
2009年9月11日の初号機打ち上げから2020年8月20日9号機の大気圏再突入まで、宇宙ステーション補給機「こうのとり(HTV)」は全機成功という、米ロの補給船でも成しえなかった偉業を達成。日本の技術力を世界に示し、宇宙大国の仲間入りを果たした。
実は、この成功は「石にかじりつくようにして」達成したもの。JAXA、メーカーのエンジニアらが垣根を超えてチームジャパンとして成しえた成果である。今だからこそ語れるあの時の苦難、葛藤、そして喜びとは。
9月末、JAXA、三菱重工、三菱電機のエンジニア6人が過去から未来まで語り合いました。4回にわけて紹介します。

初号機打ち上げへの厳しい道のり
「こうのとり」プロジェクトが立ち上がったのは1994年。
月面に人類を送り込んだNASAとは大きな経験の差があった。
「こうのとり」初号機実現までは、苦難の道のりだった。

量産機(2~9号機)の闘い - 前編
いったん成功すれば毎号同じ宇宙機。打ち上げ後の運用それぞれに闘いがあった。知られざる連続成功裏の綱渡りを2回にわけて紹介します。

量産機(2~9号機)の闘い - 後編
いったん成功すれば毎号同じ宇宙機。打ち上げ後の運用それぞれに闘いがあった。知られざる連続成功裏の綱渡りを2回にわけて紹介します。

HTV特有の文化~未来に向けて
クライアント、メーカー、協力企業という壁も越え、HTVのミッションを成功させるという目的に向かって、全員が一丸となったプロジェクトの背景を深掘りします。
座談会メンバー紹介


特別参与・宇宙飛行士


有人宇宙技術部門
HTV技術センター長
JAXA 有人宇宙技術部門HTV技術センター長。電気系担当として2006年から電気系機器の開発マネージャーとしてHTVプロジェクトへ。「こうのとり」6号機からセンター長として9号機まで連続成功を率いた。宇宙に興味をもったきっかけは小学生の時に読んだSF小説「宇宙船ドクター」。米国スタンフォード大学ハンセン実験物理研究所勤務から、毛利宇宙飛行士とのご縁で1997年にNASDA(当時)へ。


(三菱重工OB)


宇宙事業部
主席プロジェクト統括


電子システム事業本部
主席技監


HTV量産機
プロジェクト部長

宇宙ステーション補給機
「こうのとり」の歴史
ランデブ・ドッキング技術開発から、「こうのとり(HTV)」初号機打ち上げまで約30年。
開発者たちの絆が歴史を変えた、日本初の宇宙ステーション補給機「こうのとり(HTV)」
その挑戦と、進化の軌跡を振り返ります。
画像提供:NASA,JAXA,三菱重工