「転ぶ前に倒れ込め」世界初のピンポイント月着陸狙うSLIM、5つの常識破り
約20年もの間、日本で検討されてきた月着陸機が、いよいよ飛翔の日を迎えようとしている。その形も着陸方式も、当初考えられていたのとは全く異なるユニークな月着陸機が実現した。それが小型月着陸実証機SLIMだ。SLIMの最大の売りは精度100mで降りたい場所を狙って降りる「ピンポイント着陸」。これまで世界で達成されてきた月着陸は精度数km~数10km。「降りやすい安全な場所」に降りていたからだ。一方、SLIMは「降りたい場所」に降りる。つまり、まだ世界で誰も達成していない難易度の高い月着陸を目指す。しかも軽量・小型の「スリムな」機体で。
だからこそ、その小さな機体に「常識破り」がぎっしり詰まっている。どこに、どんな常識破りがあるのか見ていこう。
「その1」これが月着陸機?脚はどこ?
まずはその「形状」。月着陸機と言えば、長い着陸脚をもったアポロ宇宙船を思い浮かべる方は多いだろう。ところがSLIMに長い脚はない。よく見ると、SLIMの太陽電池が張られている側と反対側の面に5つの半球状の突起がある。これが「着陸脚」だという。アポロ宇宙船のように関節をもった着陸脚で安定して着陸するには脚を広げる必要がある。そうなると構造や機構が複雑になり、重くなる。そこでSLIMの着陸脚は半球状の金属が潰れることで着陸時のエネルギーを吸収する方式を採用。製造は3Dプリンタを活用した。
実は2016年、SLIMがJAXAのプロジェクトになった頃は、細長い着陸脚が考えられていた。当時はH-IIAより小型のイプシロンロケットで打ち上げられる予定で、探査機を覆うフェアリングの形状の制約から、SLIMは縦長の探査機として検討されていた。
「その2」 腹ばいで斜面に倒れ込む「二段階着陸方式」
なぜ、関節方式の脚でなく、5つの丸っこい脚になったのか。それはユニークな着陸方式と切り離せない。SLIMが今回着陸するのは、神酒の海にあるSHIOLIクレーター近傍の15度の斜面。15度はスキーの中級者コースの斜面に近いという。斜面に着陸する理由は、そこに観測したい岩があるから。月内部のマントルから出てきたであろう「カンラン石」だ。月周回衛星「かぐや」の観測データから、SHIOLIの放出物にカンラン石が多く含まれていることがわかっている。その貴重な岩をSLIMの分光カメラで観測することで、月の起源に関する重要な手がかりを得たいと科学者達は考えた。
問題は、斜面にどうやって安全に着陸するか。しかも小型の着陸機で。斜面に4本脚で降りれば転倒のリスクがある。そのリスクをどうしたら回避できるか。エンジニアチームは、「あえて倒れ込むように着陸させれば」という常識破りの着陸方式を思いつく。延べ10万回以上ものシミュレーションを繰り返した結果、着陸直前に機体を傾けて、最初に1本の主脚が接地、その後、斜面に沿って倒れ込むようにして残りの脚を接地させるという「二段階着陸方式」の詳細が固められていった。(このあたりの話は「月着陸実証機SLIMにまつわる裏話~SLIMはこうして一本足になった~【オンライン特別公開2021 #15】」に詳しいので興味ある方はぜひ:欄外リンク参照)
世界で誰も試したことがない二段階着陸方式。2016年のSLIMプロジェクト発足時には生まれてなかったアイデアがどんな経緯で生まれたのか。記者会見でJAXAのSLIMプロジェクトマネージャ坂井真一郎さんに聞いた。「ある時、SLIMの質量が増えることになり、それまで搭載できれば搭載するとされていた分光カメラの搭載が確定した。着陸地点を精密に検討した結果、15度の斜面があるクレーターに決まったのです。小型の機体で斜面にどう安全に降りるか検討した結果、二段階着陸方式を採用した」とのこと。
質量が増えたタイミングとは2018年、SLIMを搭載するロケットがイプシロンからH-IIAに変更になった時と考えられる。質量は推進薬を除いて打ち上げ時で130kg→200kgと70kg増えた。それでもSLIMが超軽量な月着陸機であることは変わりない。参考までに8月23日に月着陸に成功した、インドのチャンドラヤーン3号は探査ローバーを含めて約1750kgもある。
「その3」 クレーターの地図と賢い頭脳で「ピンポイント着陸」
「あのクレーターにあるあの石を調べたい」。新しい月探査時代に求められるのは、このようにターゲットが明確な探査だ。これまでの月着陸機のほとんどは確実性を重視し、月面の「海」と呼ばれる平坦な場所に着陸させていたが、科学者が調べたいのは岩場や斜面、極域のクレーターの影にあるとされる水など。着陸が困難な場所ばかりなのだ。SLIMがピンポイント着陸に成功できれば、月探査は新しい局面を迎えることになる。
だが、月には測位衛星が飛んでいないのでカーナビは使えない。どうやって自分の位置を精密に知るのか。地上でも知らない場所に行くには地図が手がかりになる。月面上にはクレーターや海、山など自然の地形はあるが建物はない。そこで、SLIMはクレーターの地図を搭載している。飛行中、SLIMはカメラで月表面を撮影。コンピュータが画像からクレーターを抽出し、搭載されたクレーターの地図と照合することで「このクレーターのパターンが見えるのは月面上のここだ」と位置を特定する。作業にかかる時間は1~2秒。こうして精密に自分の位置を特定していく(詳しくは過去の記事をぜひ)。
「その4」全開アクセルと急ブレーキの豪快運転
8月末時点の情報では、SLIMは打ち上げ後3~4か月かけて月周回軌道に到着、約1か月間、月の周回軌道を回ったあと、月着陸に挑戦する計画だ。現在のところ、SLIMの月着陸は2024年1~2月に予定されている。降下が始まってから着陸まではあっという間だ。「時速100~200kmで走る車が、駐車場の狙った場所にピタッと止める技術が必要」と坂井プロマネは語った。ISASニュースには「全開アクセル or 急ブレーキのみを用いた豪快な運転で、目標一点にピタリと駐車するイメージ」とある。月には重力がある。やり直しができない一発勝負。
もっとも緊張するのが高度約7kmからの垂直降下だ。着陸まで約5分。降下スタート直後のスピードは時速約200km。そこから逆噴射して徐々に減速していく。高度50m付近で月面の画像を撮り、15cm以上の岩があれば水平移動して避ける。横方向に約100mは移動可能だ。高度約3mでメインエンジンを切る。姿勢を前傾させ着陸!
「その5」 月着陸直前に放出される2つのロボット
月着陸は無事に行われたのか。世界初のピンポイント月着陸は成功したのか。最も気になるのはその点だ。SLIMミッション最大のハイライトを月面で見守る2機のロボットがいる。それが小型ロボLEV-1、LEV-2だ。
SLIMが着陸に向け自由落下中、高度1.8m付近から分離し、月面に落下させる。2機のロボットはそれぞれに2台の広角カメラをもち、SLIM探査機やその周辺の様子を撮影。LEV-1経由で地上に送信する。どちらのロボットも良質な画像を自分で選び送信する。
LEV-2はタカラトミー、同志社大学、ソニーグループが共同研究した変形型月面ロボットで愛称「SORA-Q」。変形前の大きさは直径わずか8cm。HAKUTO-Rミッション1の着陸機にも搭載されていた。今度こそ、小さなボディで月面を走り撮影したデータを地上に送って欲しい。
X線天文衛星クリズムと一緒に宇宙へ
H-IIAロケット47号機に搭載されるのは、SLIMとX線撮像分光衛星XRISM(クリズム)。クリズムは2016年に打ち上げられたものの短期間で運用を終了した「ひとみ」のミッションを引き継いでいる。「銀河団がどのようにできて、現在の姿になったか。元素がどこでつくられ、どのように宇宙に散らばり再び集まるのか。それらを明らかにすることが、XRISMの大きなテーマ」だとXRISM研究主宰者の田代信さんは語っている。
打ち上げロケットH-IIAは2001年の初打ち上げ以来46回成功、高い成功率を誇る。2023年3月に打ち上げられ、第2段エンジンで過電流が生じて失敗に終わったH3ロケット試験機1号機は原因究明中だが、H3ロケットの第2段エンジンとH-IIAロケット第2段エンジンに共通する部品があった。それらの部品についてリード線の絶縁を強化したり検査を追加したりなど対策を実施した上で、H-IIAロケットは打ち上げに挑む。
今度こそ成功しますように。関係者はもちろん、日本中が祈る思いでその日を迎えようとしている。
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