2021年、私たちは宇宙にどこまで近づける?
2021年が明けてすぐのある夜、私はNHKラジオの番組「高橋源一郎の飛ぶ教室」で作家の高橋源一郎さんとお話させて頂く機会に恵まれた。源一郎さんは元天文少年で夜空を飽くことなく眺め、将来の夢は天文学者だったという。麻布中学時代には天文部に所属し、望遠鏡で火星を見てスケッチ。自分で鏡を磨いて反射望遠鏡を作ろうとしたこともあったとか。当時の愛読書の一つは、星の文人として知られる野尻抱影さんの本だった。
源一郎さんの話で印象的だったのは、地上で何が起ころうと、変わらず空に輝く星と文学はいつでも人間を支えてくれるという言葉。改めて野尻抱影さんの本を読みたくなり、本のコンシェルジェ・福井のわおん書房さんに相談したところ「星は周る」をご推薦頂いた。特に心に響いた一節はこれ。
「人間が異常な事件に遭遇した時に、いつも感じるのは、月や星が冷厳なことである。私も娘が亡くなった前夜、四方空襲の火の空で、いつもと変りなく輝いている星に強い憤りを感じた。けれど、今私が思い出したのは、カロッサの次ぎの言葉である。
われわれの喜び、われわれの嘆きを星は永久に聞き取りはしない。しかし、星々の輝きは、われわれが喜び、嘆きに耐えうるよう、いつも優しい調子を保ってくれている」(野尻抱影「星は周る」平凡社 より)
コロナ禍に厚く覆われ、先が見えない今こそ、星空をしばし見上げてほしい。ちょうど冬の夜空には、野尻抱影さんが「大自然という名匠の作った最高の傑作」と称え、自分が死んだら行く星と願ったオリオン座が煌めく。宇宙は私たちに、常に大きな視点をもたらしてくれる。たとえば、宇宙空間は生命の存在を許さない「死の世界」が支配し、命を有する地球が特別であり、そこで生きていること自体が奇跡であること。そして明けない夜はなく、必ず朝が訪れるという事実。
そんな宇宙からの視点を想像するだけでなく、自分自身が目の当たりにする日が来るのだろうか。今年2021年こそ、宇宙への扉が開かれそうだ。
前置きがかなり長くなったけれど、2021年「人が宇宙へ行く」ことに関連した注目の話題を紹介していこう。
野口飛行士に続き、星出船長、クルードラゴンでISSへ
野口聡一宇宙飛行士が今、国際宇宙ステーション(ISS)で活躍中だ。ISSの「きぼう」日本実験棟に設置された「KIBO」宇宙放送局と地上を結んだ年越しライブでは「宇宙からの初日の出」の神々しい映像を見せてくれた。そしてあまり報じられていないが、iPS細胞を使い立体臓器作成をめざす実験を世界で初めて実施した。この実験の目的と考え方が画期的だ。臓器不全症に対して、現在は臓器移植が唯一の根治的治療法だが問題は世界的な移植ドナー不足。そもそもヒト臓器の発生は子宮内羊水で浮力によって重力がない(疑似無重力)状態で生じるという。「宇宙では子宮内に似た環境を精緻に再現することが可能」と代表研究者の谷口英樹教授。ヒト臓器創出に向けた立体培養技術に期待したい。3月11日は東日本大震災から10年の節目。「きぼう」から震災の記憶と教訓を伝承するためのメッセージが、野口飛行士によって発せられる予定だ。
そして、春にはクルードラゴン運用2号機(Crew-2)で星出彰彦宇宙飛行士が打ち上げられる。星出飛行士はISS第65次長期滞在クルーの船長を務める。野口飛行士が搭乗したのは新品のクルードラゴンだったが、星出飛行士が乗るクルードラゴンは、2020年5月末にアメリカ人の2人の宇宙飛行士が有人試験飛行(DEMO-2)で搭乗した機体(エンデバー号)を再使用する予定。再使用して宇宙飛行のコストを下げることがスペースX社の売りだし、将来私たちが宇宙旅行に行くときもコストはとても大事なポイント。その点でも注目のミッションだ。
宇宙旅行始まる。クルードラゴン宇宙旅行第一号はトム・クルーズ?
野口飛行士は約半年間の滞在の後に帰還。安全性が確認できたら、いよいよ、クルードラゴンを使った宇宙旅行にGOがかかる。ついに、待ちに待った宇宙旅行時代の幕開けだ!その第一便は2021年秋ごろとみられ、搭乗するのは俳優トム・クルーズと映画監督のダグ・リーマン(「オール・ユー・ニード・イズ・キル」や「ボーン」シリーズで知られる)。彼らの宇宙旅行を手掛けるのはAxiom Space社(参照:元NASAプロ集団が進める「宇宙旅行」と「商業宇宙ステーション」)そして世界が注目する宇宙飛行でコマンダーを務めるのは元NASAのベテラン飛行士マイケル・ロペス=アレグリア飛行士。現在はAxiom Space副社長でもある。映画は「ミッション・インポッシブル」ではなさそうだが、リアルISSを舞台にどんなアクションとストーリーが展開されるのか、楽しみだ。
Axiom Spaceは2024年ごろ、ISSにラグジュアリーな内装を施した居住棟をドッキングさせる予定。将来的にはISSから切り離し、単独の宇宙ステーションを構築する計画で、「宇宙ホテル」が実現することになる。その第一歩が今年、トム・クルーズらによって開かれるのだ。
ボーイング社「スターライナー」ISSへ。まずは無人飛行。そして有人飛行へ
クルードラゴンは着々と宇宙飛行士や乗客を宇宙に運ぶ。乗車運賃は未発表だが(2019年のNASA発表では一人当たり5800万ドル≒約60億円)、私たちに手が届く価格を実現するには競合他社、つまりライバルが必要。そのライバルがボーイング社だ。同社の宇宙船スターライナーは2018年末に行った無人飛行で、タイマーの設定が間違っていたという初歩的ミスでISSにドッキングできなかった。問題の洗い出しと対策を終え、2021年3月29日に改めて無人飛行に挑戦。ISSへのドッキングを目指すことがNASAから発表された。その結果次第ではあるが、有人テスト飛行を2021年夏に行うことを目指している。
スターライナーの船内はタッチパネルやモノクロのインテリアに象徴されるクルードラゴンほどスタイリッシュではないかもしれない。航空機メーカーの知見が活かされ、スイッチ類や操縦桿が見える。宇宙服は青。着陸は海上でなく、陸上。それらの違いも含めて機体を選べる自由度が旅行者側にあるのが、何より大事ではないだろうか。もちろん、安全性が最優先される。
月を目指して。アルテミス計画リハーサルが無人で実施
「ピークは高く、すそ野は広く」。宇宙開発には二つの方向があると、野口飛行士から繰り返し聞かされた。地球に近い高度約400kmの「ご近所の宇宙」がどんどん商業利用されて私たちに開かれる一方、人類はより遠くを目指す。直近のターゲットは「月」だ。
米国が中心になって国際協力で月に再び戻り、月にあるとされる水資源を活用して人類の活動基盤を作り、さらに火星へ、と進められているのがアルテミス計画だ。アルテミス計画では月周回軌道に有人基地ゲートウェイを建設することになっているが、昨年末、日本政府とNASAの間で、ゲートウェイに関する了解覚書(MOU)が締結された。日本は新型宇宙船HTV-Xでゲートウェイへ物資補給を行い、宇宙飛行士が滞在する国際居住棟の環境制御、生命維持機器を提供すること等が計画されている。この覚書のもとに進められていくだろう。月有人探査は日本にとっても現実的な目標になったのである。今年末、募集が開始される日本人宇宙飛行士はゲートウェイや月面での活躍が期待される。
その目標に向かって、まずは「アルテミス1」が2021年中の打ち上げを目指す。主役は巨大なロケットSLS(Space Launch System)と、宇宙飛行士が搭乗するオライオン宇宙船。「アルテミス1」では、無人のオライオン宇宙船をSLSに搭載、月の周囲を飛行し地球に帰還するまでをシミュレーションする。月周回飛行が注目に値するのはもちろん、面白いのは13機の超小型衛星探査機が搭載されること。その中には日本の2機のユニークな探査機も含まれる。世界初の超小型深宇宙探査機EQUULEUS(エクレウス)と世界最小で月面着陸を目指すOMOTENASHI(おもてなし)だ。
OMOTENASHIの着地速度は秒速50m、1万Gもの衝撃がかかるハードな着陸となる。着陸というより衝突と呼んだ方がいいかもしれない。探査機は6Uサイズ(11×24×37cm)、13kgと超小型。月面に着陸する表面プローブはわずか0.7kg。着陸の衝撃はエアバッグとクラッシャブル材で吸収、着陸時の衝撃データを地球に送信してミッション終了となる。頑張れ!OMOTENASHI。
なお、月着陸という点では、NASAの商業月面物資輸送サービスCLIPSで米国Astrobotic社のランダーPeregrineが今年打ち上げられ、月に着陸する計画だ。その中には日本のDymon社が開発した小さな月面探査車YAOKIがある。タイヤとカメラを組み合わせたシンプルな構造で幅、奥行きが15cm、高さが10cmと超小型。こちらも注目だ。報道によるとランダーPeregrineにはSF作家アーサー・C・クラークの遺灰が納められたカプセルも搭載され、月面に運ばれるそう。月はいつも地球から眺められる。月面葬はいいアイデアかもしれない。
「宇宙の入り口」への宇宙旅行
クルードラゴンによる宇宙旅行、月への無人飛行。じわじわと、しかし確実に私たちが宇宙に行ける時代が近づいている。冒頭の高橋源一郎さんのラジオ番組でも指摘されたが、私が「宇宙の歩き方」という宇宙旅行ガイドブックを執筆・出版したのは2005年。それから早15年がたってしまった。今年こそ、と言い続けて。
しかし、旅行に何より必要とされるのは安全性だ。遊びに行くのに宇宙飛行士と同じように遺書を書いて飛び立つわけにはいかない。「宇宙の歩き方」出版のために世界中から情報を集めた時は「この会社、本当に宇宙船を開発しているのだろうか」というペーパーカンパニーが多数含まれていたのは事実。そこから技術力や資金力によって淘汰され10年以上生き延びた会社がスペースXであり、ヴァージン・ギャラクティック社である。
スペースXはクルードラゴンによって地球周回有人飛行を成功させた。一方、「宇宙への入り口」=高度約100kmまで往復するサブオービタル宇宙旅行を掲げるヴァージン・ギャラクティックはニューメキシコ州にスペースポート(宇宙港)を建設。2020年末にはスペースポートからの試験飛行を成功させ2021年からの商業運航に弾みをつけようとしたが、計画通りの飛行ができなかった。再度試験飛行を行い、2021年中には同社を創設したリチャード・ブランソンが搭乗することを目指している。
このタイプの宇宙旅行ではアマゾン・ドット・コムのジェフ・ベゾス率いるブルー・オリジンがライバルだ。これまで10回以上の無人飛行に成功していて、1月15日未明(日本時間)には今後の有人宇宙飛行に備え、クルーアラートシステムや環境制御を備えた新しいカプセルを用いた試験飛行(NS-14)で高度105kmに達し、成功。再度の無人飛行のあと、早ければ4月末までに有人飛行試験が行われる可能性がある。ヴァージンの宇宙船スペースシップ2が飛行機のように離着陸するのに対して、ブルーオリジンのニュー・シェパードは垂直に打ち上げられ、有人カプセルはパラシュートで帰還。今年こそ宇宙旅行用チケットが販売されるかもしれない。
宇宙飛行本番前に問題を洗い出すのは大切なこと。ゆっくりとした歩みながら、その時は確実に近づいている。
今回は有人宇宙飛行を中心に紹介した。このほかにも中国が宇宙ステーションを建設するという気になる話題があるし、年末には日本で13年ぶりに宇宙飛行士の募集がスタートする予定だ。惑星探査では今年2月、NASAの火星探査機パーサビアランス(Perseverance)が生命の痕跡を求めて火星に着陸するなど、目が離せないbigイベントが続く。
最後に、野尻抱影さんの本からこんな一節を。
「人は宇宙の神秘を太陽に、月に、そして星に求める。しかし、この脚下で直径1万3千キロメートルの巨大な球が、この刹那にも、果てもない空間を秒速三十キロという猛烈なスピードで走っている事実を、時に瞑想すると慄然とさせられる。ただ、それを実感しないままに、無限運動の球ごろがしの上に日夜安住もし、いがみ合いもしている」
ふだん意識することはないが、私たちは今、この瞬間も地球という船に乗って宇宙を旅している。そして、地球にぶら下がりながら、壮大な宇宙の天体ショーを日々眺めることができる。そう思うと、心と身体がふっと軽くなりませんか?
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