1000年の歴史を持つ京都で、1000年先の宇宙と人類を考える—土井隆雄さん インタビュー
1997年、日本人で初めて船外活動をした宇宙飛行士の土井隆雄さん。「宇宙は私たちを呼んでいる」という名言が印象的な、素晴らしいミッションだった。2008年の二度目の宇宙飛行後、2009年から国連宇宙部へ。そして2016年4月からは京都大学特定教授として世界初の「有人宇宙学」を作ろうと走り出している。宇宙から国連、そして京都へ。京都大学宇宙総合学研究ユニットのオフィスに土井さんを訪ね、目指すところを伺った。
人が宇宙に行くことは、先進国だけの特権ではない
- —国連の宇宙応用専門官に宇宙飛行士が着任したのは、土井さんが世界初だそうですね。確か2009年、国連着任前にJAXAで行われた記者会見では、2年間の予定だと仰ってませんでしたか?
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土井:
長くなってしまった(笑)。僕は有人宇宙活動を世界に広げるという目的で国連に行ったのですが、そのためのプロジェクトが2年目の2011年に始まったのです。そこで辞めるわけにはいかない。プロジェクトが一段落するまでいることにしたら、結局6年半かかりました(笑)。
- —国際宇宙ステーション(ISS)は先進国中心のプロジェクトですが、国連には途上国も加盟していますよね。有人宇宙プログラムの立ち上げは困難も多かったのでは?
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土井:
大変でした。そもそも宇宙開発に途上国にも参加してもらおうと活動しているのが国連宇宙空間平和利用委員会(COPUOS)で、約80か国が加盟しています。その事務局が国連宇宙部。たとえば世界に6つある衛星測位システムを一つに統合して利用を広める活動をしたり、衛星データを地図作成や資源探査に役立てたり。宇宙技術を経済活動や教育などに使いたいという国はいっぱいあります。でも有人宇宙活動は敷居が高い。どうやって広めるか色々考えましたね。
- —具体的には?
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土井:
人が宇宙に行くことは先進国だけの特権ではありません。人が行くことも含めて世界のみんなが宇宙を使えるようにしたい。ところがISSのコアメンバーは先進国15か国だけです。途上国も入れるような枠組みを考えたらと交渉しましたが、ダメでした。コアメンバーは増やさない、ただし利用はOKだと。そこでISSはできる範囲で利用することにしたものの、将来的に月や火星に行くときには、途上国が入った世界的な枠組み作りをしないといけない。その枠組み作りをしようというのが一つの目的です。
- —ISSパートナーがNOと言ったんですね・・・ただし利用はできると。
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土井:
途上国は宇宙船を持っていないので、国際協力で人が宇宙へ行くか、宇宙実験をするかしかありません。そこでISSの利用を広げようとしました。その結果としてJAXAと国連宇宙部が協力し「Kibo-CUBE」が立ち上がりました。
- —ISS「きぼう」日本実験棟から超小型衛星を放出するプロジェクトですね!
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土井:
はい。2015年10月から第一回目の募集が始まり、プロジェクト最初の国、ケニアが選ばれました。ナイロビ大学の衛星が2017年度に放出される予定です。これはケニア初の衛星なんです。JAXAを通してISS「きぼう」の利用が意義ある形で世界に広まったと思います。次の募集も始まっています。
中国の宇宙ステーションを全世界に開放!
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土井:
国連で立ち上げた有人宇宙技術イニシアティブは、3つの柱があります。一つは今お話しした国際協力。あとの二つはアウトリーチ(普及)と教育・人材育成です。アウトリーチではワークショップを開きました。第二回は2013年の中国で「途上国が有人宇宙活動に参加するにはどうしたらいいか」について議論しました。そこで中国は独自の宇宙ステーションを作ろうとしていること、そのステーションを「全世界に開放します」と発言したんです。実際に中国と国連宇宙部との共同プロジェクトとしてMOU(覚書)がサインされました。中国の宇宙ステーションは2022年に完成する予定ですよ。
- —それはすごい。一方日本は・・・
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土井:
遅れています。中国は外国の宇宙飛行士の訓練もしますと言っています。だから日本人も中国で訓練すれば、中国の宇宙ステーションに行けるんです。3つ目の柱である教育では、模擬微小重力状態を作り出す実験装置(クリノスタット)を世界の高校や大学に数十機配布して、その土地の植物の種がどう育つか実験してもらうなどの活動をしました。
- —たくさんのプロジェクトですね。国連の6年半を振り返ると?
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土井:
忙しかったですが、非常にいい勉強になりましたね。技術レベルも教育レベルも考え方も違う色々な国があるから、その国に合わせた宇宙との関わり方をしないといけない。印象的だったのは、宇宙飛行士のために開発した医療機器をWHO(世界保健機関)を通して世界に配ろうとした際に、「高額な医療機器は誰も使えないし、壊れても直せる人がいないからお蔵入りになる」と言われたことです。つまり物の援助でなく、人を育てないとダメということです。その一方で宇宙を利用してみたい、特に若い人達は宇宙に行きたいという気持ちを持っていることがわかり、心強く思いました。
日本を知りたくて京都へ 京都から宇宙へ発信
- —そして、2016年4月からは京都大学宇宙総合学研究ユニットの特定教授に。なぜ京大へ?
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土井:
宇宙から国連、日本へと逆コースなんだけど(笑)。最初は宇宙に行きたくてアメリカに行った。次は世界を見たくて国連に行った。そして日本を知りたくて京都に来たんです。
- —きっかけがあったのですか?
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土井:
国連で色々な国の人と議論すると、自分の国や文化についてアイデンティティを強く持っていなければならないことを痛感しました。だけど僕は日本を知らない。21年間、日本の外に出ていましたから。そこで日本を勉強したい、それなら一番「濃い」のは京都だと(笑)。京都からまた宇宙に発信しようとしています。
- —何をですか?
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土井:
まず有人宇宙活動のための「総合科学教育プログラム」を作っています。人が宇宙に行くにはロケットや宇宙ステーションなどの宇宙工学以外に医学や農学、社会学や倫理学など、あらゆる学問を統合した形の教育が必要です。京都大学には2008年に始まった「宇宙総合学研究ユニット」があって、人文・社会科学系を含む70名の教員が参加して新しい学際的研究を行っています。そのノウハウを活かして有人宇宙活動のための「総合科学教育プログラム」がこの9月に始まりました。
- —受けてみたいですね。京都大学の学生しか授業は受けられないのですか?
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土井:
そうですね。ただ3年間、京都大学で試験的に授業を行った後は、どこの大学でもできるように、教科書を作ろうと計画しています。
- —なぜ教育に目を向けたのですか?
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土井:
1985年に毛利さん、向井さん、私の3人の宇宙飛行士が日本で初めて選ばれ、有人宇宙活動が始まってから30年経ちます。現在はISSができて、順調に見えていますが、2025年以降の日本の有人宇宙計画は決まっていない。そして宇宙利用の成果が思ったほどあがらず批判されている。それはなぜか。アメリカや欧州に比べて宇宙で活躍する優秀な人材が少ないからです。だったら育てようと。3年間のカリキュラムで様々な学問を系統的に再編成して教えます。基礎教育と専門教育があり、専門では実習や社会連携も行います。
- —資料を拝見すると、専門教育では微小重力実験や閉鎖環境体験まで行うと!JAXAつくば宇宙センターの施設を使うのですか?
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土井:
京都でも作ろうと思っていますよ。
世界初の有人宇宙学―最初のターゲットは月
- —ほんとですか!?それは楽しみです。
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土井:
それが教育。もう一つは研究です。「有人宇宙学」、つまり人が宇宙に展開するための学問を作ろうと思っています。人間の宇宙活動を支える学問は、これまで宇宙科学や工学が中心でした。しかし、それだけを議論していると深まりがない。そこで「時間」の概念を入れました。
まず100億年レベルの「宇宙」の時間、1億年レベルの「生命」の時間、そして1万年レベルの「文明」の時間です。歴史、生物学、農学、芸術など様々な学問が宇宙や生命進化、文明の研究のために創られてきましたが、これらを宇宙レベルに引き上げて、宇宙で使える学問にしようというものです。
- —宇宙で生命が進化し、文明を築いたらどうなるか、どう成立させるかということですか?
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土井:
はい。これまでの学問は地球上の生物が、地上で生きるために作った学問。それを宇宙の視点から再編成、再融合して宇宙のどこでも使える学問にしたい。これだけ多くの学問が関わる、人間と時間と宇宙を繋ぐ「有人宇宙学」は世界のどこにもない。世界初です。
- —目指すところは?
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土井:
長期的には人間が宇宙で活動するために直接使える新しい学問を作ること、そして短期的には「月に人が住めるようにしよう」ということです。
- —なぜ月なんですか?
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土井:
ISSの次に人類が展開するベストの場所が月だからです。月が次の国際協力のターゲットであることは間違いありません。月に展開できれば、火星にも木星にも行けます。アメリカもヨーロッパも月に行こうとしていますが、日本はまだ準備ができていません。京都大学で、「有人月探査ができるベストな方法」を学問的に提案しようと。
- —月ミッションを提案するということですか?
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土井:
月に人が住むためのすべての課題をここで解決する。例えば月に街や都市を作ろうとした場合、地球型の環境を持っていく必要があります。一番問題になるのは液体の水をどうやって保持するか、水循環を月でどうやって実現するか。どうやって森を作るか。新しい生態系を月に作るにはどうするか、ということなどです。
- —裏返せば、日本の宇宙開発を外から見た土井さんが、感じることがあったからですか?
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土井:
一番はISSのあと、2025年以降のプロジェクトが出てこないことです。このままではISSが終わると日本の有人宇宙開発の30年の歴史が終わってしまう。それは日本にとって非常に大きな損失です。中国や欧州、アメリカがどんどん月や火星に行こうとしているのに、日本だけが取り残される危機感があります。
- —日本のやり方の何がまずいのでしょうか?
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土井:
一番欠けているのは「ビジョン」です。全体を統合し、日本は宇宙で何を目指すから何をやらないといけないか、という大局的な見地からミッションを作ってこなかった。なぜできなかったかといえば、学問がなかったからです。例えば月基地を設計しようとしても、有人宇宙船を設計しようとしても基礎データすらない。それを新しい学問、有人宇宙学を創ってカバーしようと思います。
- —なぜ京都から?
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土井:
京都は1000年の歴史を持っている。つまり1000年間にわたって人間の文化が栄えている場所なんです。宇宙開発の1000年後なんてあまりにも遠すぎる未来で、考える意味がないとしばしば言われますが、1000年の歴史を持つ京都ではそんなことは言えませんよね。京都だからこそ、1000年後の未来が語れると思っています。
- —なるほど…ところで京都の生活は満喫されてますか?
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土井:
学生とのゼミとか講義、ミーティングで国連の頃より忙しいですが日々充実していますよ。お寺や神社を回ろうと思っていますが、なかなかその時間がとれません(笑)。
インタビューを終えて
私は前職(日本宇宙少年団・機関紙L5編集部)時代から、土井さんの壮大なお話を聞くのが大好きだった。L5では土井隆雄さんの連載「宇宙進出をめざす君たちへ」を掲載したが、1994年12月号で土井さんはご自分が思い描く「有人宇宙活動史」を載せた(表)。
そして本文では宇宙飛行士の役割として「新しい発想や技術、科学研究のアイデア、新しい芸術など人類の文化や文明に貢献できるようにならないといけない」と記している。 土井さんはたとえどこにいようと も、その目指す方向はまったくぶれていない。1994年に土井さんが思い描いたほど有人宇宙活動は進んでいない。しかし、先につなげようと京都で立ち上がった土井さんのプロジェクトの今後に期待したい。