大進歩、信じられない—「こうのとり」全9機成功
2020年8月20日(木)午後4時7分頃(日本時間)、ISS(国際宇宙ステーション)での作業を終えた宇宙ステーション補給機「こうのとり」9号機は大気圏に再突入。2011年9月の初号機からISSにトータル50トン以上の物資を運搬。一度の失敗もなく、完璧な成功で有終の美を飾った。
連続成功を率いてきたHTV技術センター長の植松洋彦さんは「ISSから離れていく9号機がだんだん小さくなっていく姿を見たとき、二度と会えないと思ったら泣けてきた」と万感の思いを語る。「94年にHTV(こうのとり)プロジェクトが始まってから四半世紀、初号機打ち上げから11年。非常に長かったようであり、一瞬で終わってしまったような気もする。すべてのミッションを完了することができて嬉しく思っている」と振り返る。
さらに植松さんは「(こうのとりが)特徴的なのは今や世界標準になったランデブー・キャプチャ方式。開発当時はよく言えば『斬新』、悪く言えば『突拍子もなかった』。初号機で初めて実証したが、当時日本の宇宙開発は各国の信用を得られていなかった。11年間の連続成功によって信頼を得られた。やってきたことが間違いでなかったことが証明できた」と胸の内を明かす。
ランデブー・キャプチャ方式とは、秒速7.8km(1分で東京―大阪間を飛ぶ速さ)もの超高速で飛ぶ「こうのとり」とISSが接近(ランデブー)し、お互いがぴたっと止まっているように並走(これがウルトラ級の超高難度技術)、最終的にISS内の宇宙飛行士がロボットアームで掴む(キャプチャ)という方式だ。その後、アメリカのシグナス、ドラゴン補給船もこの方式を採用することになるが、「間違いではなかった」という言葉に長年の苦労がうかがえる。8月21日の会見では「こうのとり」が歩んできた「いばらの道」について、関係者が語った。
1999年から2003年、 失敗の連鎖に苦しんだ日々
1994年、ISSに荷物を運ぶ無人の貨物船HTV(こうのとり)のプロジェクトが立ち上がった頃、日本の宇宙開発は欧米から遅れをとっていた。同年、全段自主開発による国産液体燃料ロケットH-2の打ち上げが、悲願の成功をおさめたものの、有人宇宙開発では1992年に毛利衛宇宙飛行士が日本人で初めてスペースシャトルで打ち上げられたばかり。月面に人類を送り込んだNASAとは、有人宇宙開発の経験において大きな差があった。
95年頃、NASAとの間でHTVの調整が始まった。ロケットを打ち上げているが、宇宙でランデブー・ドッキング(二つの宇宙機が接近、合体すること)の経験がない日本に対して「輸送は簡単ではない。自国(日本)の物資を運ぶことは構わないが、初号機に重要な物資は乗せられないとNASAから告げられた」。NASAと交渉のテーブルについた、有人宇宙技術部門長の佐々木宏JAXA理事は当時を振り返る。
「HTVがスタートして5~10年は、日本の宇宙開発は苦しい時代だった」と佐々木理事が言うように、日本は失敗の連鎖に苦しんでいた。1999年11月、H-IIロケット8号機打ち上げ失敗、2000年2月、M-Vロケット4号機打ち上げ失敗。2003年10月、環境観測技術衛星「みどり2」運用停止、2003年11月、H-IIA6号機打ち上げ失敗。
「NASAだけでなく日本国内でも(専門家から)厳しく問題点を指摘され、HTVの設計を固めてきた。それが9機連続成功につながった」(佐々木理事)。ロケットは6号機ぐらいでよく失敗していたことから、「6号機を乗り越えよう」というのがHTVチームの目標となる。
一方、ランデブー・ドッキング技術は着実に習得していった。まず1996年1月、若田光一飛行士が搭乗したスペースシャトル・エンデバー号が日本のSFU(宇宙実験・観測フリーフライヤ)に接近、若田飛行士がロボットアームでSFUを捕獲し、貨物室に回収することに成功した。「この成功にヒントを得た。日本の補給機は(ISSに直接ドッキングするのではなく)近づいて並走し、最後は宇宙飛行士がロボットアームで捕獲する『ランデブー・キャプチャ方式』にしようと」
当時、NASAはISSへの物資補給をスペースシャトルで行っていた。つまり宇宙飛行士が搭乗する有人宇宙船が、ISSにドッキングする。無人の貨物船によるISSへの物資補給はNASAにとっても未知数だった。しかも、宇宙飛行士がロボットアームで掴まえるとは!?だから日本が提案した方式は「よく言えば斬新、悪く言えば突拍子もないアイデア」と捉えられたのだろう。
NASAに対する説得にはかなり苦労をしたが、日本は1998年の七夕に、「おりひめ・ひこぼし」(ETS-VII)ミッションで二つの宇宙機を自動でランデブー・ドッキングさせることに成功し、更なる実績を積む。
佐々木理事によると、NASAと膨大なディスカッションを重ね様々な問題を解決した2002~2003年 、基本設計が終わる頃にはNASAのマネージャークラスから評価され、信用が得られてきたのを感じたそう。当時、スペースシャトル・コロンビア号の空中分解事故も起こったことも影響したという。
2009年9月11日、HTV初号機が世界で初めて「ランデブー・キャプチャ方式」を実証することに成功。「2011年にスペースシャトルが退役すると、シャトルに替わる大量輸送ができる補給船として、立ち位置が大きく変わった。『あれを載せてくれ』、『これを載せてくれ』と言われるようになり、今に至ります」(佐々木理事)
その後の「こうのとり」の活躍は目覚ましい。ISSに物資を運ぶアメリカやロシアの補給船が連続して打ち上げ失敗しISSの物資が枯渇しかけた際も、「こうのとり」だけは成功し、ISSや宇宙飛行士の危機を救った。そしてISS運用の要ともいえる新型バッテリ24機の輸送をNASAから依頼されることになる。初号機は重要物資は載せられないと言われていたのに・・・。
「今の状態がとても信じられない。すごい大進歩をしているという印象をもっている。米国に追い付けという高い目標を掲げて、JAXAだけでなく企業と協力してしっかり取り組んだ成果だと強く思っている」(佐々木理事)
HTV-Xは保守的な設計から洗練された設計へ
「こうのとり」の成果は新型宇宙船「HTV-X」に受け継がれることになる。HTV-Xは多彩な用途に使える宇宙船だ。パワーアップしてISSに大量の物資を運ぶのはもちろん、地球低軌道で超小型衛星を放出したり、ISS以外で単独での宇宙実験を行ったり。そして、「米国中心に進められる月有人探査計画『アルテミス』や『ゲートウェイ』でも、月周回軌道への物資補給が期待されると思っている」(佐々木理事)。HTV-Xは必要な場所に必要なものを届ける宇宙船であり、まずはISSで実績をあげる。その後は月やそれ以外の場所にも活用できるという。
「こうのとり」プロジェクトが始まった1994年から日本の宇宙技術は大きく進歩した。「『こうのとり』は保守的な設計だが、9回の運用経験をいかして、HTV-Xはより洗練された技術で補給する宇宙船になる」と佐々木理事。具体的には、2003年に「みどり2」が太陽電池パドルのトラブルで運用を停止した経験から、「こうのとり」は太陽電池パドルを展開せず、宇宙機にパネルを張り付ける設計にした。それが「こうのとり」が缶ビールのような形になった理由だ。その後、衛星で太陽電池パドルを広げる技術をしっかり習得できたことから、HTV-Xでは太陽電池パドルを広げる形に。大きな電力を必要とする長期間の技術実証ミッションなどに対応できるようになる。
9号機連続成功の偉業を達成し、世界の信頼を得たと同時に日本の宇宙技術を大きく進展させた「こうのとり」。あえて、課題や危機感は?
「確実にやることを是としてやってきて、失敗なくできた。しかしもう少しチャレンジしたい」。意識するのはスペースXだ。同社のドラゴン補給船は「こうのとり」より後発で、日本と同じランデブー・キャプチャ方式による物資補給を行ってきたが今年、宇宙飛行士が乗るクルードラゴンの初飛行を成功させた。「競争に勝つように、より柔軟に高みを目指して開発を進めることを考えていきたい」(佐々木理事)
ありがとう、さようなら。こうのとり
「こうのとり」は片道切符の宇宙船であり、帰りは大気圏で燃え尽きてしまう。しかし、7号機では「こうのとり」から分離した小さなカプセルを回収することに成功した。
HTV技術センター長の植松洋彦さんは「『こうのとり』は今は人を乗せられない。しかし、安全設計は有人宇宙船にもそのまま適用できるのではないか。7号機で行った小型回収カプセル実験では大気圏再突入時の加速度が4G以下。生き物が乗っていても耐えられるレベルに下げることができた。今後の方向性には議論が必要だが、有人回収カプセルにも適用できると考えている」と語る。
ありがとう、さようなら、こうのとり。
NASAジョンソン宇宙センターで交信担当を務めた金井宣茂飛行士は「こうのとり」9号機がISSから離れると、日本語で声をかけた。「こうのとり」で培われた技術や仕事の進め方は一つの文化になり、HTV-Xだけでなく様々な分野に受け継がれ、羽ばたいていくことだろう。ぜひこれからもチャレンジを続けてほしい。
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