SLIM月着陸ミッションを成功させたい!—三菱電機プロマネに聞く「軽量化」へのチャレンジ
小型月着陸実証機SLIMは、様々な点で常識破りのミッションだ。今まで旧ソ連、米国、中国が月面着陸に成功しているものの、その着陸精度は数km~十数km。誤差100m以内の狙った場所に「ピンポイントで」着陸した例は世界でまだない。SLIMはピンポイント着陸を、かつてないほど「小型・軽量」の探査機で実現しようとする。小型軽量の探査機だから、冗長系をもたない。なにより見た目が従来の月着陸機とは全く違う。着陸のための長い脚(着陸脚)をもたず、丸い脚が5つ。そしてあえて倒れ込むように着陸する。
三菱電機はこの常識破りの月着陸機SLIMのシステム開発及び製造を担当。三菱電機SLIMプロジェクトマネージャ小倉祐一氏は、苦労した点について「探査機という分野に取り組むのが初めてだったこと」と明かす。
同社がこれまで多く手がけてきたのは、地球観測衛星や測位衛星など地球を周回する人工衛星。ISS(国際宇宙ステーション)に物資を届ける宇宙ステーション補給船「こうのとり(HTV)」の頭脳部分である電気モジュール開発も担当したが、地球上空3万6千kmを超えた先の探査機はSLIMが初めてのことになる。「従来の常識では通用しないことが多々あった」と小倉プロマネは言う。
例えば質量。SLIMは探査機本体をなるべく軽量化することを目標に掲げる。本体を軽くすればその分、観測装置を搭載できるし、ロケットに搭載する際の運搬費も低コストに抑えられる。将来の月惑星探査を頻度高く行うことにつながるのだ。
「SLIMの本体質量は約200kg(燃料を搭載しない時)、燃料を搭載しても700kg強。これは通常我々が手がけている周回衛星の質量の約3分の1~4分の1で、かなり軽量です。軽量化を達成するために、かなりチャレンジングな設計になっています」。
小倉プロマネがチャレンジングな設計として例にあげたのは2点。1つは推進剤を入れるタンク。推進剤は燃料と酸化剤からなり、ロケットなどの宇宙機では宇宙機のBODY(構造体)の中に、燃料と酸化剤それぞれのタンクを入れることが多い。ところがSLIMでは、JAXAが新しく開発したタンクを採用し、燃料と酸化剤を一つのタンクに入れた上で、タンクが探査機のBODYを兼ねる。つまり推進剤タンクがむき出し!ざっくり言えばタンクの外側に様々な機器をとりつけている。
もう一点は、冗長系をもたないこと。「通常の衛星は主系と従系という冗長性を組んで、主系が壊れても従系がカバーして機能させるのですが、SLIMは基本的にすべて主系のみ。どこかの機器が万が一故障しても、なんとかするための工夫がされています。この点は他の衛星にはない、ユニークな点だと思います」
例えば、と小倉プロマネが説明したのがヒーター制御。月に向かう飛行中、温度が下がって機器が冷えすぎてしまうと故障に至る。そこで探査機内にはヒーターが随所にあり、保温をする。そのヒーターも片系しかない。「あるエリアのヒーターが壊れると、周りのエリアのヒーターを駆動させることで、機器が故障しないような工夫がなされている」。
さらにヒーターには、省エネ・軽量化の工夫もされている。それが「ピークパワー制御」だ。「通常の衛星では様々な箇所にヒーターが張られていて、ヒーターをオンオフすることで設定温度内に常に入るように設計します。その結果、ヒーター全体で必要なワット数が計算され、太陽電池パネルがそのワット数を発電するよう設計する。太陽光が当たらないときに必要となるバッテリーが増え、重くなりがちです。そこで、ヒーターの上限をあらかじめ決めておき、その範囲におさまるように熱制御する。具体的にはヒーターで制御するエリアをいくつかに分割し、何秒か周期で一番温度が低そうなエリアを優先的にヒーター制御するんです。この方式によって全体のワット数を抑えて太陽電池パネルを小さくし、バッテリーを減らすことができ、軽量化につながっています」。
小型軽量のSLIMには、様々なアイデアや技術がぎゅうぎゅうに詰め込まれているのだ。
成功の定義は3段階
過去の多数の月探査機の実績によって、人類は今、月面上の数十cmオーダーの分解能の地図を手にしている。その地図を見ながら「あのクレーターにある、あの岩石を調べたい」「水資源探査のために極域のここに着陸したい」と狙う時代。人類が月に住むようになれば、基地に安全に物資を届けるために、高精度着陸は必須となるだろう。そんな時代を見越し、SLIMは世界初のピンポイント着陸成功を目指す。着陸成功の定義は3段階だ。
「ミニマムサクセス」は軽量な探査機システムの軌道上動作確認を行うことと、高精度着陸に必須の光学照合航法を月着陸降下中に検証すること。
「フルサクセス」は精度100mの高精度着陸を達成すること。
「エクストラサクセス」は高精度着陸後、月の日没までの一定期間、月面で活動すること。
月のように重力がある天体に着陸するのは難易度が高い。そして日本の探査機はまだ月着陸に成功していない。ピンポイント着陸を目標に掲げつつ、まずは着陸するだけでも「ミニマムサクセス」とし、万が一機器が故障してもなんとか月着陸を目指す。
着陸には前回の記事で紹介したとおり、画像航法を用いて狙った場所に誘導していく。誘導制御アルゴリズムはJAXAから支給されたが、それだけでピンポイント着陸ができるわけではない。様々なセンサを組み合わせて、実際にそれらがSLIMで動作するようにソフトウェアを設計し、実際のセンサを繋いで試験を行っていく作業を三菱電機が担当した(詳しくは前回の記事を)。
月上空約15kmから降下スタート、着陸まで約20~30分。そのうち高度7kmから垂直降下を始めたら約5分後に着陸。あっという間だ。着陸目的地は月の表側の赤道近く。「神酒の海」近くのSHIOLIクレーター近傍(南緯13.3度、東経25.2度)で、15度程度の斜面がある地域だ。斜面への着陸を想定したSLIMは着陸直前に前傾姿勢をとり、5本の脚のうちまず主脚が接地、その後に他の脚が接地する「2段階着陸方式」をとる。
懸念されるのは大きな岩だ。「SLIMは着陸用の脚が小さいので、大きな岩があると探査機自身にぶつかってしまう。極力、(岩のない)平らなところに降りたい。3つの着陸脚のうち1つが岩に乗り上げてしまうと機体が安定しないので、15cm以上の岩があるとよけなさいと判断するんです」(小倉プロマネ)。SLIMは50m上空で障害物を検知。15cmの岩があったらよける判断を自分で行い、横移動する。
着地の際、避けたいのはSLIM探査機がひっくり返ること。太陽電池パネルが地面を向いてしまうと発電できなくなる。だから、あえて斜面に倒れ込むように着陸させる。着陸の状況は着陸直前に分離される2つのロボット(LEV-1,LEV-2)のカメラで撮影される予定だ。
打ち上げから約4~6か月後。SHIOLIクレーター近くへのピンポイント着陸に成功したら、SLIM探査機はさっそく科学活動を開始する。ここには月マントルから出てきたと推定される「かんらん石」がある。SLIMの分光カメラで観測。成分を分析し、地球の成分と比べることで、月の起源が地球に由来するのかそうでないのか、重要な知見が得られるはずだ。この観測までできれば、「エクストラサクセス」となる。
自分で障害物をよけ、目的地に着陸する賢い探査機SLIM。緊急時には地上からコマンドを送ることは可能だろうか? 地上からモニターし、『変だな』と判断したときなどはコマンドを送信できるそうだ。例えば着陸直前に2つのロボットを分離する際、多少探査機の状態がおかしくても分離したい。つまり「探査機に仕込んだのと異なることをやらせたい場合には、地上から指令を送ることができる」そう。
「なんとかしてくれ」とプロマネに。
小倉さんがSLIMプロマネになったのは2022年の11月。2021年末にSLIMシステム試験が始まったが、その時点でスケジュールが約40日間遅れていた。遅れを「なんとか挽回してほしい」と依頼を受けサブマネージャとしてプロジェクトに入り、その後プロマネになったという。「それまでは観測衛星でシステム設計を担当していた。ずっと機械系のエンジニアだったのでプロマネという役職自体、初めて。自分の専門だけでなく、全部を深く理解する必要があり勉強になった」(小倉プロマネ)
40日間の遅れは試験の項目を見直し、並行作業の実施やシフトを見直すことなどでなんとか取り戻した。
三菱電機鎌倉製作所では、SLIMを構成するすべての機器類を組み立て、試験を実施した。打ち上げ時の振動などの環境、宇宙空間を飛行中の熱環境は真空チャンバを使って再現試験を実施。その他にも推進系の試験、そして最終電気試験(JAXA宇宙科学研究所でも一部の電気試験を実施)。電気試験では航法カメラの機能確認や、着陸レーダーを実際に放射して距離を測る機能に問題ないかも確認した。
いよいよ打ち上げが8月以降に迫ってきた。小倉プロマネに意気込みを聞いた。「三菱電機としては初めての分野の探査機です。これまで取り組んできた地球周回衛星以外の分野にもビジネスとして広げていける足がかりになれば。月は今、注目されていて次の月着陸機の検討も始まっています。まずはSLIMを成功させ、将来につなげていきたい。我々のエンジニアは経験豊富で、やるべきことはやりつくした。成功できると信じています」
- ※
本文中における会社名、商標名は、各社の商標または登録商標です。