2014年10月14日 vol.88
サイディング・スプリング彗星の火星への接近
この10月20日、火星に彗星がニアミスする。サイディング・スプリング彗星(C/2013 A1)が、火星に約14万kmの距離まで大接近するのである。こんなことは滅多にないので、天体望遠鏡で眺めてもなかなか何も見えないとはいえ、紹介することにしよう。
彗星の発見は、昨年2013年1月のことだった。オーストラリアのサイディング・スプリング天文台で、彗星発見者としても知られるロバート・マックノートが、うさぎ座で約18.6等級で発見したものだ。2013年最初の彗星で、仮符号もC/2013 A1 となった。すぐに過去の観測記録も調べられ、カタリナ・スカイサーベイが2012年12月8日に観測していたことが判明し、軌道が決定された。
ところが、この決定された軌道に世界中の天文学者が色めき立った。というのも、計算してみると、火星に極めて近づくことがわかったからだ。軌道の誤差を考えれば、わずかな確率ながら、衝突する可能性も当初は指摘された。観測データが集まってくると、軌道の精度も高くなり、さすがに衝突することはないことが判明したが、それでもニアミスすることだけは確実であった。彗星そのものも結構な明るさなので、何か起こるのではないか、と期待された。特に、彗星から放出される塵が火星に衝突し、流星雨を起こすのではないか、と思われた。私の共同研究者でもあるフランス・パリ天文台のジェレミー・ボバイヨン博士は、初期の軌道のデータから、彗星から放出される塵がどのような振る舞いをするかを理論的に計算し、火星に流星雨が降ることを予測していた。しかも、その規模は半端ではなかった。その彗星の明るさから類推すれば、火星に降り注ぐ流星の個数は、火星表面から眺めたときに最大で一時間約50億個というのだ。これは流星雨とか流星嵐という規模を遙かに超えている。ボバイヨン博士は、その予測を記した論文に「流星ハリケーン」という新しい造語を作って紹介したほどだ。
サイディング・スプリング彗星と火星の接近の様子。(提供:NASA)
これだけの流星が注ぎ込まれれば、火星の大気に何らかの変化が起きても不思議ではない。その流星ハリケーンが起こる時刻は、世界時10月19日20時(日本時間で20日05時)とされた。この時期、火星は日没直後の西の低空にあり、観測できるのは沈むまでの1時間程度である。残念ながら、この時刻に日本から火星は見えない。世界中どこでも、ごく限られた時間しか観測できないゆえ、流星ハリケーンが降り注ぐ前と後との大気の変化を調べるためには、世界的に観測ネットワークを組んで体制を整える必要がある。私のグループでも、適切な観測装置を持つ天体望遠鏡のネットワークを作るべく、情報発信を行いはじめた。
ところが、軌道精度がさらに上がると、最新の予報が次々と発表された。それらは、いささか期待を裏切るものだった。火星と彗星との位置関係に微妙なずれが生じてきて、どう計算しても火星には砂粒やチリは衝突しないことがわかったのである。今後、どんなに彗星が活発になったとしても、その活動によって放出される砂粒はほとんど火星を通り過ぎていく。火星に衝突する砂粒、特に流星になるようなミリメートルからセンチメートルサイズの砂粒は、彗星から13天文単位よりも遠方で放出されなくてはならず、これはかなり厳しい。結局、現在は大きな流星現象は起きず、火星探査機も影響がないだろうという予測に落ち着いている。
まぁ、そうではあっても何か起きる可能性は否定できない。だいたい、天文学者の予測がはずれるのは、昨年末のアイソン彗星で経験済みである。彗星そのものは見えないが、10月20日前後は、低空に光る火星を眺めてみてはどうだろうか。火星は日没後の南西の地平線近くに約1等星で輝いている。