突如として終わりが訪れた。
2010年、NASAは予算の関係でEJSMから手を完全に引いてしまったのである。アメリカという国民性なのか、社会がソフトマネーで成り立っているためなのか、アメリカでは資金があれば猛烈な勢いで物事が進むが、それがなくなれば嘘のように人がいなくなる。
一方、ESAは取り残された。梯子を外されたといってもよい。
ヨーロッパはEJSMを当初のように進めるわけにはいかなくなり、計画を完全に白紙に戻すこともありえた。しかし、結局、EJSMのなかの当初の役割であった木星衛星ガニメデの探査の意義価値に立ち戻り、単独の木星系探査計画JUICEとして再出発したのである。
このような状況においても、ヨーロッパが木星系探査を諦めなかったのは、ヨーロッパ人としての国民性もあるだろう。ヨーロッパの城塞や大聖堂、劇場は全て石造りであり、世代を超えて構築される。時が経ち、その実用的な役割を全うした後も、それらは都市の象徴となり、そこで生まれた子供たちに無言で語りかける一編の詩となる。
ヨーロッパは堅牢なものを、世代を超えてでも作っていくことが、いわば文化のレベルにまで濃厚に沁みついているといえるかもしれない。大げさに言えば、魅力的な事業に人が集まるのである。藤本さんの言葉を借りれば、“欧州にはサグラダ・ファミリアを作ろうとするような国民性があり、そういった文化を持った人たちがする探査がJUICE”ということになる。
さて、日本はどうしたか。
当初のように日本独自の磁場探査機を続けられなくなったが、搭載しようとしていた磁力計やプラズマ観測装置を、JUICE探査機本体に搭載させるべく動いた。藤本さんは、ヨーロッパと協同してJUICEの機器開発を行うべきと関係各所を説得した。かくして、JUICE探査機には、日本が国際共同で開発に関わった4つの観測装置も、他の7つの装置に加えて載ることになった。
日本にとってのJUICE
新たに船出したJUICEも、順風満帆というわけにはいかなかった。
宇宙望遠鏡など強力な大型計画と競争しつつ、これに勝ち抜きESAで予算を獲得したのは2012年である。ESA初のLクラス(大型クラス)の探査として選定された。
ここ数年は、新型コロナに苦しめられた。各観測機器は日本を含めた複数の国のあいだでの共同開発で作られたため、科学者の往来が制限されることは死活問題であった。
それでも、ようやく探査機は完成し、2023年発射場のあるフランス領ギアナに送られた。
一方、2010年にEJSMの撤退を決めたアメリカだったが、2013年になって突如としてエウロパ探査の予算が復活した。2012年に正式にJUICEがESAに選定されたこと、そしてJUICEがエウロパにも近接観測を行う予定だと発表したことと、NASAの予算復活は無縁でないにちがいない。以下は僕の邪推だが、NASAとしては、JUICEにエウロパ探査の第一成果を持っていかれたくなかったのかもしれない。フロンティア開拓で形成した国家らしいといえばそれらしい。
NASAはこの新しい予算で作る探査機に、エウロパ・クリッパーと名付けた。アメリカらしく、巨大な予算が付いたことで猛烈に探査機の開発が進んだ。エウロパ・クリッパーの打ち上げは来年2024年であるが、強力なロケットエンジンのおかげで、木星に行く過程でJUICEを追い抜かし、到着はJUICEより1年以上早い。エウロパの観測も、当然JUICEより先に行う。
結局、EJSMは形を変えたものの、当初の想定に近いNASAによるエウロパ探査とESAによるガニメデ探査をほぼ同時期に行うというものに落ち着いた。爆発力でフロンティアを切り開くアメリカと、重厚で堅実な大事業をなそうとするヨーロッパ。
そこに日本の200名の科学者も参加する。日本にとって、日本の科学コミュニティにとって、JUICEとは何なのか。日本ならではの活路はどこにあるのか。
2000年代以降、日本は、欧米を坂の上の雲としてそれを目指して坂を上るのではなく、別の独自路線を切り開こうとしてきた。「はやぶさ2」やMMXのようなサンプルリターン探査がそれである。一方で、JUICEのように、日本単独ではできない規模の大型探査は確かに存在する。藤本さんは次のように言う。
“2006年のEJSM会議に参加した日本人は私一人だった。あるミッションが打ち上げまで17年かかるのは長すぎるかもしれないが、今日までの日本のコミュニティの成熟を考えれば、意味のある17年だったと思う。日本から新生JUICEに参加すべきといった当初は孤独だった。日本のロケットで打ち上げるものこそが本物だとの批判が大半であった。しかし今では、海外大型計画に参加すべし、チャンスをつかみ日本主導の計画で成果を出すべしとなっている。これまでの戦いの中でJUICEは絶対にやるべきと信じてこれたのは、日本の科学者たちのお陰でもある。”
藤本さんが17年かけて切り拓いたJUICEという名のぶどう畑には、今ようやく苗木が植わり、8年後には木星系到達という収穫の時を迎えるであろう。JUICEならぬ、成熟したワインで収穫のその時を一緒に祝いたい。
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