2011年9月 vol.01
土井隆雄さん―国連宇宙部で見えたこと、始めたこと。
9月11日、山梨県立科学館で。土井さんは甲府での中学時代に星を見て宇宙に興味を持った。「甲府の星空が原点」と言う。
1985年に日本人初の宇宙飛行士として選ばれ、1997年、日本人で初めて船外活動を行い、2008年3月には日本実験棟「きぼう」を初めて国際宇宙ステーション(ISS)に取り付けた土井隆雄さん。2009年9月からはオーストリア・ウィーンにある国連宇宙部の宇宙応用課長として、宇宙をより広く世界の人々に利用してもらうための活動に奔走している。その土井さんが9月11日、山梨県立科学館で行われたJAXAタウンミーティングに登壇。国連で立ち上げた新プロジェクトについて熱弁をふるった。
土井さんは、2回の宇宙飛行を振り返り、二つ感動したことがあったという。一つは地球の素晴らしさ。漆黒の宇宙空間に浮かぶ青く輝く地球に生まれたことの幸運を噛みしめ、この惑星に住む生命体で地球を守っていかなければならないと強く感じた。もう一つは巨大な構造物、ISSを宇宙に作るという高度な技術を人間は獲得したことについて。紀元前に作られたピラミッドに匹敵するような遺業であり、私たちは望めば宇宙に文明を広げられる可能性を手に入れたと話す。
この貴重な経験を活かして次に何をしようかと考えたとき、宇宙開発は一国ではできず世界中で参加できたらいいなと、土井さんは国連宇宙部の職員に応募することを決めた。国連宇宙部は宇宙の平和利用を促進すること、また宇宙科学技術の恩恵を世界に展開することを主な目的としている。宇宙の教育普及活動やワークショップも約40年間続けていて、土井さんもナイジェリアの大学院などに出向いて活動しているそう。
国連の宇宙啓蒙活動の一つに大学院教育がある。ナイジェリア、リージョナルセンターの学生たちと。(提供:土井隆雄氏)
「宇宙飛行士として訓練している頃と今とで感じることは変わったか」と尋ねると、「(宇宙飛行士として)25年間、有人宇宙開発の最先端で働いてきたという自負があった。でも国連に来てみると、宇宙開発はまだまだ多くの国にとって『夢の夢の夢』。世界には地図も整備されていない地域や病院がない村などがいっぱいある。そうした国では、まず人工衛星を使えば川の流れや海岸線を調べたり、遠隔医療が可能になるなど、生活に役立てられることを理解してもらい、使ってもらうために技術のかさ上げをしていかなくてはいけないのです」という。
そして2011年に有人宇宙飛行50周年を迎えるに当たり、土井さんは宇宙飛行士としての経験を活かした新プロジェクトを昨年立ち上げた。それが「国連有人宇宙技術イニシアティブ(Human Space Technology Initiative HSTI)」だ。途上国では人工衛星の利用が先決とは言え、「せっかくISSがあるのだから、有人宇宙開発でも国連が何かできないだろうかと考え、ISS参加の15カ国だけでなく世界中のあらゆる国が参加できるようにしたい」という挑戦的なプロジェクトだ。「ISSが飛んでいることも知らない人が世界には大勢いる。まずはISSが宇宙にあり、利用できることを知ってもらう」。でもISSは最先端の実験や研究が行われ、利用するのも大変では?と問うと「ハードルは確かに高い。だけど何もしなければ何も始まらない。まずは地上で十分な研究ができる施設を持つ、人を養成するところから始めなければならない。模擬実験ができる機器を提供し興味をもってもらい、有人宇宙実験や微少重力を学ぶためのテキストを作ろうと考えている」と様々なプランを話してくれた。
イベント冒頭、土井さんは宇宙連詩山梨版「星つむぎの歌」を地元の方たちと大合唱。同曲のCD(歌:平原綾香さん)を土井さんは宇宙に持参した。
今年の11月14日~18にはHSTIのための第一回の国連専門家会議をマレーシアで開催する予定。「宇宙を利用したいと考える世界中の皆さんに参加してもらい議論したい」と土井さんはやる気だ。講演の冒頭で土井さんは「日本だけでなく、世界にとって、人類にとって日本の宇宙開発は何をするべきか、大きな視点から考えて欲しい」と言った。国連に場を移して地球上の様々地域の現実を見ながらも大きな視点を失わない土井さん。新プロジェクトの今後に期待したい。