ロシア宇宙開発の魅力とは。
大西飛行士打ち上げ見学ツアーを案内—菊地涼子さんに聞く
大西卓哉宇宙飛行士の打ち上げが7月7日に延期された。安全な宇宙への旅を祈るばかりだ。大西さんを宇宙へ送り出すのが、ロシアのソユーズロケット。その打ち上げは凄まじい。観覧席は射点から約1.4kmと近く、音と爆風が体を突き抜ける、世界のロケット発射の中でもっとも迫力ある体験だ(私は2度経験)。是非多くの人に体験してほしいと願うが、バイコヌール宇宙基地はカザフスタン共和国にあり、周りは岩砂漠が広がる「地上の火星」のような場所。かつては機密基地だったため、基地内に入るのは簡単ではない。
そんな状況を打破し、2013年から若田光一飛行士、油井飛行士、そして大西飛行士と3回連続で「バイコヌール宇宙基地打ち上げ見学ツアー」が大陸トラベルにより実施されている。ツアーに毎回同行し、解説や通訳、交渉など八面六臂の活躍をするのが菊地涼子さんだ。今回も土壇場の打ち上げ日延期で、旅行会社担当者と一緒にツアーの日程変更に大忙しだ。
菊地さんは「TBS宇宙特派員プロジェクト」で、秋山豊寛さんとともに日本人で初めて1989年10月から旧ソ連・星の街(モスクワ郊外の訓練センター)で宇宙飛行士訓練を受けた。国家審査委員会から正式に「宇宙飛行士の資格」を与えられるという稀有な経験をなさった方だ。私は菊地さんが選抜された記者会見以後、その奮闘ぶりや、ロシア人飛行士から絶大な信頼を得ている様子を見てきた。ロシア取材に行く際は、必ず菊地さんに見どころを丁寧に教えて頂いたし、ロシアでは「リョーコさん知ってますか?」と宇宙関係者から何度も声をかけられた。今も菊地さんの人気は絶大なのだ。そんな菊地さんが今、どんな思いで打ち上げツアーに臨み、ロシア宇宙開発をどう見ているのか、伺いました。
打ち上げ見学ツアーを「是非やりたい」3つの理由
- —いつ頃どんな経緯で打ち上げ見学ツアーを引き受けるようになったのですか?
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菊地:
大陸トラベルは、旧ソ連との貿易を行う大陸貿易が親会社で、長年ロシアツアーを行っていました。その大陸トラベルからバイコヌールツアーを案内してもらえないかと依頼を受けたんです。最初はチャーター便を借りようかとか、担当者と一緒にツアーの可能性をいろいろ探りましたが、結局、モスクワからロシア宇宙関係者が乗るチャーター機に同乗できることになり、ロシア側で旅行の手配をしてくれるカウンターパートも見つかり、一歩一歩、バイコヌールへのアクセス方法を切り開いていきました。
- —最初にツアー案内を依頼されたときはどう思われましたか?
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菊地:
是非やりたいと思いました。理由は3つあります。まずは「ロシアの宇宙開発を身近に感じてほしい」ということです。ロケットの打ち上げと言えば、例えばスペースシャトルを打ち上げたNASAケネディ宇宙センターはアクセスしやすいですよね。フロリダのディズニーワールドのついでに行けますが、一方、バイコヌールは特別な街で、許可がないと入れない。場所はカザフスタン共和国で定期便らしい定期便もない。遠く感じるロシアの打ち上げを一般の方に見てもらうことができれば、ロシアを身近に感じるいい機会だなと。
- —確かに、ロシアの打ち上げはどこにどうやって行けばいいのかすら、よくわからない。
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菊地:
はい。そして2つ目は、ソユーズロケットの打ち上げの「近さ」を感じてほしい。私はスペースシャトルの打ち上げを2回見ていますが、ソユーズロケットの打ち上げは全然違います。まず距離が近い。発射台から1.4㎞(スペースシャトルの場合は5㎞以上)。シャトルだと音が遅れてきますけど、ソユーズは音の遅れがない。ロケットが空気を震わせて、ロケットと空気がつながっているのを全身で感じるんです。人間はこんなにすごい。人間の英知を集めればこんなことをやってしまうという、「人間の素晴らしさ」を感じます。
- —なるほど・・菊地さんが初めてソユーズロケットの打ち上げを見たのはいつですか?
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菊地:
打ち上げ数か月前の1990年8月です。基礎訓練を修了し、私たちの一つ前のフライトを見に行きました。ロケット打ち上げを見ること自体、その時が初めて。次は自分が乗るかもしれないと思うと「大変なことをするんだ」と、ショックで絶句してしまいました。その次の秋山さんの飛行(1990年12月2日)は号泣でした。訓練の間中ずっとものすごい緊張があって、自分の任務がようやく終わり、解放されたからでしょうね。その時は盲腸の手術の直後で、傷跡に振動がものすごく響いて大変でしたよ(笑)
- —打ち上げ直前に盲腸になり、バイコヌールの病院で手術されたんですよね。
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菊地:
はい。その時も同じクルーのセルゲイ・クリカリョフ飛行士らが献身的に支えてくれました。ロシアは独裁的な政治もありイメージがよくないのですが、実際に行ってみると、一人一人のロシア人の温かさ、人間臭さがわかります。バイコヌール基地も決してかっこいい基地ではありません。泥臭い思いをして、ロシア人たちが長い時間をかけて作ってきた場所です。ガガーリンの時代から人間を宇宙に送り出した国が、どういう文化や宇宙への思いがあり歴史を刻んできたか、日本との違いも含めて是非見てほしい。それが3つ目です。
- —その3つの点は、菊地さんご自身が訓練を受けて感じたことなんですね?
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菊地:
そうですね。ただ私の経験はいくら言葉で伝えても、私個人の特殊な感覚で特殊な経験としてしか伝わらないなとジレンマを感じていました。たくさんの方が行ってその方たちの視点や感性を通じて伝えてくれることで、多くの人に伝わるだろうと期待しています。
日本に電話するのに10時間 西側諸国初の「星の街」での訓練と生活とは
- —改めて、1989年~1990年の訓練やご経験を、今どう位置付けておられますか?
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菊地:
人生最大の経験であり、あれを超える経験はあり得ないですね。大変だったのは、星の街から日本に一本の電話をするのに10時間待ちだったことです。10時間待って順番が回ってきたときにトイレにいて受話器が取れなければ、また(順番の)並び直し・・・。これは大変な生活が始まると思いました。今はスマホで世界中すぐに電話ができますから、時代が違いますよね。
- —そんな状況も知らず、私は菊地さんに連載(日本宇宙少年団機関誌用)をお願いしていましたね。菊地さんは一切愚痴を言わず現地からFAXを送って下さって、申し訳なかったとともに頭が下がります。
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菊地:
懐かしいですね(笑)。訓練では弾道学や宇宙医学、宇宙航行法などすべてロシア語で行われる上に、機密事項だからロケットや宇宙ステーション・ミールの構造などは教科書をくれない。一科目終わるごとに試験があるのに、授業が終わると先生が持ち帰ってしまう。
- —その時に板書するしかない?
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菊地:
最初はそうでしたが、それではあまりにも勉強ができないのでコピー機を持ち込んでコピーすることをOKにしてもらいました。日本の常識では当たり前のことを、一つ一つを乗り越えないといけなかった。
- —訓練に入る前の段階から大変だったわけですね。
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菊地:
西側諸国の人間が星の街で訓練を受けたのは、私たちが初めてでした。それまでは旧ソ連の同盟国―東ドイツやベトナムなどの人たちが宇宙飛行していました。買い物に関しては、当時の「星の街」は、特権階級である宇宙飛行士が暮らす街なので旧ソ連の中では恵まれていましたが、私が盲腸手術後の痛みを抱えている時は、クリカリョフ飛行士が滋養をつけようと卵を買おうとしたのに、星の街には売られてなくて探し回ってくれました。
- —菊地さんの著書「星の街から」には選抜や訓練の内容が書かれて興味深いのですが、心理面接はロシア特有ですね。
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菊地:
そうですね。ロシアは宇宙長期滞在の経験が長いので、精神分析によってメンバーの相性が合うかどうかをデータ化しているんですね。印象的だったのは8枚の顔写真の中から、好きな顔と嫌いな顔を2枚ずつ選ぶテスト。8枚はすべて様々な精神病の患者さんの写真なんです。顔の表情にその病気の影響が反映されていて、どの写真にシンパシーを感じるかで、被験者に近い精神的要素がわかるという考えでした。
- —どれを選ばれたか興味深いですね・・
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菊地:
いろいろな心理テストから私の分析結果は「おっちょこちょいのカメレオン」でした。好奇心の持ち主で環境への適応力があるが、誤りを犯す可能性もあると(笑)。
- —あっているような気もします(笑)。菊地さんは8Gの遠心加速器訓練や雪中サバイバル訓練など本格的訓練を受け、数多くの試験をクリアされましたが、大変だった訓練は?
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菊地:
度胸付けのためにヘリコプターから飛び降りる訓練です。高度約800mからいきなり一人でパラシュートを背負ってジャンプするんです。予行演習では1mほどの椅子から飛び降り方を練習しましたが、実際に初めて飛ぶときは、ふつうインストラクターがつきますよね。もう死ぬかと思うときにパラシュートが開いて、日記に「なくしたはずの命を見つけた気分」と書きました(笑)。
- —今は外国人宇宙飛行士はやらせてもらえない訓練だとか。
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菊地:
一番ハードだったのは、黒海での海上サバイバル訓練です。不時着したことを想定して、狭いソユーズ宇宙船の中で、約10キロの宇宙服を脱いで、海に脱出するための防水服に着替えるんです。外から宇宙船をぐわんぐわんと揺らされて吐き気がしそうなのをこらえながら着替えますが暑いし、蒸すし、狭いし、本当に大変で。NASAの宇宙飛行士も吐くと聞きます(笑)一人が着替えている間はほかの二人は壁にはりついて、宇宙船に空気を送り込むホースで、汗だくで着替えている人に風を送ったりしていました。
- —打ち上げまで1年以上、苦しい日々も乗り越えられた理由はなんでしょう?
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菊地:
ロシア人たちが温かかったからです。ロシア語で四苦八苦しても、やる気を見せれば理解できる言葉を選んで一生懸命説明してくれましたし、訓練後はロシアに友人がいない私を家に招き食事をごちそうしてくれて。訓練でもプライベートでも支えてくれました。
- —ロシアのパイロットやエンジニア宇宙飛行士たちは3~4年の訓練を受けるそうですが、菊地さんたちは「実験者」枠としてするべき基礎訓練は全部受けたわけですね。もともと宇宙に興味は?
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菊地:
応募前に宇宙に興味があったわけではなく、他薦でした。宇宙には「出会った」感じです。天文系の方なら地上から何億光年も先に思考が飛ぶのでしょうが、私の基本的な興味の対象は人間です。人間が活動範囲を広げて宇宙に出ていこうとする。そのためにあらゆる知恵を総動員する。その過程に惹かれていきました。それに高みを目指す人は人間が大きい。宇宙の大きさと人間の大きさが重なります。ものの見方が大きく変わったと思います。
- —改めて、そういう経験をなさってきた菊地さんが打ち上げ見学ツアーから得ることは?
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菊地:
私がやってきたことは孤独な経験でした。なかなか一般の人には想像ができない。その経験を一緒に共有してくれる人がいるという喜びを、感じています。
大西飛行士フライトの見どころは?
- —大西飛行士の打ち上げですが、見どころは?
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菊地:
大西さんは宇宙飛行の詳細を一番伝えてくれる人かもしれないと期待しています。大西さんのぐぐたす(Google+)がものすごく面白いんです。訓練や試験で疲れているはずなのに終了直後に、自分なりのフィルターを通して、わかりやすく面白く伝えている。
たとえば、ソユーズ宇宙船に収納箱がありますが、その箱をあけるドライバーも同じ箱の中に入っている。「あれ?」と笑える話を拾ってくれています。同じような話がロシアにはところどころあって。宇宙船不時着時に魚を釣ってサバイバルできるよう釣り道具が入っていますが、その疑似餌が絶対魚が釣れないような、安っぽいプラスチック製だったりとかね(笑)
- —ロシアの打ち上げ風景は、今も昔も変わりませんか?
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菊地:
ソユーズロケット自体があまり変わってないですからね。横倒しでロケットを運ぶのはロシアだけでガガーリン時代からの風景です。組み立て工場も歴史があるからぼろい。ロシアは古くても使える技術は使う。ソユーズ宇宙船にも自信を持っていますから大きくは変えませんが、不整合のない範囲で最新の技術を入れてアップデートしています。身近なところでは、発射を見送る観覧席がきれいになりました。
- —あれで?簡単な小屋みたいですが(笑)
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菊地:
あんまり変わりませんけどね(笑)ペンキをきれいに塗ったなと。
- —発射前のカウントダウンがないのは驚きですね。
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菊地:
打ち上げは当たり前という感覚なんですね。時間が来たら任務遂行だと。大騒ぎしないで平常心。アメリカ流のお祭り的なカウントダウンに慣れていると、きっと違和感があるでしょうね。
- —現地では知り合いの人に会いますか?
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菊地:
会いますよ。星の街のフライトサージャン(航空外科医)は私の時のお医者さんだし、試験委員長はお家にも遊びに行ったほどの仲良し宇宙飛行士です。皆さん現役で頑張っています。ロシアってその道一筋の人が多い。宇宙飛行士やインストラクターも親子でなっていたりして、家族で守り続けている。まるで職人です。私の話も「職場の人から聞いてます」と語り継がれているようで、人のつながりを大事にするのもロシアの魅力だと思います。
- —若田飛行士や油井飛行士の出発時にはツアーの皆さんが横断幕を広げて応援されていましたね。大西さんの打ち上げには?
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菊地:
はい。横断幕などで応援しようと思っています。ツアー参加者の方々がSNSで発信するかもしれません。報道だけでなく、等身大の打ち上げ実況に是非注目してくださいね。