「困難は技術を飛躍させる」—H3ロケット、2022年度打ち上げへ正念場
「Space is Hard(宇宙は厳しい)」。宇宙飛行士や宇宙関係者の間でしばしば聞かれる言葉だ。その最たるものの一つがロケット開発。9月頭、月を目指し打ち上げが予定されたNASA「アルテミス1」ミッションもSLSロケット第一段エンジンの燃料漏れで延期になった。ロケット開発の中で最も難しいと言われるのがエンジン開発だ。日本の新型ロケットH3もエンジン開発に時間がかかり、打ち上げが当初予定の2020年度から2年延期されている。
エンジン開発は故障と格闘の連続
「ロケットを人間に例えると、エンジンはそのエネルギーを生み出す心臓と言える。エンジンはマイナス200℃程度の極低温の液体酸素と液体水素を1秒間にドラム缶約5本分吸い込み、約3000℃の高温ガスへと燃焼させてそれを超音速で噴射し、ロケットが宇宙に到達するために必要な推進力を生み出す。このため内部は極低温と極高温が存在し、超高圧、過酷な振動が負荷される」「エンジン開発は故障との格闘の連続であり、エンジンの燃焼試験はロケット開発の中で最も困難と言われる」。これはJAXA H3ロケットウェブサイトのトピックス「LE-9エンジン燃焼試験」(2020年5月25日)に書かれていた文章である。
マイナス約200℃の極低温と3000度もの超高温が隣り合い、極高速で燃焼ガスを噴き出すという「極限環境」。「ロケットは非常に複雑な物理現象の複合的な作用の中で作動している。(だからこそ)物理現象をこの目で確かめた上で取り組むべき」。H3ロケット開発を率いるプロジェクトマネージャ岡田匡史さんはそう語る。
H3ロケットの第一段エンジン開発はまさに故障との格闘の連続だった。2020年5月、第一段エンジン(LE-9)燃焼試験で燃焼室内の壁に14か所の穴があいたこと、燃料である液体水素を燃焼室に送るターボポンプの羽に亀裂(ひびのようなもの)を確認。その結果同年9月、2020年度に予定されていた初号機の打ち上げを2021年度に延期することを発表した。
その後、燃焼室の穴については対応策を確立し、問題は解決した。その一方、ターボポンプの羽については、設計変更で改善されたものの、新たな問題が浮上した。それが液体水素ターボポンプと液体酸素ターボポンプで起こる、異なるタイプの「振動」だった。H3プロジェクトチームは確実な打ち上げを行うために対応が必要と判断し、打ち上げをさらに延期することを2022年1月に発表した。
一つの問題を解決すれば、新たな問題が浮上する。「技術は厳格で正直であいまいなことは許されない。(中略)目の前に立ちはだかる技術の壁には正面から向き合うしかありません。納得のゆく対応をして、一点の曇りもなくH3ロケットを仕上げることが私たちの使命」(H3ロケットウェブサイト トピックス「H3開発計画見直しにあたって」(2020年10月29日より)。岡田プロマネの悔しさと決意が文章からにじみ出ている。技術の壁に向き合うために、タービンの回転部にひずみセンサをとりつけ、「タービン内の振動状態が手に取るようにわかる」翼振動試験を新たに導入。徹底的に壁と対峙し続けた。
「複数の矢」を同時に走らせて振動問題を解決
2022年9月1日に行われたH3ロケットの記者説明会では「(2つのターボポンプの)振動問題は解決した」と岡田プロマネは語り、JAXAは「H3ロケット試験機1号機の2022年度内の打ち上げをめざす」と明言した。
2022年1月に2度目の延期を発表した際には、岡田プロマネは新たな打ち上げ時期について語らなかった。その後、どんな対応策をとることによって、問題を解決したのか。そこには「型破り」とも言えるH3プロジェクトチームの取り組みがあった。
例えば複数の案を並行して設計・開発を走らせたこと。「どういう策があるかを考えた時に一本道ではいけない。いくつかの設計を同時に走らせながら一つずつ確かめていこうと考えた」(岡田プロマネ)。つまり一つ試験をやってみて「だめだった」場合、それから次の案を考えるのでは時間がかかりすぎる(ターボポンプの設計にはスーパーコンピューターを駆使して数十日、製造にはさらに約1か月を要するそう)。そこで考えうる複数の案を同時並行で開発、試験を行っていくことによって時間を短縮することにしたのだ。
具体的には従来設計のターボポンプに最小限の変更を施したものから、思い切った設計変更を施したもの(「0の矢」~「3の矢」と呼んだ)まで液体酸素ターボポンプ、液体水素ターボポンプそれぞれに4種類の「矢」の設計・製造を順次実施。準備ができ次第、試験を行った。パラレルに複数チームがこれほど大々的に設計・製造を走らせるのは「過去に例がなく、思い切った決断だった」と岡田プロマネは語る。
複数の「矢」を同時並行で進めるには、人手が必要だ。そこで複数の設計チームを編成するとともに、企業の垣根を超えた「ターボポンプ開発推進室」を設置した。IHI、MHI(三菱重工)、JAXAのマネージャクラスが同じ部屋に集い、試験結果を受けて技術的な決断を迅速に行う。その決断に基づいて各社が即座にアクションをとる。さらに「ターボポンプを開発するIHIは不夜城のごとく、クルーが昼夜問わず組み立てを行った」(岡田プロマネ)
複数の矢、組織の垣根を超えたチームの設置、不夜城のごとく組み立てを行う実働部隊。これらが功を奏し、2022年3~6月の間に8回(1821.6秒)もの試験を実施。その結果、液体水素ターボポンプについては「0の矢」を、液体酸素ターボポンプについては「1の矢」を試験機1号機に搭載することが決定。メインエンジン開発は大きな山場を越えた。
ようやくスタート地点。待ち受ける「険しい山」とは
山場を超えながらも岡田プロマネは「ようやくスタート地点に立った」と表現。「これから険しい山を登っていく。関係者一同、これからが本当の勝負だというつもりで臨んでいきたい」と語った。
岡田プロマネがいう「険しい山」とはなにか?その答えは「CFT(実機型タンクステージ燃焼試験)」だという。「CFTでは実際にLE-9エンジン2基と燃料タンクを搭載して、発射台で燃焼させます」「タンク圧力を高めるために加圧し、打ち上げさながらのオペレーションをする。カウントダウンを通してエンジンが予定通り着火して、あらかじめ組み込まれたプログラム通りにロケット全体が動作するのか。燃料タンクとエンジンの総合的な確認になるので、非常に確認範囲が広い相当規模の試験になる。ここをいかに乗り越えるかが山場だと思っています」(岡田プロマネ)。
以前の記事で書いた通り、岡田プロマネは1989年にNASDA(現JAXA)入社。当時開発の最終段階だったH-IIロケット第一段LE-7エンジンの燃焼試験を行うテストエンジニアとして開発に携わる。燃焼試験でエンジンが爆発・落下するという厳しいトラブルも経験している。「LE-7エンジンと異なり、LE-9エンジンは大きな爆発をしないのがいいところ。当時と比べるとシミュレーションなど試験の技術が格段に進んでいる。一方でロケット開発黎明期のエンジニアリングセンスや様々な経験がない中で取り組むメンバーが多い。その難しさを技術の継承の中で感じている」。
難しさを語る岡田さんに、ロケット開発の醍醐味を聞いた。「困難にさしかかるとエンジニアは燃える。『何とかしないといけない』と。みんながそういう動きをしている。乗り越えて、成功させることが重要と思って頑張っています」
試験機1号機から衛星を搭載
H3ロケットにはいくつもの「売り」をアピールしている。本体価格をH-IIAから半減(約50億円)にする「低コスト」、高い打ち上げ成功率と時間通りに打ち上げる(オンタイム打ち上げ)「信頼性」。さらに注文を受けてから打ち上げまでにかかる準備期間を1年に半減し、打ち上げ間隔を1か月にするという「柔軟性」。
宇宙基本計画工程表によると、今後、H3ロケットが宇宙に運ぶ予定の地球観測衛星、新型宇宙ステーション補給機HTV-X、火星衛星探査機MMXなど重要かつ注目ミッションが目白押しだ。過去のロケットでは運用開始後にエンジンのトラブルで打ち上げが失敗したことがあった。そんなことがないように、「1点の曇りもなくH3ロケットを仕上げる」ことを大命題として掲げている。険しい山を乗り越えた先に、試験機1号機が打ち上げるのはダミー衛星ではなく、先進光学衛星「だいち3号」(ALOS-3)。責任重大だ。
まず、注目は11月頃に予定されるCFT。トラブルに直面しても決してへこたれず、リフトオフ目指して成長するエンジニアの活躍にも期待したい。
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