「チャレンジ精神」を引き継いで—内之浦発2つのロケット
2016年最後のロケット打ち上げは、JAXA森田泰弘プロジェクトマネージャーが「32年間のロケット人生で、一番美しいロケット打ち上げ。涙がにじんだ」という12月20日のイプシロン2号機だった。そして2017年初の打ち上げは、世界最小の衛星打ち上げ用ロケットSS-520-4号機。1月15日の打ち上げ20秒後にロケットからの通信が途絶えたが、衛星はタイマーで切り離され正常であることが確認された。いずれも今後の宇宙開発にとって、大きなカギを握る「チャレンジング」なロケットだ。
この二つのロケットが打ち上げられたのは、鹿児島県大隅半島にあるJAXA内之浦宇宙空間観測所。「チャレンジスピリット」が脈々と受け継がれる日本の宇宙開発の原点だ。
「世界一愛される発射場」
日本のロケット発射場と言えば種子島宇宙センターが知られる。しかし、そもそも日本初の人工衛星「おおすみ」が打ち上げられたのは、ここ内之浦。1970年のことだった。「陸の孤島」と呼ばれた内之浦に発射場を作るという決断を下したのは、「日本の宇宙開発の父」と呼ばれる糸川英夫博士。新発射場建設地を探し歩いて内之浦を訪れ、太平洋に向かって立ちションしているとき、「ここだ!」と叫んだそう。しかし当時の内之浦は丘の起伏が激しく、岩石が山積していた。そのため建設工事は困難を極めた。
そこで立ち上がったのが地元の婦人会。作業員への差し入れはもちろん、自らも建設作業に参加したのだ。「内之浦は町の人たちと共につるはしとシャベルを持ち、二人三脚で作った発射場です」と森田プロマネも、地元への感謝を語る。こうして1962年2月に内之浦に発射場が開設されたが、初の人工衛星打ち上げまでロケットは4回連続失敗。うなだれる関係者に婦人会は成功祈願の千羽鶴を送り、勇気づけた。ロケット実験班は物理的にも精神的にも地元に支えられてきたのだ。日本初の人工衛星がついに飛翔すると内之浦ではパレードが行われ、関係者は涙を流し共に喜んだ。衛星には地元への感謝の気持ちを込めて、大隅半島の名から「おおすみ」と名付けられた。種子島が「世界一美しい発射場」と呼ばれるのに対して、内之浦は「世界一(地元に)愛される発射場」と呼ばれているのは、こんな背景があるからだ。
現在、内之浦宇宙空間観測所の中央には、糸川英夫の銅像が見守っている。糸川博士はわずか23センチのペンシルロケットを水平に発射することから日本のロケット開発を始めた。「常識破り」かつ「逆転の発想」、不屈の「チャレンジスピリット」の持ち主として語り継がれる。
そしてそのチャレンジ精神は、二つのロケットにも受け継がれている。いったいどんな点が?イプシロンロケットと超小型ロケット(SS-520-4号機)について、知っておきたいポイントを整理しよう。
イプシロン—数百kgの小型衛星打ち上げで世界をリード
ところで日本にはH-IIA、H-IIBという主力ロケットが種子島から打ち上げられている。これらとイプシロンロケットはどう違うの?と思う方がいるかもしれない。簡単に言えば、打ち上げる荷物の「重さ」が違う。イプシロンが担うのは「軽い」、「小型の」衛星だ。
ロケットは簡単に言えば「運び屋」だ。例えば引っ越しをするとき、一人の引っ越しなら小さなトラック、大家族なら大きなトラックを頼むだろう。荷物が少ないのに大きなトラックを頼めば運送費が無駄になる。ロケットも同じ。今、宇宙を飛ぶ人工衛星は大型衛星と小型衛星の二極化している。小型衛星にも様々な種類があって、イプシロンは300kg~600kgの衛星を担う(太陽同期軌道。H-IIAは3.8トン~)。イプシロンが運ぶのは日本の衛星や探査機など、さらに新興国など自国でロケットを持たない国の衛星の受注を狙っている。
内之浦から飛び立つロケットにはもう一つ大きな特徴がある。それは固体ロケットを使っていることだ。ペンシルロケットに始まる固体ロケットの流れを組んだM-Vロケットは「世界最大」、「最高性能」の固体ロケットだったが、打ち上げコストが高いという理由で2006年に幕を下ろした。世界に誇る日本の固体ロケットの技術を受け継ぎつつ、新しいコンセプトで蘇ったのが、イプシロンロケットだ。
2013年に打ち上げられたイプシロン試験機は、打ち上げシステムを劇的に変えた。IT技術を駆使し、ロケット自身が「自動・自立点検」を行って異常を事前に検知する。また発射管制室はパソコン2台、8人と従来の約十分の一のコンパクトな形を実現した。「モバイル管制」と呼ばれ、発射台のすぐ近くに管制室を置く必要がなく、原理的にはどこにでも持ち歩ける管制室となる。このように機体だけでなく、設備や運用も含めて打ち上げシステム全体を改革。「世界でもっともシンプルで簡単な打ち上げ」で宇宙利用の敷居を下げることを目指す。
そして2号機では機体の改良に取り組み、打ち上げ能力を3割増しにアップ。衛星の乗り心地も改善し、振動や音を世界最高レベルに抑えた。3号機では「衛星をロケットから分離する際の分離機構の衝撃を世界最高レベルに緩和する」と森田プロマネ。「音響、振動、衝撃。3拍子揃うことで、衛星ユーザーにとってはものすごく有意義になる」と自信を見せる。
今後、イプシロンは3号機まで改良を重ねる。「運び屋」であるロケットは失敗できない。何より信頼性が大事であり、長らく欧米でも「Better is Worse」(改良することは悪くなること)と言われたほどだ。しかしそんな常識を打ち破り、イプシロンは進化し続ける。3号機では地球観測の「ASNARO(あすなろ)2」、その後は月の狙った場所に着陸する小型月着陸実験機SLIMを打ち上げる計画もある。さらに事業化をも狙う。
「内之浦から小型衛星をバンバン打っていきたい」。2013年の試験機打ち上げから3年間、第2段を大型化するとともに製造プロセスなどを見直し、高性能・低コストを実現。チャレンジの多いロケット開発のため打ち上げ前約1ヶ月間、ロケット隊員たちは休みなしで疲労困憊だった。チーム一丸となって勝ち取った完璧な成功に、森田教授は満面の笑みで抱負を語った。
打ち上げ数時間後、発射台の真下に!
イプシロンロケット2号機打ち上げから約4時間後、イプシロンが飛び立った後の発射台が記者に公開された。発射台にも日本ならではの工夫があった。それは煙を逃がす煙道だ。煙がロケットに跳ね返ると、音や振動で衛星に悪影響を及ぼす可能性があることから、発射台に沿道をつけたという。
しかし打ち上げ数時間後に発射台の下まで見せてくれるとは太っ腹だ。峯杉賢治・内之浦宇宙空間観測所長自ら案内してくださり、どんな初歩的な質問にもわかりやすく答えてくださる。「発射台の下はもっと真っ黒焦げかと思ってました」という(アホな)質問をしたところ、「焦げるのは炭素が含まれている場合だけです」との答え。なるほど、沿道に使われている耐火セメントには炭素が含まれていないわけだ。だが数千度もの噴煙が通り抜けた筋状の模様が刻まれ、はがれた破片が散らばり、噴射のすさまじさを物語っていた。
世界最小ロケット—民生品を使って、劇的に低コストに
そして1月15日に打ち上げられたSS-520-4号機について。全長わずか9.5m、衛星を打ち上げるロケットとしては世界最小のロケットに搭載されていたのは、3kgの「超小型衛星」。つまり、小さい荷物をとことん小さなロケットで打ち上げようというわけだ。しかし、この超小型ロケットの目的はそれだけではない。ロケットに民生品を使い、打ち上げコストを桁違いに下げるというチャレンジだ。安く、簡単に作ることができる超小型衛星は現在、世界的に開発が進められている。だが、いくら衛星を安く作っても、打ち上げるロケットの費用が高くつけば、結局高くついてしまう。だから「低コストで気軽に打ち上げられる超小型衛星用のロケット」のニーズは世界的に高まっている。
しかし、先にも書いた通り、宇宙を目指すロケットは信頼性が重視されるため、使い古された製品や技術を使っている。「宇宙用特別品」を使うため、どうしてもコストが高くなる。大量生産され市場に流通している市販品を使えば、コストが安くなるはずだ。そこでロケットのバッテリーや電子機器などに民生品が使えるか、そのためにどんな設計をすればいいか。実験、検証しましょうというのが、このロケットの目的だ。ただし、このロケットが今後、超小型衛星を打ち上げるためシリーズ化されるわけではない。この実験で実証された技術や知見を(ロケットや衛星を開発する)民間にも役立ててもらおうというものだ。経済産業省から4億の予算を獲得し、衛星やロケットの改良を行ってきた。
といっても、新しく一から開発したわけではない。実はSS-520はもともとJAXA宇宙科学研究所の2段式観測用固体ロケットで飛行実績もある。このロケットに新たに3段目を開発して付け加えることで、衛星を打ち上げるロケットに改良したのだ。そもそもSS-520は「3段目を追加すれば衛星を軌道に投入できる」と何十年も都市伝説のように言われ続けてきた。それを実際に実現しようというプロジェクトでもあった。
超小型ロケット打ち上げ失敗、
しかし衛星は分離され「基礎的な実験はできた」
1月15日、8時33分にSS-520-4号機は打ち上げれた。青空を背景に、ロケットは順調に打ちあがったかのように見えた。しかし発射20秒後、ロケットからの情報が途絶える。このロケットは一段燃焼が終了したあと姿勢を整え、方向が正しいかを確認してから第二段ロケットを点火する計画だった。だがデータが届かず、ロケットがどの方向を向いているか確認できない状況では点火できない。そのため点火は中止、ロケットは内之浦南東海上に落下した。
「実験は失敗」。JAXA宇宙科学研究所の羽生宏人准教授が記者会見で語る一方、同席していた東京大学の中須賀真一教授から驚くべき事実が明らかにされた。なんと、超小型ロケットが搭載していた衛星「TORICOM-1」がタイマーによって予定通り450秒後に分離され、落下する途中にデータを送信、地上で受信され「衛星が正常である」ことが確認されたのだ!
中須賀教授によると「超小型ロケットは(ロケットが小さいため)打ち上げの際に振動や、ロケット自体の回転など厳しい環境に晒される。しかし、衛星『TORICOM-1』は振動に耐え、ロケットの回転を抑える装置も働き、分離機構も正常に作動したことがデータから確認できた。つまり『宇宙に行くことの基礎的な実験はできた』と言えるのです」。
これは今回の実験の大きな成果だ。また超小型ロケット開発の過程でも知見は得られた。「発射に至るまで民生品について問題点を洗い出し、適用の可能性を一つ一つ検討し、設計や地上の試験を繰り返した。その過程で民生品は機能的であるという知見が蓄えられた。この方向性は失いたくない」と羽生准教授は言う。
中須賀教授はつづけた。「衛星の世界では13~14年前から民生品を使い始めた。ロケットはこれからです。大事なのは継続。失敗を恐れていては何もできないし、後戻りしてはいけない。超小型衛星は世界的にブームになっているが、その一方で超小型衛星の打ち上げは大型ロケットの相乗りや宇宙ステーションからの放出が中心。どうしても打ち上げ時期や行ける場所(軌道)に制約がある。『行きたいとき』に『行きたい場所』に行けるロケットが必要です。超小型衛星は小型ロケットを待っています!」
人生で最も大切なものは「逆境とよき友」
冒頭に紹介した、内之浦宇宙空間観測所に立つ糸川英夫博士の銅像の下には、糸川氏のある言葉が刻まれている。「人生で最も大切なものは逆境とよき友である」。超小型ロケットは今、逆境に立たされていると言えるかもしれない。しかし、イプシロンの森田プロマネも記者会見でこう語っていた。「糸川博士からはチャレンジ精神が大事だということを受け継いでいる。失敗しても新しいことをやっていく」「ロケット開発は科学の世界。それを支えるのは『人の力』です」。
超小型ロケット打ち上げ失敗の原因究明は始まっている。逆境を人の力で乗り越えて、内之浦からぜひチャレンジを続けてほしい。