突飛なアイデア「2段階着陸」をどう形にしたのか?月着陸機SLIMの知られざる挑戦
2023年9月7日に地球から飛び立ち、月に向けて順調に飛行を続ける小型月着陸実証機SLIM。年明けには世界初のピンポイント着陸に挑む。三菱電機でSLIMに携わった担当者に話を聞くと、SLIMの小さなボディが想像以上の「チャレンジの塊」であることがわかってきた。3人のキーパーソンに話を聞いた。
- —SLIMでどんな仕事を担当されていますか?
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芝崎裕介(以下、芝崎):
SLIM全体のシステム設計と運用等を担当し、誘導制御部を中心に全体を幅広く見ています。2015年11月ごろのSLIM技術提案時から約8年間、携わっています。
- —芝崎さんは「SLIMシステム設計のキーマン」と伺っています。田中さんお願いします。
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田中悠太郎(以下、田中):
担当は推進系です。SLIMを月に運ぶためのメインエンジンや姿勢制御用スラスタ、推進薬タンクなどをつなぎ合わせて、月着陸まで性能が発揮できるように設計・運用を行っています。
- —「推進系の若きエース」と伺いました。では平瀬さん。
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平瀬貴志(以下、平瀬):
営業としてJAXAさんとの契約や対外調整を担当しています。私は2016年、SLIMを受注した直後に入社し、最初は鎌倉製作所で見積もり作成や損益管理をしていましたが、2019年に本社に移り、引き続きSLIMの契約を担当しています。
- —JAXAとの「SLIM契約のキーマン」なんですね。さて、SLIMは今どんな状況でしょう?
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芝崎:
順調です。10月4日に月の引力を使って軌道を変更し、現在(10月末)は地球から遠く離れて飛行しているところです。
「難しくてできない」社内からの強い抵抗
- —順調で何よりです。改めて開発をふり返って大変だったことを聞かせて下さい。
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芝崎:
数えきれないほど多くの苦労がありましたが、受注後の立ち上げが大変でした。
- —三菱電機がJAXAからSLIMの開発業者として選定されたのは、2015年11月頃だそうですね。
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芝崎:
はい。我々は静止軌道までの衛星開発や従来技術をベースにした改良は得意でしたが、それ以遠の探査機開発は経験がなく、新しいものをゼロから作り出すことも得意ではありませんでした。SLIMには、新しい技術がたくさん詰まっています。受注後に社内で開発を進め始めたとき、「内容を理解できない」「何から手をつけていいのかわからない」という強い抵抗があり苦労しました。
- —どうされましたか?
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芝崎:
物づくりを始めるときには、技術提案時より広いメンバーが関わってきますが、今回は助走期間として、少数メンバーで初期設計を先導しました。
- —まずは少人数で検討を進めていった?
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芝崎:
はい。特に社内で抵抗のあった先進的な研究内容や機器は、JAXAさんから当社に提供され、機体に取り込む計画でした。例えば月の狙った場所に着陸するための誘導アルゴリズムはJAXA+大学研究者の方々で共同開発された、非常に難解なものです。ですがその原理や特性をきちんと理解していないと、機体への取り込み方がわからず全体として仕上げることはできません。そこで細かいレベルまでJAXAさんや研究者の方々と議論し、理解を深めました。当社が対応できる形まで設計を進め具体化すると、「できるかもしれない」と思うメンバーが増えてきました。
- —支給される研究内容や機器をブラックボックスのままにしないってことですね?
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芝崎:
そうですね。そのうち「新しいことに挑戦したい」という若手も巻き込んで、プロジェクトを本格的に動かし始められるようになりました。この経験を通して、できない理由でなく「どうしたらできるか」を考える習慣が身に付きました。また新しいものを創り出す過程を通して社内関係者も、従来の減点主義でなく、加点主義の大切さを実感する経験ができたと思います。
常識にとらわれない運用で乗り切る—推進系
- —SLIMを通して社内の文化が変わっていったんですね。田中さんは何が大変でしたか?
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田中:
推進系は、推進薬(燃料+酸化剤)を貯蔵するタンク、軌道変更や月着陸時の減速などに使われるメインエンジン、姿勢制御を行うスラスタなどから構成されますが、それぞれ製造メーカーが異なります。当社では機器本来の性能を発揮できるように、配管やバルブなどでつなぎ合わせて組み立てる「インテグレーション設計」を行いました。
- —機器類を単純につなぐだけでは全体で性能が発揮できるわけではない?
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田中:
はい。推進系は燃料と酸化剤を適切な割合等で混ぜ合わせる必要があります。そのためには推進薬を一定の圧力でタンクから押し出すのが望ましいのですが、SLIMは軽量化のため、そのための機器をとりつけられなかった。打ち上げから月着陸までタンクの圧力が時々刻々と変わる中で、エンジンやスラスタに送る推進薬の圧力を一定の範囲に保つよう、配管やバルブを設計するのが大変でした。そこで過去の常識にとらわれない方法を採用しました。
- —どんな方法ですか?
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田中:
圧力に関係するのが「抵抗」です。例えば水道管を水が流れるとき、水道管との摩擦が抵抗となり、水の流れは下流に行くほど遅くなる(圧力が下がる)。この抵抗を活用することにしました。例えばロケットから探査機が分離した直後は、メインエンジンの圧力が高くなりすぎないようにメインエンジンと同時に、姿勢制御に使うスラスタも使用する。推進薬の流れる量が多いほど抵抗が大きくなるので、スラスタをすべて噴射させることで抵抗を増やしたんです。一方、月着陸が近くなるとメインエンジンの圧力を上げる必要がある。そこで本来はトラブルがあった際に使う冗長系のバルブを開き、流れる量を分散させ、抵抗を減らすことで圧力をあげました。このように、運用上の工夫を場面ごとに考案しました。
- —本来の用途とは異なる使い方をした?
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田中:
はい。従来の考え方では達成できない目標だったため、常識にとらわれない発想が必要でした。
- —推進系というとエンジンやタンクが目立ちますが、配管やバルブなどをどう使うかでも性能が変わってくるんですね。
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田中:
そうですね。実際に宇宙に行くのとほぼ同一設計の機器を組み上げて、燃料を噴射させる「システム燃焼試験」をメーカーの工場で実施しました。そこで初めて自分が設計した通りに動作して、性能を発揮したのを確認できて感動を覚えました。
契約しないと、作業が止まってしまう!
- —平瀬さんは営業の立場で、大変だったことはありますか?
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平瀬:
JAXAさんと当社のエンジニアが一緒に作業を進めていくと、どこまでが元々契約した仕事の範囲で、どこまでが新しい作業かという線引きが少し曖昧なところがあるんですよね。もちろんエンジニアは「これ以上は契約外だからやりません」とは言わない。でも営業としてはちゃんと契約してから作業してもらうのが筋です。工期が切羽詰まったSLIM開発後半では、「特急で契約しないと!」というのが5回ぐらいあったと思います(笑)
- —たとえば?
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平瀬:
試験機材の手配などです。社外に発注しないといけないのですが、下請負企業さんから見積もりを出してもらって、その金額を反映した三菱電機としての見積書を作成してJAXAさんに提出して決済を回してもらう、という一連の手続きが迅速に流れるようにひたすらお願いして回ります。試験機材がないと作業が止まってしまうのでプレッシャーがかなり大きく、どう説明したらうまく通るかなというのをずっと考えていました。
設計がガラッと変わった!二段階着陸方式はこう生まれた
- —2015年11月に三菱電機がJAXAからSLIMを受注した時は4本脚の探査機でした。ところが2018年に形や着陸方法が大きく変わりました。現場は相当大変だったのでは?
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芝崎:
そうですね、良い面も多かったのですが大変でした。2016年2月に打ち上げられたX線天文衛星ひとみが不具合によって4月に運用を断念したことを受け、挑戦的なプロジェクトにもより確実性が求められるようになりました。成功確率を上げるために、SLIM打ち上げロケットがイプシロンからH‐IIAに変更になり、質量も増えて、設計を一から見直すことになりました。
- —設計変更で大きかったポイントは?
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芝崎:
着陸脚の変更です。月着陸後、月の起源を探る目的で岩石を観測するカメラが搭載されることが決定しました。問題は、観測のため斜面に着陸するようになったことです。転倒せず斜面に着陸するためには、重心を低くする必要があります。支えるべき自重が増えたこともあり、4本脚では展開式の長く太い脚にしなければならず、大幅に質量が増えてしまう。この難題を解決するために、着陸直前に姿勢を倒して横向きに接地する「2段階着陸」のアイデアをJAXAさんから提案いただきました。(4本脚の替わりに)衝撃吸収材を構造に直接取り付け、細い支柱で支える短い脚にすることで、質量の増加を抑えることができました。
- —2段階着陸のアイデアをJAXAから最初に提案されたとき、どう思いましたか?
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芝崎:
素晴らしいアイデアだと思いました。一方、4本脚の着陸が海外でも実績のある方法でしたので、どうやって仕上げていこうか悩みました。着陸した時の力をどうやって受けるか、支柱をどうつけるかなど、構造系のメンバーとともに設計し作りこんでいきました。
- —この形を実現できると思いましたか?
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芝崎:
最初は、五分五分ぐらいでした(笑)。心配もありましたが、なんとかやり切ろうと。結果的にこの形のほうが個性的で記憶にも残りやすく、よかったと思っています。
- —ほかに、大きな変更はありましたか?
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芝崎:
太陽電池面の向きの変更がありました。着陸直後から岩石を観測し、観測データを地上に送り始められるよう、十分な電力が必要になったために、太陽電池を少し横にひねることにしました。
- —横にひねる?
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芝崎:
SLIMが月面に着陸した時に太陽がどの方向から当たるかは既にわかっています。発生電力を高めるために、太陽光をより正面から受けられるように、太陽電池パネルの向きを太陽寄りに10度傾けました。そうすることで着陸直後から十分な電力を得て、すぐに観測を始めることができるようになりました。
- —観測を急ぐ必要があるんですか?
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芝崎:
月の昼間は温度環境がかなり厳しく、太陽光が上から当たるのと同時に、月面からの照り返しもあります。着陸後に使う機器は、SLIMの日陰になる場所に主に配置していますが、それでも数日たつと許容温度を超える可能性があります。
- —時間との闘いですね。
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芝崎:
はい。そのほかにもメインエンジンを1本から2本に増やすなど、多くの変更を加えたことでSLIMの形が非対称になり、重心の偏りが大きくなってしまいました。重心がずれると、月にピンポイント着陸する際にメインエンジンの力で姿勢が乱れて維持が難しくなる。そこで機器の配置や配管、ハーネスのルートを㎜単位で見直して重心をほぼ中央に近づけ、最後はメインエンジンの取付位置を微調整しました。
組織を超えた一体感
- —大変だった開発中、楽しかったことや印象に残っていることはありますか?
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田中:
JAXAの皆さんともチームとしての一体感があり、課題ができてもすぐに電話やミーティングで相談できました。スピード感があってフレンドリーに解決できる場が新鮮で、非常に良かったと思います。
- —平瀬さんは?
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平瀬:
SLIMの姿かたちが変わっていく中での見積り作成が印象に残っています。入社直後は、仕事で目にする金額(数字)はなかなか実感がないものだったのですが、目の前のエンジニアの動きと数字が初めてつながったと実感しました。例えばスラスタ1本増えることになると田中さんみたいなエンジニアが何か月間働くとか、具体的に見えてくる。もう一つは、初めて見たロケット打ち上げ。迫力も相当でしたが、私個人としては初めての担当機種の打ち上げでもあり、感慨深かったです。
- —芝崎さんは?
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芝崎:
月面着陸まで最適な経路をプロジェクトメンバと共に作り上げていくプロセスが楽しかったですね。大きなロケットや探査機であれば、月まで最も近い飛行経路を選べるのですが、SLIMは小型軽量。限られた燃料など様々な制約がある中で、月面へのルートを考えた結果、過去の研究から月や太陽の引力を最大限に活用する飛行手法があったことを思い出しました。
- —芝崎さんが学生時代に研究されていた内容ですか?
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芝崎:
宇宙科学研究所の川口淳一郎先生のもとで軌道の研究をしていた際に得た知見です。手法としては古くからありましたが、実際に使うにはハードルが高い。議論した結果「いけるのではないか」ということになり採用されました。
- —その軌道を実際に今、SLIMが飛行しているのは感慨深いですね。今後の注目ポイントは?
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田中:
(着陸のGoが出てから)着陸までの20分間です。SLIM自身の質量は200㎏ぐらい。その2.5倍以上の推進薬がタンクに入っていて、半分以上を着陸の時に使い、ブレーキをかけて着陸します。
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芝崎:
SLIMの国内技術・製品による日本初の月面着陸、世界一の高精度着陸にご注目ください。日本ならではの丁寧で繊細なモノづくりにより、SLIMは関係者の熱い思いを結晶化したものに仕上がっています。月面着陸を達成し、歴史の栞(しおり)となるプロジェクトにしたいです。
- —やはり、ピンポイント着陸達成なるかが注目点ですね。高精度着陸のためにSLIMは画像航法という新しい手法を取り入れましたね。以前、月着陸降下シミュレーションを1000回成功するまで繰り返した「1000本ノック」の話を聞きました。
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芝崎:
画像航法を含む着陸降下シーケンスについては、ソフトウェアのシミュレーションだけでなく、実機全系での動作検証も実時間で行っています。実撮像エリアの月面の写真が印刷された3m四方の布を複数枚用意してもらい、それを実機カメラで撮影し、自分の位置を割り出せることも確認しました。着陸地点上空から垂直降下に入ってからは、月面の岩を実際によけて安全な着陸場所を割り出せるか、移動するための噴射指令が出るか等も確認しています。
- —月面の画像を人力でめくっていくんですね!
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芝崎:
はい。ソフトウェアのみの確認では不備を見落とすこともあるため、実機で動作検証しておく必要がありました。数百ページの試験手順書や秒単位の指令を用意することは大変でしたが、これで自信をもって月に送り出すことができました。
- —大変な作業ですね。平瀬さんは?
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平瀬:
文系的な視点から。日本で宇宙資源法が制定され、月の資源を所有できることが認められました。宇宙探査についての国際合意「アルテミス合意」には、先に月に行った宇宙機が周囲の安全(Safety Zone)を得る権利を主張できるという内容が書かれています。つまり月で(資源があるような)場所に着陸する、ピンポイント着陸が政策上とても重要になります。SLIM計画が立ち上がった頃にはアルテミス計画がなかったのを考えると、当時の方々の先見の明というしかない。今後必要になる技術であり、ぜひ皆さんに見て頂きたいです。
- —聞けば聞くほど、SLIMがたくさんの工夫と挑戦的な技術の塊であることがわかりました。ありがとうございました!
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