世界初「学歴不問」の宇宙飛行士募集—求められる「光る才能」と覚悟とは
いよいよ、13年ぶりに日本人宇宙飛行士の募集が始まる。本コラムで紹介してきた通り、今回の募集の注目点は「どこまで応募条件が緩和されるか」だった。具体的に言えば、「文系」にも門戸を広げられるか否か。これまでJAXA(NASDA含む)では5回の宇宙飛行士選抜で11人の宇宙飛行士を選んだが、いずれも大学で自然科学系の学問を学び、卒業後に自然科学分野での実務経験が求められてきた。
結果的に日本人宇宙飛行士の学歴では東大卒がトップを占めていることから、頭脳も人格も「スーパーエリート」でなければ宇宙飛行士になれない、という印象を持たれているかもしれない。
だが、「多様性がブレイクスルーをもたらす」と言われる時代だ。応募の時点で文系・理系とふり分けることが果たして正解なのかがJAXA内で議論された。パブリックコメントという形で国民にも意見を求めた結果、2021年度宇宙飛行士候補者募集ではついに「学歴不問、年齢制限なし」など世界に類をみない「ゆるい」条件に。朗報だ!!
その理由について「宇宙飛行士としてリーダーシップやチームワークなどの資質は必須だが、できる限り多様な人々に応募してもらい、『光る才能』をもった人に宇宙開発に参入してほしい」とJAXA宇宙飛行士グループ長の油井亀美也飛行士は語る。
「光る才能」とは具体的に何なのか。どんな資質が求められ、どんな試験が行われるのか。活躍する舞台はどこ?などについて発表資料と会見内容からがっつり紐解いていきたい。
応募資格—中卒でもOK 派遣社員など就業形態は問わない
JAXAが発表した「2021年度 宇宙飛行士候補者募集要項」によると応募条件は2つだけ。
① 2021年度末の時点で3年以上の実務経験を有すること
② 医学的特性を有すること
学歴は問わない。高卒でも中卒でもOK。ただし、第0次選抜で一般教養試験(大学教養課程相当)、理工系分野についてはSTEM※1分野の試験(国家公務員採用総合職試験(大卒程度)相当)をオンラインで受ける必要がある。学歴がどうあれ、勉強してこれらの試験に合格すればいいわけだ。年齢制限もない。LGBTQの方でも障害がある方も応募できる(障害については医学基準(非公開)に合致していればという条件で)。
学歴不問を含めて、これほど条件を緩和した宇宙飛行士募集は「世界初」とJAXA。「選抜でSTEM試験を行うのなら、結局理系の人が採用されるのでは」という質問に対し、「文系出身でもプログラミングなど理系の仕事をしている方もいる。専門分野で間口を閉ざすのはよくない。結果的に同じとは思っていない」とJAXA 有人宇宙技術部門 川崎一義事業推進部長は回答する。
では、3年以上の実務経験にどういう意味があるのだろう。「宇宙飛行士の仕事ではチームワークが重視される。色々な人と協力しないと何かを成し遂げることはできない。社会経験ではチームワークが重視される。同僚、上司、部下と人間関係を構築して一つの目標に向かう。チームとして仕事をした経験が、宇宙飛行士として最も重視されているものの一つなのです」(油井飛行士)
JAXAの宇宙飛行士応募要項についてのFAQでも、実務経験の説明がある。「どのような実務経験でもよいのでしょうか」という質問に対し、分野は問わない、正社員・派遣社員、自営など就業形態は問わないとの回答。「実務から独自に学んだ様々な知識や思考、経験内容をできるだけ詳しくお書き下さい」とある。
つまりは社会人としてどんな経験を積み、そこから何を学んだのかという内容が重視されるということだ。付け焼刃でどうにかなるものではないが、自身の社会人としての経験から何を学び、どんな点で宇宙開発に貢献できるのかという視点で言語化し、整理して伝える必要があるだろう。
活躍の舞台は?日本人で初めて月を歩く可能性も
応募の間口は広がった。だが、実際に採用されるのは若干名。過去最も高い倍率は572倍(野口聡一宇宙飛行士が選ばれた第3回選抜時)だが、さらに高い倍率が予想される。どんな能力が求められるのだろう。その話をするには、今回選ばれる宇宙飛行士の活躍の舞台や、飛行機会をめぐる現状を把握しておかなければならない。
活躍の舞台は大きく3つ。ISS(国際宇宙ステーション)、2020年代半ばに建設が始まる月周回有人拠点ゲートウェイ、そして月面だ。ただし、どの計画も不確定要素を含んでいる。例えばISSは2024年まで運用されるが、それ以降の計画はまだ決まっていない。延長される、計画が終了する、民間に運用が移行するなど様々な可能性がある。
月周回軌道を飛行するステーション・ゲートウェイはどうだろう。日本人のゲートウェイへの搭乗機会については2020年末に日本政府とNASAの間で交わした了解覚書に明記された。つまり日本人は確実に搭乗できるということ。ただしISSの場合は出資額に応じて日本は12.8%の搭乗権を得ているがゲートウェイについてはそのような割り当てが決められておらず、その都度の交渉になるという。「今のところ日本人は複数機会、搭乗できることになっている。ただし飛行時期や何人行けるかについては、ゲートウェイへの補給の回数や搭載する生命維持装置など日本の貢献度合いに応じて、決めていくことになる」(文部科学省研究開発局 宇宙開発利用課 宇宙利用推進室 国分政秀室長)
ただしゲートウェイはISSと異なり、宇宙飛行士が1年365日間、常時滞在するわけではない。国際クルー2~4名が年10日~30日程度滞在する。つまり搭乗の機会は極めて限られる。「狭き門であり、優秀な方に行って頂くことになる」(油井飛行士)
そして、月面に日本人が着陸し活動する可能性は?「もちろんあります」と国分室長。2020年7月に萩生田 (前)文部科学大臣とNASA長官が署名した月探査協力に関する共同宣言(JEDI)に「月面での日本人宇宙飛行士に関する活動機会について詳細を定義する取決めを策定する」と明記された。法的拘束力はないものの、ISSのような法的フレームワークがない中、一定の政治的約束が得られたことは大きな進歩だと国分室長は説明する。「我々の役割として、国際的な約束の中で日本人飛行士の搭乗機会をなるべくたくさん確保していく」と語る。
募集期間は、2021年12月20日(月)から2022年3月4日(金)。その後、書類選抜、第0次~第三次まで約1年かけて選抜が行われ、結果が発表されるのは2023年2月頃。基礎訓練などを受けて実際に飛ぶのは2020年代後半以降。飛行まで7~10年程度待たされる可能性もあるという。月面に初めて着陸する日本人となり、人類の歴史に名前と足跡を刻む栄誉を手にするかもしれない。その一方で、アルテミス計画等の変更で宇宙飛行できない可能性も否定できない。
宇宙飛行士に求められる「光る才能」とは
月面着陸する可能性をふまえた上で、どんな資質能力が必要とされるのか。
多国籍チームの中で多様性を尊重し、協調性やリーダーシップを発揮するなど、宇宙飛行士に求められる資質はこれまでと変わらない。今回新たに追加されたのは、月に行くという稀有な経験や成果を世界中の人々と共有する「表現力」や「発信力」だ。
表現力や発信力をどのように見極めるのか。「バックグラウンドを見ると同時に選抜試験ではプレゼンテーション試験を何回か繰り返す」(JAXA川崎氏)。具体的にはエントリーシートに「自己アピール」という項目がある。「構成は自由、写真や図表の添付も可」とある。また、第一次~第三次試験でそれぞれプレゼンテーション試験が行われる。表現力や発信力に対するJAXAの大きな期待が読み取れる。
そもそも月探査ミッションは、約20年にわたって滞在経験が蓄積されたISSへ行くよりもタフな宇宙飛行になるはずだ。その点を油井飛行士に聞いた。
「ISSではほぼ常時、地球と通信ができるし、何かあればすぐに地球に帰ることができる。滞在している宇宙飛行士の人数も多く、地上でも宇宙でも助けてもらえる。一方、月に行くとすぐに地球に帰ることができないし、通信がどれだけ確保できるかも決まっていない。宇宙飛行士の人数も少ないので、(ISS滞在より)さらに多くの作業をこなすマルチタスク能力が求められる。ポテンシャルが高くないといけない。通信が途絶えることは精神的にプレッシャーになります。その状況でも適切に判断、行動して通信が回復したときに冷静に報告する。地球から遠く離れた中でもチームワークをしっかり保てること。ISSより厳しい条件になるでしょう」。 宇宙飛行士の中でも高い能力をもつTop of the Topが月探査ミッションに参加できるというわけだ。だからこそ、応募者を最初の段階で制限せず、広く募集することで優秀な人材を得たいということなのだろう。
もう一つ気になるのは女性枠。今、現役の日本人飛行士に女性はいない。過去2回の宇宙飛行士選抜で女性の応募者は全体の約1割。「3割に引き上げたい」という目標を掲げた。ただし選抜枠が若干名であることから女性枠は設けなかった。JAXAは女性応募者を応援するキャンペーンを展開するそうだ。
女性に期待することを油井飛行士に尋ねた。「個人的意見としては女性のほうがコミュニケーション能力が高いと思う。妻を見ていてもすぐに友達を作り、相手のいいところを見つけて和ませ、チームをまとめていく。宇宙飛行士は才能があって能力が高い人ばかり。あまりにも自分に自信がありすぎると『俺についてこい』みたいな形になってしまう。男性のすべてがそうではないですが(笑)、そういうリーダーシップスタイルは向かない。女性の活躍する場所が宇宙にはたくさんある」と期待を語る。
月探査への期待と課題
最近のNASAの発表によると、月面着陸が2024年から2025年に1年延期された。ゲートウェイの建設スケジュールに影響はないそうだが、今後も延期や変更は大いにありうるだろう。
油井飛行士が宇宙飛行士候補者に選ばれた2009年、NASAは有人月探査を目指す「コンステレーション計画」を進めており、NASAの基礎訓練では月に行った宇宙飛行士や彼らを送り込んだ地質学者らに授業を受けた。「このクラスから月に立つ人が出る!」と言われ盛り上がっていたさ中に、計画のキャンセルが告げられたという。がっかりしたが、同級生たちは「この知識を使う機会がきっとある」と気持ちを切り替えたという。
そして今、月有人計画が現実になった。「月面に日本人で初めて立つことも想定される。地球が丸く見える魅力的なミッション。私自身が月面に立って、人類が活動を広げる意味を情報発信したいという気持ちもあるが、人間は自分だけでできることは少ない。次の世代に伝えることも必要」と語る油井飛行士は、2015年にISSに142日間長期滞在したが、次の飛行はまだ決まっていない。
「宇宙飛行士の生活とは、いつ飛べるかわからない中、モチベーションを維持しながらストイックに訓練するもの。だが選ばれる時期は必ず来る。その時に備えて自己管理しながら努力することが求められる。自分を高めることに喜びを感じて欲しい」と。長い期間にわたる地道な鍛錬の日々の上に、晴れ舞台がようやく訪れる。その覚悟も問われることになる。
現実的に考えると、ゲートウェイへの搭乗は年1回、国際クルー2~4人しか滞在できない。ISSが2024年に計画終了した場合、宇宙に飛べる人数は現在よりかなり少なくなる可能性が高い一方、世界の宇宙機関では新しく宇宙飛行士を選抜している。日本は5年に1回宇宙飛行士を募集する計画だが、宇宙飛行機会をどのように確保していくのか。民間宇宙開発が進む中、民間の宇宙船で日本人が飛ぶ際に、日本人ガイドが必要になるかもしれない。柔軟な考え方で日本人飛行士の飛行機会を捉えていきたいと油井飛行士らは考えているようだ。
「もっと早く、もっと高く、もっと遠くへ」それは人間の本能だと油井飛行士は語る。より遠くの宇宙を目指すだけでなく、人間の能力にも限りがない。「飛行士選抜試験を通して可能性の限界にチャレンジし、素晴らしい友人を得た」(油井さん)。月に降り立ち、漆黒の宇宙に浮かぶ丸い地球を目にする。その可能性がわずかでもあるならば、挑戦する価値は大いにあるだろう。採用説明会(欄外リンク参照)は12月1日(水)に予定されている。
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STEM:Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)の略
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